キリスト教とは何かを教えてくれるおすすめ本

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    キリスト教は何?って問われると、答えるのは難しいと思います。

    キリスト教とは何かを教えてくれる本を紹介します。




    NO.1はじめての聖書  橋爪大三郎 河出書房新社     


    「はじめての聖書」は、聖書をわかりやすく紹介した本です。
    二部構成です。

    第一部では、旧約聖書から「聖書」、「天」、「アダムとイブ」、「ノアの方舟」
    「アブラハム」、「イスラエル」、「モーセ」、「十戒」、「サムソンとデリラ」
    「ダビデ、ソロモン」、「預言者」、「奇跡」、「イザヤ」、「苦しみ」、「ヨブ」
    「ルツ、エステル」について、わかりやすく語られています。

    第二部では、新約聖書かた「神」、「罪」、「洗礼者ヨハネ」、「愛」、「赦し」
    「パリサイ人」、「マグダラのマリア」、「ペテロ」、「富」、「サマリア人」
    「最後の晩餐」、「死」、「復活」、「メシア、キリスト」、「聖霊」、「パウロ」
    「結婚」、「権威」、「最後の審判」、「黙示録」について、わかりやすく
    語られています。


    聖書とは何かを知りたい方は、この本を読んでください。


    簡単に少しだけ、内容を紹介します。


    「神」
    神は全知全能で、世界のすべてを支配しています。
    神が知らないうちに何かが起こった、などということはありません。
    言い換えると、どんな出来事も、すべて神の意思で、神からのメッセージ
    ということになります。
    神との対話が大切になります。神は私に、何を伝えようとしているのか。
    私はどうすれば神の意思にかなうことになるのか。
    この不断の対話を、祈りといいます。

    イエス・キリストは、いまは天で、父なる神の右隣にすわっています。
    そして、終末のときに再びやってきて、「最後の審判」で
    人びとを裁きます。
    審判で赦されて、救われた人びとを、「神の王国」に招きます。




    「愛」 愛こそはキリスト教。キリスト教は愛。
    愛は一番大事な考え方です。

    新約聖書の言葉であるギリシャ語の愛はアガペー(相手に価値がなくても愛する)です。
    神の愛はアガペーです。

    神の眼から見れば、人間なんか、価値がない。むしろ罪があって、マイナスです。
    価値がない人間を、それでも愛する。
    神には何の得にもならないので、無償の愛です。

    パリサイ人がイエスのところにやって来た。
    このひとは、イエスに教えをこいに来た。
    「イエスさん、旧約聖書の律法のなかで、大事な教えはなんですか」
    イエスは答えて、言います。
    「第一に、あなたの心を尽くし、精神を尽くして、あなたの主である神を
    愛しなさい。それから、もう一つも同じように重要だ。
    あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい。
    旧約の律法はすべて、この二つの掟にもとづいている」
    そこで、旧約聖書にたくさん書いてあったユダヤの律法が、
    キリスト教では「神を愛せ」、「隣人を愛せ」の、
    たった二つになってしまいました。


    人間は自分を愛していいのです。自分は欠点もあるし、罪深くもある。
    でもこんな自分を、神は愛してくれている。
    自分を愛することは、生きていくために必要です。
    じゃあ、隣人はどうか。隣人にとっては、隣人が自分です。
    隣人も自分自身を愛していいのです。
    そんな隣人を、神は、私とわけへだてなく愛しています。
    そのことを、承認しなさい。
    それが「自分を愛するように、隣人を愛する」意味だと思います。



    橋爪さんは、下記のように書いています。

    神は全知全能、といわれます。
    「全知全能」とはどういう意味でしょう。
    「全知」は、なんでも知っている。
    「全能」は、なんでもできる、です。
    神はなぜ全知かというと、天地を創造し、この世界を
    造ったからです。
    全能は、どんな出来事も起こせること。
    自然は自然法則によって機械的に動いているように思えますが、
    それは実は神の命令によってそう動いているのです。
    神はいつでも、自然法則と違った出来事(奇跡)を、起こせるのです。
    「全知全能」は、「主権」と言っても同じです。
    神の主権の考え方は、自分がこの世に生まれたことを
    どう理解するかに関係します。

    ジョンというひとが、1800年に生まれて、1890年に亡くなったとします。
    神はジョンが1800年に生まれることを知っていたか。知っていた。
    天地創造のはじめから知っていました。と言うか、ジョンが1800年に
    生まれるようにさせているのは、神です。
    ジョンが生まれるについては、ジョンの両親の役目が大事そうに思えますが、
    しょせんそれは媒介変数で、ジョンに個性と命を与えているのは、神なのです。
    ジョンはアダムと同じように、神の手で造られたのです。
    ジョンがものごころついて、生まれたことを誰に対して感謝すればよいかと言うと、
    それは神に対してです。

    ジョンが1890年に亡くなるのを、神は知っていたか。知っていた。
    ジョンは自分の寿命を、一日でも延ばすことはできないのです。
    ということは、亡くなるその日まで、ジョンの心臓を動かし、命を
    支え続けているのは、神です。
    ジョンの一生そのものが、神の恵みであることになります。
    ジョンが学校に行ったのも、仕事がみつかったのも、結婚して
    子供ができたのも、みな神の恵みです。
    恵みは、奇蹟の別名です。
    この世界のすべてのことが奇蹟であるとは、こういう意味です。
    自分が生きていることには、理由がある。自分がここにいて、よかった。
    そう思えるなら、この世界のすべての出来事は、メッセージなのではないでしょうか。
    キリスト教の世界で、神を信じて生きる人びとの感覚は、こうしたものではないでしょうか。


