私の好きな本、おすすめ本

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  • NO.55 肝心の子供 磯崎憲一郎 河出文庫    
    磯崎憲一郎は、すぐれた物語作家です。
    もしかしたら天才かもしれないと私は思っています。
    2007年に、42才で、「肝心の子供」で文芸賞をとり、作家デビューしました。
    2009年に、「終の住処」で芥川賞を受賞しました。
    物語に、奇異な話が出てきますが、物語は破綻せずに、淡々と進んでいきます。
    磯崎憲一郎の小説は、解説が難しいです。読んでもらうのが一番です。
    作家の石川淳は、「奇異な小説を書く事」を一生涯に渡る宿願にしていましたが、
    磯崎憲一郎は、第1作で、奇異なる小説を完成させています。
    石川淳を凌駕する天才かもしれないと、私は思っています。

    「肝心の子供」は、ブッダと、その妻ヤショダラの物語です。
    またブッダとその息子のラーフラの物語です。
    ラーフラとその息子のティッサ・メッティヤの物語です。
    ブッダの隣国のマガダ国王のビンビサーラとその息子のアジャータシャトルとの
    物語です。
    あらすじを説明するのは、あまり意味がないです。
    小説を読んでもらい、その奇妙な磯崎ワールドを体験してもらうのが一番です。
    奇異なる話に物語が破綻をきたさず、深い世界が形成されていきます。

    父親と息子の関係が、重要なテーマになっています。
    少しだけ、内容を紹介します。

    目覚めても彼はブッダだった。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    川岸近くの葦のなかに、一羽の白いサギがいた。
    すると一瞬、するどく首を回して、くちばしを百八十度まで開いた、
    桃色の口腔の奥まで見せつけるというひとつながりの動作だけで、焦点と
    そのまわりの背景を反転させてしまった。
    もちろんありえないことなのだが、一羽の鳥の口の中に、冬の朝の渓谷という
    この空間全体が入り込んでしまったかのような、そんな馬鹿げた印象を
    ブッダに与えた。

    ラーフラが遊びざかりの三歳になろうかというころのあるとき、ブッダは
    息子を連れて城のそとへ散歩に出た。
    ラーフラは立ち上がり、蝶を追いかけて、小さな子供には似合わぬ速さで
    走り抜けた。
    ブッダはその場にひざまずき、空に向かって両手を大きく広げた。
    三十年間生きてきた意味がいまようやく会得された。
    彼が愛してやまない子供は、確かに彼から生まれたことに疑いようはなかったが、
    しかし頭のなかであれこれつくられた思想や虚構などではなく、まったく別個の
    肉体をもって、現実の世界に生きている。
    ラーフラが生まれその姿を初めて見た時、間違いなく誰かに似ていると
    思ったが、その誰かとは、ラーフラ本人に他ならなかったのだ。
    生まれてきた我が子を、自分はずっと以前からよく知っていた。
    これほどの世界の盤石さの証明がほかにあるだろうか。
    ブッダが一生を費やしても、これ以上の何かを作り出せるはずはなく、
    彼の人生で成すべき唯一最大の仕事はすでに終わっていることを悟った。
    この日の1年後、ブッダは出家した。

    ヤショダラは思います。
    ならば息子は何を恐れているのか?
    恐れる必要などひとつもないではないか?
    言葉には出さなかったが、ラーフラは内心それに反論した。
    人が老いて死ぬということは、きっとあれはみな懐かしさに耐えきれなくなって
    死んでしまうのだ、そのことに母はまだ気がついていない。

    ビンビサーラは息子アジャータシャトルが8才の時、一緒に狩りに行きます。
    アジャータシャトルは虻に刺されて、高熱を出して、意識を失います。
    ビンビサーラはアジャータシャトルの腕を短剣で切り開き、毒を持った膿を
    吸出して、膿を飲み込みます。
    ビンビサーラの回想です。
    私にはどうしても息子が今日からこの先も生きて行けるようには見えなかった。
    夕方まで私は息子のそばを離れませんでした。
    そのあいだ頭のなかでぐるぐると考え続けていたことといえば、これまた
    いまにしてみれば笑いたくもなるのですが、私の子供とはいえども
    けっきょく私とは別人なのだなあ、というただそれだけだったのです。
    私が息子ではない、ということでもあります。
    けれど、私と息子が別の個体であるということは、何か法外な保障のようでもありました。
    そして事実、翌朝アジャータシャトルは目覚めその後数日で熱も下がって
    回復へと向かったのです。

