私の好きな本、おすすめ本



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  • NO.24 この胸の深々と突き刺さる矢を抜け 上/下  白石一文  講談社文庫    
    とんでもない小説ですが、面白く、感動的な小説です。
    主人公のカワバタは、大手出版社の週刊誌の敏腕編集長。43才で、年収1600万円です。
    妻のミオと娘のナオがいます。
    プロダクションの次長ショウダに命じて、週刊誌の表紙のモデルに載せるのと交換条件で、
    グラビアアイドル フジサキ・リコとのセックスを強要します。
    会社の上司の妻のジュンナと不倫してます。
    とんでもない男です。でも、仕事ができ、腹のすわった男です。
    カワバタの妻のミオは、東大の準教授で、仕事の同僚のタケノウチと不倫関係にあります。

    無茶苦茶な展開ですが、さらに、ストーリーに関係の無い話が、物語に次々に挿入されます。
    マザー・テレサの言葉とか、キング牧師の言葉とか、アポロ宇宙船の飛行士の回想の話等が挿入されます。
    アメリカでは、富める者がさらに富み、貧しい者が増々貧しくなっている現状の話なども出てきます。
    機会の平等が重視されて、人の格差は広がっていく、結果の平等が重視されるべきだという話もでてきます。


    カワバタは、胃がんにかかり、胃を2/3摘出し、制ガン剤を飲んでいます。
    カワバタは、ガンになってから、考える人になり、人生の事を色々考えています。
    カワバタは、インフルエンザのために、生まれて3ヶ月の息子ユキヒコを失くしています。
    ユキヒコを失い、大きなショックを受けました。
    カワバタの意見を無視して、仕事を続けて、ユキヒコを保育園に預けたミオが、ユキヒコを失った事の大きな
    原因だと、カワバタは思っています。
    ナオを生んだあと、ミオが、カワバタをSEXで拒否するようになった時に、ミオと別れなかったのが、ユキヒコを失うことになった
    原因だと、カワバタは思っています。カワバタとミオは、SEXレスになっています。


    僕とミオとは人間VS人間の関係になってしまったのだ。ミオは僕とセックスしないことによって、日々「タケヒコ、あなたはもう
    男ではないのよ」と言い続けている。僕も同様に「ミオ、もう君は女でないんだ」と言い続けている。
    どんなに信頼しあっていようと、身体で愛し合うことができなければ男と女の関係は存在し得ないのではあるまいか。
    心や言葉で愛するよりも肉体で愛し合うことのほうが何倍も重要なのではあるまいか・・・・・。

    私は息を呑んだ。心臓に達する言葉だった。男女の真理を語る言葉だった。私の老いを嘲る言葉だった。私は最初からこの小説に
    差し込まれていた。ミオが言った。ホームページ作者、私と逃げて、でも逃げるとこなんて、どこにも無いのよ。(車谷 長吉風に書いてみました。)

    ミオとタケノウチから情報を得て、大物政治家Nの収賄の情報をつかんだカワバタおよび編集部は、Nやその仲間の政治家との
    闘いを始めます。勝利するのはどちらなのだ。カワバタ達は巨悪に勝てるのか?

    カワバタは、ガンになってから、考え方が変わった。「必然の中で生きる」事を心がけるようになった。
    彼自身の瞬間瞬間の意識を必然性の有無によって厳しく査定し、無駄をそぎ落とすという生き方である。
    一瞬一瞬を必然だけで固めながら生きる。そうやって生きることでしか、この苦悩に満ちた世界で真実の自己を貫徹できないと彼は
    考えるようになった。

    胃ガンの手術をした後、カワバタは、ユキヒコの声を聞くようになり、昔に死んだはずの人を見かけたりするようになります。
    でも、カワバタがフジサキ・リコとつきあうようになってから、ユキヒコの声を聞けなくなってしまいます。

    カワバタの高校からの友人のヤスオカは26の時に脊髄の病気で死にます。
    ヤスオカが死ぬ3日前に言います。
    「カワバタ、お前もこうやって必ず死ぬんだ。そのことを忘れるなよ」
    「俺にはできなかったけど、かわいそうな人がいたら、一人でもいいから助けてやれよ。
     最近、そのことばかりが悔やまれて仕方がない。俺はいまのいままでカネの使い道を間違っていた」と彼はつけ加えたのだった。