    上記のように考えることができたら、この世界を、清らかに、前向きに、感謝して
    生きていける気がします。
    無宗教の私は、怒りにまかせて暴言を人に言ったりして、後悔することが有ります。
    修行が足りないと反省することが多いです。
    今生きていることには、理由がある、自分がここにいてよかったと思えたら、
    つまらない怒りにとらわれることはないでしょうね。(H.P作者)



    NO.2 ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎、大澤真幸  講談社現代新書        
    社会学者の橋爪大三郎さんと大澤真幸さんがキリスト教について
    対談する形式になっています。

    大澤さんが問題提起したり、質問したりして、
    橋爪さんが、これに答えるという形式になっています。


    下記の構成になっています


    第1部:一神教を理解する
    ・ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか
    ・ユダヤ民族の受難
    ・律法の果たす役割
    ・原罪とは何か
    ・全知全能の神がつくった世界に、なぜ悪があるか
    ・奇蹟と科学は矛盾しない
    ・その他


    第2部:イエス・キリストとは何か
    ・奇蹟の真相
    ・イエスは神なのか、人なのか
    ・「人の子」の意味
    ・キリスト教の終末論
    ・愛と律法の関係
    ・ユダの裏切り
    ・キリスト教をつくった男・パウロ
    ・その他


    第3部:いかに「西洋」をつくったか
    ・聖霊とは何か
    ・教義は公会議で決まる
    ・ローマ・カトリックと東方正教
    ・ギリシア哲学とキリスト教神学の融合
    ・宗教改革
    ・利子の解禁
    ・自然科学の誕生
    ・芸術への影響
    ・無神論者は本当に無神論者か
    ・キリスト教文明のゆくえ


    この本を読むと、キリスト教のことについて、
    色々なことがわかると思います。
    おすすめ本です。


    内容を一部だけ紹介します。

    第1部:一神教を理解する
    9.全知全能の神がつくった世界に、なぜ悪があるか

    一神教の場合、Godとの対話が成り立つ。それはGodが人格的な
    存在だから。
    「神様、世界はなぜこうなっているんですか」
    「神様、人間はなぜこんな苦しみにあうのですか」
    そう訴えてもいいし、感謝でもよいので、Godへの語りかけを繰り返す。

    この、Godとの不断のコミュニケーションを、祈りといいます。
    祈りをとおして、ある種の解決が与えられると、赦しといって、Godと人間の
    調和した状態が実現する。赦しがえられるまでは、悩みや苦しみに
    圧倒され、Godのつくったこの世界を受け入れられない、理解できない、という
    状態が続く。
    悩んで、いくら考えても、答えはえられない。
    何かの罪を犯した罰なのかと考えてみても、思い当たる原因は見つからないでしょう。
    そうすると、残る考え方は、これは試練だ、ということ。
    このような困った出来事を与えて、私がどう考えどう行動するのか、Godが見ておられると
    考える。
    祈りは、ただの瞑想と違って、その本質は対話なのです。
    人間にとっては、人生のすべてのプロセスが、試練(神の与えた偶然)の連続なのであって、
    その試練の意味を、自分なりに受けとめ乗り越えていくことが、神の期待に応えるという
    ことなんです。
    この世界が不完全なのは、楽園ではないから。そして、人間に与えられた罰だからです。
    そういう不完全な世界を、神様の意思に反しないように、正しく生きていくのが、
    人間のつとめです。

    試練とは現在を、将来の理想的な状態への過渡的なプロセスだと受け止め、言葉で認識し、
    理性で理解し、それを引き受けて生きるということなんです。
    信仰は、そういう態度を意味する。


    第2部:イエス・キリストとは何か
    11.愛と律法の関係

    イエスは、パリサイ人の質問に答えて言った。
    モーセの律法で大切なのはこれだ。
    「第一は、心をこめて、あなたの主である神を愛しなさい。
    第二は、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。律法はこの二つに
    尽きている」
    たくさんあった律法が、たった二条になってしまった。
    しかも、両方とも、愛なのです。

    隣人愛のいちばん大事な点は、裁くなということです。
    人が人を裁くな。なぜかというと、人を裁くのは神だからです。
    人は、神に裁かれないように、気をつけていればいい。
    神に裁かれないためには、自分がほかの人を裁かないということです。
    愛の中身はこれなんです。
    律法はね、人が人を裁く根拠に使われたんですよ。
    だから、なくした。



    「ふしぎなキリスト教」を読むと、キリスト教はどのようなものか、
    よく理解できると思います。
    橋爪さんの回答が、いつの場合も明確なので、感心しました。
    新約聖書は、愛を説いている宗教です。

    日本には、あまりキリスト教は普及していません。
    日本人は、やおろずの神を信じてきたからでしょう。
    山には山の神がいて、川には川の神がいる、
    いろいろなところに神がいると思ってきた民族ですから。
    一神教を信じる風土ではないのですね。



    NO.3