    その後、アジャータシャトルはビンビサーラを石牢に閉じ込め、殺そうとしています。
    ビンビサーラの回想です。
    息子は私を殺そうとし、とうとう実際にそれを達成しつつある。
    私のほうとて、自分を殺そうとする人間を愛することなどもはや不可能なのだ。
    いまさらとりつくろうつもりも毛頭ありませんが私と、それに私の妻は、
    息子を激しく憎んでいるのです。
    ところが、いまの私個人の憎しみなどとはまったく関係のないところで、
    私が毒を飲みこみ、息子が病気から回復したあの日々が残っている。
    そのことこそが私たちすべてを支配し、苦しめているのです。

    ティッサ・メッティヤは、森の中で、象よりも大きな虎に追いかけられます。
    ティッサ・メッティヤどうなるのでしょうか。

    奇妙で奇異な物語が進んでいきます。
    物語作家になるには、大変な力量がいると思います。
    特に、人の心に入り込んでくる物語を作るためには。
    どいうい作家修行をすれば、このような物語を書けるのか、
    磯崎憲一郎に聞いてみたいです。
    どういう人生を歩んできた人か、とっても興味があります。
    磯崎憲一郎は、かなり年をとってから、作家デビューしました。
    発表した作品は少ないです。
    「肝心の子供」、「終の住処」、「世紀の発見」等です。
    どの作品も、すぐれた、想像力を刺激する、奇異な物語です。
    石川淳なら、びっくりして、口をあんぐりさせる作品だと思います。
    石川淳も、磯崎憲一郎に、創作の秘密を教えてくれと言うと思います。
    最近、私が、もしかしたら天才かもしれないと思う作家は、
    磯崎憲一郎と、青山七恵です。
    私の好きな本で、おすすめ本です。(H.P作者)


    NO.56 カツラ美容室別室 山崎ナオコーラ 河出文庫    
    山崎ナオコーラの小説は、文章が平易でわかりやすく、それでいて面白いです。
    「人のセックスを笑うな」が最高傑作だと思いますが、この本も面白いです。

    主人公を男にして、恋愛もどき小説を書くのが、山崎ナオコーラはうまいです。
    主人公は、男の佐藤淳之介です。
    新橋で、新聞のテレビ欄を作る仕事をしています。
    友人で、バイト生活者の梅田さんと、カツラ美容室別室に、髪を切ってもらいに行きます。
    カツラ美容室別室には、カツラをかぶった美容師で、店主のカツラさんと、
    美容師のエリコと桃井さんがいます。

    カツラさん、エリコ、桃井さん、淳之介、梅田さんと花見をしたのがきっかけで、
    淳之介とエリコはメールをする仲になります。
    エリコの名前は樺山エリコで、淳之介はメールでエリコのことをかばさまと呼びます。


    そこで5日後の夜に、返事を出した。
    「かばさま。春たけなわですね。朝、外に出ると、あまりにさわやかな陽気なものだから
    会社に行くのが嫌になります。・・・・・・・・・・・・・・」

    その1週間後に、またエリからメールが来た。
    「佐藤淳之介様。この頃はいつも空気がふわふわしていますね。
     うちの店ではメダカを飼い始めました。・・・・・・・・・
     うちの店名にある別室の意味ですが、実は桂美容室という本店が
    九州の小倉に存在するのです。だから高円寺にあるこの店は別室なのです。樺山えりこ」


    それから1週間と2日後の夜に、返事を出した。
    「樺山エリコ様。へえ。本店があるのですね。佐藤淳之介」
    ああ、もはやオレは何日あけて返事をするのが良いのかに気をとられ、何を書いたら
    良いのかがわからなくなっている。

    そこで急に、電話をかけてしまった。
    「はい。樺山です」
    とエリが出た。
    「佐藤ですが。どうも、今、何してました?」
    とオレは、努めて落ち着いた声を出して聞いた。
    「えーと。特に何もしてないです」

    どこにでもいるような男女の会話や日常生活を平易に描きながら、山崎ナオコーラは
    物語を展開していきます。
    でも、一見、平易で平凡に見える物語を作っていく、山崎ナオコーラの力量は並ではないと、私は思っています。
    平凡でつまらない物語はいくらでもありますが、平凡に見えて面白い物語を作るって、大変な力量が必要です。

    淳之介とエリは、美術館に絵を見にいくことになりました。

    淳之介とエリは、恋人になるのでしょうか、恋人未満で終わるのでしょうか。

    樺山エリコのことを少し考えた。
    オレが仕事をしていても、部屋でだらだらしていても、この地球のどこかにエリという人が存在していると
    いうことが、変。髪を切っているのか、本を読んでいるのか、友達と一緒か、眠っているのか。
    わからない。でも確実に何かをしている。どこかに、いる。触れないが、温かいはず。人間だから、
    1秒も休まず、生体として活動を続けている。変だ。
    エリは、幸せでいる。いつも笑っているし、やせているし、髪型はどんどんかっこ良くなっていく。