    カワバタとフジサキ・リコが話ます。
    「じゃあ、カワバタさんはこの先どうやって生きようと思ってるの」
    「僕は自分の必然に従って生きていくんだ」
    「必然?何それ」
    「要するに、結局はそうなってしまうだろうように生きるってことだ。たとえば、君とこうして花見をしてるのも必然だ。
     そうじゃなきゃ、よりによってきみと僕がこんなふうに二人きりで桜の木の下に座ってるはずがないだろ。
     これは無理だなって思うことでも、それが自分にとって必然であればきっと実現するんだ。」

    カワバタは、後輩のナカヤマに言います。
    「俺たちジャーナリストがこの世界で見逃していけないのは、過剰な不幸、過剰な貧困にあえいでいる人たちの姿だ。
     その人たちのために自分には何ができるか考えろ。俺たちにできることもやるべきこともそれだけだ。
     この世界がなぜこうも悲惨なのか、なぜこうまで残酷で非人間的なのか。つまりは問題や課題は一体何のために存在するのか、
     その一点に自分の能力を集中しろ。
     お前が座っている席にテスト用紙が配られる。机の上には鉛筆と消しゴムがある。そしたらお前は、テスト用紙を表に返して、
     問題を解き始めるしかないだろう。それが受験生であるお前の努めだからだ。
     人生もそれとまるきり同じだと俺は思ってる。この世界に満ち満ちた難問奇問の数々を必死になってときつづける。
     それ以外に俺たちが生きる意味なんてない。周囲の人間のことが気になって目の前のテストをおろそかにするヤツは落第する。
     落第したくないなら、他人の幸福をねたんだり羨んだりなんて馬鹿げた真似は絶対にしないことだ」


    この胸に深々と突き刺さる矢は何かは、物語の後半に出てきます。
    カワバタの人生はどうなるのでしょうか、ガンは再発しないのでしょうか。
    カワバタに安らげる日は来るのでしょうか?

    それにしても、人生や生死について、色々と考えさせられる小説です。おすすめ本です。



    NO.25 切れた鎖  田中慎弥   新潮文庫    
    日本文学の荒野を切り開いて進んで行く可能性が有ると私は思っている小説家の一人が田中慎弥です。
    連作集で、「不意の償い」、「蛹」、「切れた鎖」の3編が入っています。
    どれも面白いですが、切れた鎖を紹介します。

    田中慎弥は物語作家です。基本的には私小説作家ではないと思います。
    自身の想像力をたよりに、小説世界を構築していきます。
    しっかりした文体、溢れ出るイメージ、タブーに切り込む暗く、重い主題が特徴です。
    ですから、田中慎弥の小説世界を言葉で説明するのは、非常に難しいのです。
    作品を読んでもらうのが一番です。
    イメージの作家です。
    初期の作品の「図書準備室」、「冷たい水の羊」は、重く暗く、変態的なテーマでした。
    現代に切り込んでいくには、そのようなテーマにならざるをえなかったのでしょう。
    鮮やかなイメージ、自身の想像力で小説世界を構築していくというのは、「共喰い」でも変わっていません。
    今回とりあげる「切れた鎖」も同様です。

    コンクリートの製造と販売で栄えた桜井一族の桜井梅代が主人公です。
    梅代の両親、夫の重徳、娘の美佐子、孫娘の美佐絵が登場人物です。
    梅代の両親、梅代、美佐子、美佐絵の人生が語られています。
    また桜井家のすぐ横にある信仰宗教の教会との関係も語られていきます。


    桜井家のすぐ横に信仰宗教の教会ができます。
    重徳は、教会の女と関係を持ちます。
    その事を知った梅代の母は、重徳を清めると言って、重徳を裸にして、
    塩を身体に塗りたくり、それから身体をたわしでこすります。
    重徳は痛みにのたうちまわります。

    梅代と母が話します。
    「重徳とうまくいってるかどうかっていうより、私にもたぶんどこか悪いところがあったんじゃないっかって
     思ってるの」と荒くなりそうな声を抑えて言ったが母はいつも通り背筋をしゃんとさせ
    「いやいや誰が悪いのかじゃなくてね、あんたの体に原因があるんじゃないかって訊いてるの。
     美佐子を産んでからあれが緩んじゃったじゃないの?」


    没落してきた桜井一族がテーマですが、
    この小説は、ストーリーを語る事もあまり意味はないですね。
    とにかく小説を読んで、湧き上がるイメージを味わってください。


