しばしば子供は、いかに大人が社会的価値観に依存し、縛られているかを指摘し、何が大事なことなのか訴えることで復讐する。
「てすと」 わたしは/げんかんのとをそっとあけた。/だまっておかあちゃんに/てすとをみせた。/「みやはやっぱりだめだ」と、おかあちゃんがいった。/「五十てんではいけんわね」といった。/わたしはオーバーのままこたつにはいって/ねたふりをした。/なみだがでるみたいだった。/おとうちゃんがかえってきて/「みや、こんどはがんばれよ」といった。/「うん」といったら/すうーっとなみだがおちて/まるくおふとんがぬれた。
(島根・小一・にしこりみや=日本作文の会『子ども日本風土記』)
法、道徳、常識などは価値の集大成ではなく最小公倍数か平均値である。それは決して100ではない。
世の中が100点だと思い込んでいると、信号を守っていても交通事故に遭うことがある。信号が赤に変わる直前に加速する車と、青に変わる寸前に飛び出す歩行者との、50点同士の事故は日常茶飯事だ。
もちろん、人は法によって守られているし、また罰せられる。しかし、法が交通事故を防ぐわけではない。自分の安全は、まず自分で確保することが必要だ。つまりは、自分の法と社会の法、両方合わせて初めて100点で道路が渡れるのである。