    カツラさんが小倉店の店長をやることになり、カツラ美容室別室の店長をエリにまかせようと
    カツラさんはエリに話します。
    しかし、カツラさんとエリの関係がだんだんとぎくしゃくしてきます。
    エリが淳之介に言います。
    「このところ、カツラさんが、なんだか変なんだよ」
    と言う。素っ気なくなったらしい。
    「変、とは?」
    「よそよそしいというか」
    「考えすぎじゃない」
    「私も変だしさ」
    「そうなの?」
    「仕事してるとき、カツラさんにがっかりされるんじゃないか、ってそればっかり」
    「ふうん」
    「カツラさんって、適当なこと言うときがあってさ。
     私の仕事に安直に口を出すから、そういうことをされたくない、って思うときも、
     私にはあるんだよ。お客さんの髪に集中したいのに、腹が立ってくるの。
     干渉しないで、って思ってしまうの」

    エリと淳之介は、どんな関係になっていくのでしょうか?

    山崎ナオコーラの文体は、平易で短い文章で、テンポがいいです。
    そこらへんにいそうな男と女の日常を描いて、魅力ある小説世界を構築していきます。
    登場人物の男と女に共感を覚えます。
    私の好きな本で、おすすめ本です。


    NO.57 夕暮れまで  吉行淳之介 新潮文庫    
    性愛について書いた作家の吉行淳之介の作品です。
    吉行淳之介が長い旅路を経て到達した作品とも思えるし、
    ここからスタートしようとしている作品にも思えます。
    完成度の高い作品だと思います。
    吉行淳之介の小説は、妻子ある男と若い女の不倫を
    テーマにした小説が多いです。
    倫理観なんて、関係ないと吉行淳之介は思っていたでしょう。
    吉行淳之介は女が好きだったのだと思います。
    すごい女好きでないと、このような小説は書けないと思います。
    また、数多くの男女関係の修羅場を通りぬけてきた吉行淳之介でないと
    書けないような、多くの心理描写が有ります。
    女との関係を作品のテーマにするので、性愛が主題にならざるをえない
    というところが有ると思います。


    40過ぎで妻子のある佐々は、22才の杉子と知り合います。
    杉子は、自分は処女だと言って、交接は拒否します。
    白いウェディングドレスを着て、きれいな結婚式をあげるというのが、
    杉子の口癖です。
    しかし、佐々の舌は受入れるし、自ら口に佐々のものを入れて
    サービスします。

    佐々は杉子との密会を繰り返しますが、杉子は交接はかたくなに拒否します。
    杉子は、佐々の他に、若い男ともつきあっているようです。
    杉子の友人の祐子から、杉子が自殺未遂をしたので、祐子と杉子の二人で
    1ヶ月ぐらい気分転換の旅行をしてくると聞かされます。
    佐々は、杉子の自殺未遂そのものを疑っています。
    若い男と佐々と、二股をかけることになってしまうので、佐々と距離をおくための
    口実にしているのではないかと疑っています。

    1ヶ月後に、佐々と杉子は、また会うようになります。
    車に乗ると、杉子が言った。
    「どこへ行くの」
    近くの駅まで送るから、そこで降りるんだ、と佐々は言うはずだった。
    しかし、実際に出ていった言葉は
    「どうしようか」というものだった。
    「あたし、かまわないのよ」
    これまでより更に厄介な事態の入口に、その杉子の言葉は置かれている。
    佐々は迷って、因循な気分になった。

    佐々と杉子のこれからはどうなるのでしょうか?

    特に派手な出来事が起こるわけではありません。
    淡々とストーリーが進んでいくだけなのですが、人物描写や会話が実に
    うまいです。
    名人芸の境地に達していると、私は思います。
    吉行淳之介は、伊達に女遊びをしてこなかったというかんじです。
    女遊びも芸のうちって感じです。

    それでは、その見事な人物描写や会話の一部を、以下に少しだけ紹介します。

    仲間の若い男が触れようとしない杉子の体に、佐々は近寄っていった。
    そういう中年男の厚かましさを、待ち受けていたようなところが、杉子にはあった。
    薄い皮をゆっくりはいでゆくように、佐々は杉子の体に触れていった。
    乳房を露わにするまでに、数時間かかった。