    自分と美佐子を泥の中へ引きずり込もうとする掌を足首に感じ慌てて立ち上がり廊下へ出、
    人間の形をした泥の塊と追いかけ合っている赤いセーターに黒いスカートの美佐子が見え、
    硝子戸を開けて庭へ下り魚の尾鰭をつかむみたいに片腕を引っ張って美佐子を体のうしろに隠し、
    降っていない雨の音が聞こえ、泥の塊が洗われ硬そうな生地の半ズボンに長袖シャツの髪を短く刈った男の子に変わった。


    爪を剥ぎ取られた恐竜が血だらけの足で歩くとあんな音がするのだろうか。
    アメリカの爆撃機は描かれている星がはっきりと見えるほど低いところを飛んでいてそのごおっという響きとひいーっという
    爆弾が落下する音に、じゃらじゃらという音は紛れてしまう。
    形が崩れ燃え上がっている丘の頂上に翼のある恐竜が止まって青い目から沼ほどある大きな涙の滴を落とす。
    家のすぐ裏の海には子供の恐竜が溺れかけていて、じゃらじゃらと音をさせて羽ばたこうとする。
    爪を剥がされた傷からの血で海水が濁っている。

    美佐子がいなくなった乳房の間に挟まっている望遠鏡で覗く。地平は朝鮮半島にまで届いているらしい。
    櫓の上にいる母が照射器から強いレーザー光線を発射し、撃たれた上空の爆撃機は凄まじい音で地平にぶつかり
    鋼鉄の外装が剥がれ、翼を持った恐竜に変わる。腐臭がしてくる前にその大きな死骸を巨大な梯子で太陽に運び上げ
    焼いてしまわなくてはならない。母は発射し続けながら、大きいものは下品だ、いんちきだ、偽物だと叫んでいる。


    さっき見たばかりの夢といつだったか見た、沼ほどの涙を降らす恐竜の夢がはっきりと浮かんできた。
    あの男が古い聖書を初めて売りにきた朝だった。動物の夢は妊娠の知らせだ、恐竜は動物なのかなどと考えたのだった。
    記憶と想像が生ぬるい風でもつれ、するとまるで自分の子であるあの男が訪ねてくる合図の夢だったかのようで、
    重徳とあの男、あの男と美佐絵、それぞれの親子の可能性を凌ぐ、あるはずのない確実な血のつながりが自分とあの男との
    間にあるのだとの錯覚が起こり、これは教会に霞がかかっていると思えたり幻の鎖の音を聞いたりするのと同じことなのだろうかと
    自分の感覚を疑い・・・・・・

    没落していく桜井一族の話が続いていきます。



    作品の中でイメージを鮮やかに示す、物語作家は、精神の消耗がはげしいと思います。
    田中慎弥は、それに耐えて精進してきた作家だと思います。
    田中慎弥が「定職に就かず、小説を書かない日は、1日もなかった」と言ってるのを
    どこかで読んだ記憶が有ります。

    自身の想像力を信じて、小説と格闘してきた作家だと思います。
    その一つの頂点が「共喰い」だと思います。
    私は、今後を注目している作家です。

    NO.26 共喰い  田中慎弥   集英社    
    またまた、私が将来を期待している田中慎弥の小説の紹介です。

    田中慎弥のそれまでの小説は、重い主題とイメージの奔流という感じでしたが(特に「冷たい水の羊」と「切れた鎖」)、
    この共喰いは、イメージの奔流は有りますが、従来より控えめになっていて、
    ストーリーで読ます感じにもなっていて、すなわち、小説としての完成度がUPしていると思います。
    すなわち、俳優の演技で言うと、今回の映画での主演男優Aの演技は、抑えた演技で情感を出して、素晴らしかったね、一段、芸が上がったねという感じなのです。


    主人公は、17才の篠垣遠馬と父と、産みの母の仁子さんと、現在の父の同棲相手の琴子さんと、遠馬のガールフレンドの千種です。
    仁子さんは魚屋をやっています。琴子さんは飲み屋で働いています。遠馬の父は、いろいろとあやしげな仕事をするかたわら、女を渡り歩いています。
    遠馬と千種はSEXをする仲になります。千種は処女だったので、SEXはまだ痛いだけだと言っています。

    下関の川沿いの村の情景と人々の暮らしが、みごとに語られています。

    ボラの子が塊になって泳いでいる。岸の泥には大きな蜘蛛の群れのように鳥の足跡が散らばり、嘴で餌を探したらしい部分には黒いへどろが見える。
    ・・・・・・・・・・・・・
    こんなにおいで、しかもあんな父のいる家なのに、このにおいを嗅ぐと遠馬はいつも、帰ってきたという気になる。嬉しのでも苦しいのでもない、
    川を川だと改めて思うことも、橋を橋だと思うこともないのと同じ、いつもの感覚だ。


