赤頭巾ちゃん気をつけて

赤頭巾ちゃん気をつけて

私が高校時代に出会った青春小説です。
私は、進学校の男子校に行っていたので、共学校に行って、
青春を楽しんでいる薫くんがうらやましかったです。


庄司薫さんは、「喪失」で中央公論新人賞を受賞されました。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」で芥川賞を受賞されましたが、薫君シリーズ4部作を
書かれただけで、以後、小説は発表していません。不思議です。
ピアニストの中村紘子さんと結婚されています。

「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、薫君を中心にして、まわりの人々が生き生きと描かれています。
 ガールフレンドで、気まぐれな由美が、私は好きです。


由美が電話で話してきた。
「ねえ、エンペドクレスのサンダルの話知ってる?」
「え? なんだって」
「エンペドクレスって、世界で一番最初に、純粋に形而上的な悩みから自殺したんですって」
「へえ」
「それでヴェスヴィオスの火口に身を投げたんだけど、あとにサンダルが残っていて、
 きちんとそろえてあったんですって」
「へえ」
「素敵ね、エンペドクレスって」
「うん」
「ねえ、とってもすごい話じゃない?」
「うん」
「その、なんだな、エンペドクレスってのは、例のイオニア派のあれだな」
「イオニア派?」
「うん、ほら、万物は火と風と水と土からできていて、愛と憎しみの力でくっついたり離れたりするって
 言ったやつだ。」
 ぼくはできるだけ陽気に言ったのだが、彼女はもう氷のように冷たくなってしまった。
 もういけない。

「へえ、あなたよく知ってるわね」
「だって受験生だからね。まあ八百屋がキャベツ売るようなものだ」
「ほんとによく知ってるわ」
「つまらないことをいっぱいね」
「あたしをからかってんの?」
「ちがうよ。しまった、と思ってんだ、分かるだろ?」

「そう。」と彼女は素っ気なく言って、それから改めてきめつけるような調子で
「じゃ、わかったのね。」と、ゆっくりと言ってきた。
 これじゃ、ぼくだってちょっと頭にきてしまう。
「なにが?つまり、サンダルがきちんとそろえて脱いであったんだろう?」
「そうよ、ヴェスヴィオスの火口にね。」
「世界最初の、純粋に形而上的悩みで自殺したんだな」
ぼくには、彼女が電話の向こうで、スーッと息を呑みこむのが分かったように思えた。
やがて彼女は極端に起伏のない声で言った。
「あのね。あたし、こんなこと言いたくないけど、この話ゆうべ聞いて、それからずっと、きょうあなたに
会ったら話してあげようと思ってたんだわ」
「・・・・・・・」
「でも、いまの気持ちをお伝えすれば、舌かんで死んじゃいたいわ」
ぼくは彼女が受話器を置く音を聞いた。
これであいつとはまた軽く二週間は絶交が続くだろう。


薫君は日比谷高校の学生です。
東大入試が中止になって、困っています。
犬死にしない生き方を目指すべきか、人々を幸せにする生き方を目指すべきか
迷っています。

薫君とまわりの人々、そして5才ぐらいの女の子の赤頭巾ちゃんの心が
生き生きと交錯する、心に響く青春小説です。


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