    そういう杉子の二の腕をつかんで立ち上がらせると、仕切りの戸を開いて、隣の部屋に
    引っ張っていった。その裸の体を、椅子の中にはめこむように座らせた。
    高くすくい上げた両脚を押し下げると、椅子の両側の肘掛がそれぞれ
    左右の膝の裏側に押し当たった。
    「やめて」
    泣き声に性感がにじみ、杉子の体はその姿勢をとることに協力している。
    両脚が大きく極限まで拡がった体は、椅子にはめこまれて、動きがとれない。

    「それにしても、なぜこだわるのかな」
    「真白なウェディングドレスを着たいの」
    呪文のように、いつも繰り返すその言葉を、杉子は口にした。
    「それなら、おれなんかとつきあわなければいい。白いウェディングドレスは
    勝手に着ればいいだろう」
    「佐々さん、あたしと結婚することはできないの」
    杉子が言い、四十才を越えて妻子のいる佐々は黙っている。

    「そういうのが、一番、悪質なのよね」
    園子が、ぽつりと言った。
    「そうおもうだろう。中途半端にバージンだけ守るなんて、いやらしいよ」
    「あら、あたしの言ったのは、佐々さんのことよ」
    佐々は、怯んで、
    「なぜ」
    「そういう時期の女の子って、相手の男が世の中で一番よく見えてしまうものよ。
    だから、なんでもすることになるのよ」
    「なんでもするわけじゃない」
    「いろんなことを、させるんでしょう」
    「相手もやりたがるんだ」
    「でも、そうさせたのは、佐々さんなのよ」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「バージンでなくなるその形で、その女の人生がきまってしまうことも、多いようね」
    しばらくして、園子がそう言った。
    「そこまでは考えなかったな。つまり・・・」
    そこまでで、佐々は口をつぐんだ。
    きみ自身のことについての感想だね、という言葉をのみこんだのだ。


    小説という形をかりて、女の心と身体と、女と男との関係を探る旅を、吉行淳之介は続けました。
    世間の一般的な倫理には反する作品が多いので、批判や反発も多かったでしょうし、
    困難な旅だったと思います。
    自身の私生活も、女性関係が多く、複雑だったので、修羅場が多かったでしょう。
    その修羅場を通りながら、多くの作品を、吉行淳之介は残しました。
    作品も、時間をかけたと思われる、完成度の高いものが多いです。
    吉行淳之介は、自分の欲求に従わざるをえなかったでしょうし、それが「自分の人生とは何か」
    を探る旅にもつながっていたのだと思います。
    描かれているのは、性愛の話ですが、その底で、醒めた眼でみている吉行淳之介の
    姿を感じます。

    最近、道元の「正法眼蔵」の「現成公案」について書かれた本を読んでいます。
    道元は言います。
    あきらめずに修行しなさい。
    なかなか悟ることはできない。
    しかしあきらめずに修行していると、木の1枚の葉についた一滴の水滴に、
    月の姿が全てうつる時が来る。
    それを信じて、修行しなさいと。

    道元も、吉行淳之介も求めていたものは、同じようなものだと思います。
    自分とは何か、他人との関係とは何か、人生とは何か、その答えを求めて
    旅をしていたのだと思います。(H.P作者)
     
    NO.58 甲賀忍法帖 山田風太郎  角川文庫    
    山田風太郎の、荒唐無稽な忍者小説の第一作です。

    徳川秀忠の後継者を、竹千代、国千代のどちらにするかを
    伊賀忍者十人と、甲賀忍者十人に戦わせて、どちらが生き残ったかで
    決めることになります。

    十人の伊賀忍者、甲賀忍者は、皆、信じがたいような忍者です。
    口から槍を出す忍者、他人の顔そっくりに化ける忍者、
    塩で体が溶けていく忍者、壁に同化して、どこにいるかわからなくなる忍者、
    吐く息が毒になる女忍者等々。

    伊賀忍者の薬師寺天膳は、なんと不死身の忍者です。
    伊賀忍者の朧と、甲賀忍者の弦之介は、かつて愛し合っていましたが、
    敵味方に別れてたたかわざるをえません。
    朧も弦之介も、瞳で相手を見つめると、相手の忍術技がきかなくなるという
    瞳術の使い手です。


    一人、また一人と忍者は倒されていきます。
    最後に勝つのは、伊賀忍者でしょうか、甲賀忍者でしょうか。

    それにしても、山田風太郎は、荒唐無稽な忍者小説を書きます。
    よくそんな変な術をつかう忍者を思いつくなと、感心します。
    荒唐無稽な話が好きな方へのおすすめ本です。
     