    遠馬と千種の会話です。
    「しよる間は思いよらんけど、終わってみたら、親父と俺、やっぱりおんなじなんやなあって。とにかくやるのが好きなだけなんやなあって」
    「馬あ君は殴ったりせんわあね」
    「殴ってから気がついても遅いやろうがっちゃ」
    ・・・・・・・・
    「そっちは気持ええやろうけど、こっちはまだ、痛いだけやけえ」


    遠馬の父は、女とSEXする時に、自分の快感を高めるために、女を殴るのです。
    それが原因で、父と仁子さんは別れました。

    父が腰を振動させながら上半身を反らせると、琴子さんの髪をつかみ、反対の手で頬を張った。肉の音から少し遅れて琴子さんの吐息が出、
    それに反応したように父の動きが速くなり、両手を首にかけて締め上げる。腰がほとんど機械的に上下動をし、父は頭を天井へ向かって
    突き上げると、水が小さな穴に吸い込まれるのに似た声を出し、硬直し、崩れ落ち、荒い呼吸をしていたが
    ・・・・・・・・・・・・・
    関節が外れてしまった感じの恰好で伸びている琴子さんの体と、それをじっと眺めているらしい父の下半身だけが、一階の天井と階段の
    手摺の間から見えた。

    目つきが父と似ていると言われる遠馬は、女性を殴る事はしないのでしょうか?


    物語の中盤以降、祭りの日が近ずいてから、例によって、イメージの奔流が始まり、物語はクライマックスを迎えます。
    これ以上は語らないので、とにかく読んでみてください。

    共喰いに比べると、西村賢太の私小説は平板に思われてきます。
    (西村賢太は、とても才能の有る作家だとは思いますが)
    こんな事を言うと、西村賢太さんは怒るでしょうか。


    「あれは、悪いのはあなたの方だよ」
    眉根を寄せて、厭ったらしそうにほき出した。これには私はさらにカチンときて、
    「だってあの百姓ホームページ作者が、小学生の作文以下の文章しか書けないホームページ作者が、
     俺の作品は、田中慎弥の作品に比べると平板だなんて言うから、注意してやったら、生意気にも反撃してきやがっただろう。
    あれだから、田舎者とは相容れないよ。ぼくは別に悪いところなんてなかったじゃないか」
    「そんなことないわよ。あなた、あのおじさんに、ヘンなこと言ったじゃない。ジャマだとかなんだとか。
    いきなりああいう風に言われたら、そりゃ誰だって怒りだしちゃうよ」
    「あの百姓のマナーがいけねえから注意しただけじゃないか」
    「だから、その百姓とか言ったのが悪いっていうんじゃないの」
    「しかし、何だな、おまえもとうとう、薄暗いおさとを明かし始めてきたな。でも、あれだ。
    少なくともこのぼくと一緒にいようっていう女ならばよ、あのうすぎたない、田中慎弥のまわし者の、犬になめられて喜んでいる、あの百姓ホームページ作者の
    肩をもつんじゃないぞ」
    (暗渠の宿の西村賢太風に書いてみました。)


    「図書準備室」、「冷たい水の羊」、「切れた鎖」と、物語作家、イメージ作家として努力を続けてきた作家の田中慎弥が「共喰い」で、一つの高みに到達したと思います。
    今後、日本文学の荒野を切り開き、どのような作品を提示してくれるのか、楽しみです。

    NO.27 中陰の花 玄侑宗久 文春文庫    

    僧侶の則道が主人公です。則道の妻は圭子です。

    則道の知り合い、おがみや(将来の事が見え、指導する人)のウメさんが死ぬところから、物語は始まります。 ウメさんは、自分の死ぬ日を予言しました。その日に呼吸が止まったのですが、医師の蘇生処置で息を吹き返しました。
    2回目の死の予言日にウメさんは死にました。