    NO.59 今夜すべてのバーで   中島らも   講談社文庫    
    この美しい小説は、美しい心を持った作家にしか書けない小説だと思います。
    この小説を読んで、中島らもさんのファンになりました。

    主人公の男の小島容は、35才で、肝臓の調子が悪くなり、
    入院します。
    18才の時から17年間、毎日、ウイスキーをボトル一本飲んできたので、肝臓が悲鳴を上げたのだ。
    アルコール中毒なのだ。
    体がだるく、黄疸も出ていて、便は真っ白。
    緊急入院となった。
    脂肪肝ならまだ良いが、肝硬変や肝ガンなら事態は深刻です。
    肝細胞検査をしないと状態がわからないので、検査をすることになります。
    アルコールを絶って、高栄養の食事をします。

    同室には、足を痛めている老人の吉田さん、肝臓の悪い福来さん、
    腎臓の悪い少年の綾瀬さん等がいて、彼らとの交流が語られます。
    主治医の赤河は怪しい医師です。

    いまは亡くなってしまった友人の天童子不二雄との交流が回想されます。
    また、不二雄の妹の天童子さやかとの交流が描かれます。

    アルコール中毒や薬物中毒についての詳しい記述が書かれています。
    また、薬物中毒だったエルヴィス・プレスリーのことが書いてあります。

    天童子不二雄は、親友でした。
    十八、九で知り合って、よくいっしょに無頼をやった。
    この男は横紙破りの悪童だったが、同時に天才詩人でもあった。
    本人は何を書き残すでもなっかったが、その立居振舞、ケンカの売り買い、
    飲んでたおれての寝言まで、在り方自体が詩作品のようにそげた美しさを孕んでいた。
    おれはいまでも天童子のあの深い声とやせた胸のあばらを思いだす。
    天童子は二十代の終わりに、神戸の町のかたすみで、酔って車にはねられて即死した。

    小島容は、文筆業を仕事にしています。
    天童子不二雄の妹のさやかを秘書にしたのですが、
    アルコールの連続飲酒で、入院することになってしまいました。
    さやかは小島容を見舞いに来て小島容の頬を、ひっぱたきます。
    さやかは言います。
    「もうちょっとましな人だと思ってたわ。不二雄兄さんみたいに
    死んじゃわないだけ、もうすこし何とかなる人かと思ってた。
    あたしの買いかぶりだったわ。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    死んじまった兄貴も、もうすぐ死ぬ小島さんも、とにかく死んじゃう人の
    ために心を使うのはあたし、おことわりよ。死んでしまう人って、
    とても高慢だわ」
    「高慢、死人がかい」
    「あたし、兄さんのことを考えると、いつも腹がたつのよ。
    死者はいつも生き残った人間をせせら笑っているんだわ。
    まだ、そんなことやってるのかって。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    死者は卑怯なのよ。だからあたしは死んだ人をがっかりさせてやるの。
    思い出したりしてやらない。
    心の中から追い出して、きれいに忘れ去ってやるの。」

    小島容は、さやかから、さやかが3才のころの天童子家の
    記録のコピーをもらいます。
    さやかの父親は事業に失敗し、アル中になり、家族に暴力を
    ふるうようになります。
    不二雄は中学生で登校拒否になります。
    さやかは母と兄にまとわりつくようになります。
    さやかの母は、自分のため、自分の幸福のために、
    自分の人生を生きることを決意します。
    さやかの母は夫との離婚を決め、夫は家を出ます。
    不二雄は父に愛憎の複雑な気持ちを抱いています。
    不二雄の父は、それから少しして、すい臓ガンで亡くなります。


    小島容は思います。
    天童子不二雄は、酒を飲むことで、父親に会っていたのだ。
    飲んで正体をなくすのは、失われた家に戻ること、父親を奪い返す
    ことだったのだ。
    あげくのはてに、酔って車にはねられた。
    そうして二人の人間を失ったさやかは、死者や闇の呪縛にとらわれかけては
    引きちぎり、そうして、渾身の力で前へ進んできたのにちがいない。
    自分のために自分を生きる、天童寺一家のただ一人の生存者として。
    そして、さやかは、いままた三人目の男を失おうとしているのだ。

    小島容はアル中を克服して、生き残れるのでしょうか?


    失意と絶望と、希望と再生と愛の小説です。
    この小説の美しさに、わたしの心はしびれました。
    こんな美しい小説が、今の日本に存在していたとは。
    素晴らしいと思いました。
    美しい心を持った作家でなければ、絶対書けない小説だと
    思います。
    私の好きな本で、おすすめ本です。