    人の生死がこの小説のテーマになってます。

    圭子が言います。 「なあなあ、人が死なはったら、地獄行ったり、極楽行ったり、ほんまにあるうやろか」
    「知らん」
    「知らんて、和尚さんやろ。どない言うてはんの、檀家さんに」
    「そりゃ相手次第や。極楽行こう思って一所懸命生きてる人の邪魔はしないけど、今の世の中、地獄へ行くぞと脅かしても
     誰も聞いてくれないよ」
    ・・・・・
    「そしたら別な訊き方するわ。人は死んだらどうなんの?」
    「仏教では、基本的には質量不滅の法則で考えてるんだ」
    「質量不滅の法則?」
    「そう。たとえばコップの水が蒸発する。そうすると水蒸気はしばらくはこのへんにあるやろ」
     「それが中有とか中陰と呼ばれる状態」
    「つまりこの世とあの世の中間ってこと」
    「それから水蒸気はどんどん広がる。窓から出てって空いっぱいに広がっていく」
    「それで広がってどうなるの」
    「あまねくゆきわたる。コップの中の水は、コップからはなくなったけど、この地球上から無くなってはいないわけだ」

    則道は、ほとんど眠らない座禅修行中に、同じ修行をしている3人の僧侶から緑色のオーラが出ているのが見えた。
    その時、老師が言った。「座禅しているといろんな幻覚を見るもんじゃが、そんなものにだまされてはいかん。
    飽くまでもそれは幻覚じゃ。それを乗り越えてまた座るんじゃ」その言葉で、則道は現実にもどった。

    石屋の徳さんは、個人的な修行で、座禅により、朝露の水滴の中に入って自在に移動できるようになり、せせらぎから湖、
    そして海に移動したという話をしました。
    それを聞いて、則道は、この話は禅宗では妄想といって切るだろうが、たとえば中性子がまとまって浮遊している状態と考えられなくもないと思います。
    単なる妄想だとも思っていません。わからないと思っています。

    圭子は、人が成仏する時、何かしるしが現れるはずだと思っています。たとえば光のスジが見えるとか。
    圭子は包装紙を細かく破ってたくさんのこよりを作っています。
    則道と圭子は、流産した二人のあいだの子供とウメさんの供養を行います。
    圭子はウメさんは、まだ成仏できていないと思っているので、供養を行います。
    供養の時に、成仏のしるしは現れたのでしょうか。
    また中陰の花とは何のことでしょうか。
    この本を読んでください。

    心に響く小説です。おすすめ本です。

    NO.28 恋文 連城 三紀彦 新潮文庫    


    30年ぐらい前にこの小説を読んだ時は、とても感動した記憶がありますが、今、読み直しても、いい小説だと思います。

    35才、出版社で働く郷子が主人公です。
    1才年下の夫は将一です。小学校4年の息子は優です。結婚して10年になります。
    将一は、中学校の美術の教師をしている。
    将一は、突然、家出します。昔の彼女の江津子が訪ねてきて、白血病で余命が半年ぐらいしかないと聞いて、彼女を支える決心をして
    家を出たのです。将一は、学校の教師をやめ、魚屋で働きながら、江津子の入院している病院へ通います。
    郷子は将一に会いにいって、事情を聞き、半年だけならという条件で、将一の家出を認めます。
    郷子は、自分を、将一の従姉ということにして、病室の江津子を見舞うようになります。


    死期のせまった江津子と結婚したいので、別れてくれと、将一は郷子に言います。
    「このあいだひどく顔色悪かったから心配はしてたけど・・・でもだからってどうして私たちが離婚しなきゃならないのよ」
    「今まだあいつ生きてるからさ。元気残ってるから。今のうちなら結婚式あげられるから」
    「君、俺に惚れてくれてるのかな」
    「・・・・・・・」
    「いや、惚れてくれてる。だから君、今まで俺の好きなようにさせてくれてきた。それは感謝してるよ。
     虫のいいこと承知で言うけど惚れるって、相手に一番好きなことをやらせてやりたいっていう気持ちのことじゃないかな。
     本当に惚れるってそういうことだよ」
    ・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・
    「じゃ百歩譲って式だけはあげるとしてよ、どうして離婚までしなきゃならないの」
    「俺、きちんとしたいんだよ。形だけ式あげるなんて、あいつ可哀そうだよ」
    「死んでいく人にはきちんとして、生きていく私や子供にはきちんとしなくてもいいっていうの。
     あんたの言ってることはね、子供がお金ももたないで玩具屋の主人に玩具くれってせがんでるのと同じよ」


    郷子、将一、江津子、優の運命はどうなるのでしょう。
    郷子は、将一にラブレター(恋文)を書きますが、それはどんなラブレタ−でしょうか。
    心に響く小説です。
    おすすめ本です。