高校生おすすめ本(海外の名作小説)

  • 私の好きな本、おすすめ本のH.Pへ
  • 高校生へのおすすめ本を紹介します 高校生には、世界の名作を読んでもらいたいです。
    読むのに少し骨が折れるかもしれませんが、
    小説の持つ深い世界と、小説を読む喜びを教えてくれる本を紹介します。

    この世界はどのような世界なのか、その奥にはどのような意味があるのか、
    世界とどのように対峙すれば良いか、それらの事にヒントを与えてくれる本だと思います。
    ここで紹介している小説は、大人の人にもおすすめの、世界のすぐれた傑作小説です。



    NO.1ブリキの太鼓 グラス 集英社文庫1,2,3巻     


    私にとって、今までの古今東西の小説のNO.1は、グラスのブリキの太鼓です。
    小説の深さを教えてくれる小説だと思います。
    全3巻です。オスカルの長い旅の物語ですが、オスカルの母がオスカルと共に主要人物として
    登場している第一巻が一番好きです。

    オスカルは、雑貨屋のマツェラートとその妻アグネスの長男です。
    マツェラートはドイツ人です。
    ポーランドのダンツィヒに生まれました。
    3才の誕生日に地下倉庫に転落して、それが原因で発育が止まってしまいます。
    身長は94cmで止まってしまいます。
    3才の誕生日のプレゼントにブリキの太鼓をもらい、
    太鼓をたたくのが趣味になります。

    オスカルは、声を出して、声でガラスを割ることができます。


    母アグネスは、ヤン・ブロンスキーという男と不倫しています。
    オスカルは、ヤン・ブロンスキーが自分の本当の父ではないかと疑っています。
    ヤン・ブロンスキーは、ポーランド人です。

    ダンツィヒの人々は、戦争によって翻弄されます。
    ドイツに占領された後は、第二次世界大戦で、ロシアに占領されます。


    オスカルは、学校にも1日しか行きませんでした。
    小人で教育も受けていないオスカル、大きなマイナスを負っていると思われるオスカル。
    しかし彼には多くの思い出と物語があります。
    それらが語られていきます。
    母アグネスの事、父マツェラートの事、ヤン・ブロンスキーの事、初恋の相手マリーアの事、
    慰問劇団員として共に旅行した小人のベブラ大尉とその愛人のロスヴィータの事等々。
    ロスヴィータは、人の心を見ることができ、人の運命がわかります。
    戦争で殺された多くの人々の事等も物語られます。

    オスカルは、その後も石工をしたり、画家のモデルをしたり、ブリキ太鼓の演奏者をしたりします。
    オスカルの長い旅が物語られます。小説を読んでください。


    オスカルが母親を回想した文が素晴らしいです。

    母はとても陽気になることができた。
    母はとても臆病になることができた。
    母はすぐ忘れることができた。
    母はそれにもかかわらずもの覚えがよかった。
    母はぼくを風呂の水といっしょに流し捨てたが、
    ぼくと一つ風呂に入っていた。
    母はときどきぼくから消えていなくなったが、
    ぼくを発見する能力が彼女には備わっていた。
    ぼくが歌でガラスを壊すと、母はパテでくっつけた。
    彼女はときどき、まわりに椅子があるというのに、不義の上に
    腰かけた。
    母は隙間風を恐れていたが、絶えず風を起こした。
    ぼくは彼女のカバーの裏側だった。
    母が死んだとき、ぼくの太鼓の胴の赤い焔はいきつか色褪せた。

    身長94cmで、声でガラスを割ることができ、ブリキの太鼓をたたくオスカル。
    悪魔的なところも有る彼は、多くの思い出、物語を抱えて、しぶとく生き抜いていきます。
    彼の物語を読んでください。おすすめの小説です。

    NO.2ブッデンブローグ家の人びと トーマス・マン 岩波文庫上、中、下     


    最近、トーマス・マンの「ブッデンブローグ家の人びと」を読み返して、その素晴らしさに
    しびれました。
    古今東西の小説のNO.2にします。

    卸売商家のブッデンブローグ家の家と家族の物語です。

    トーマス・ブッデンブローグは商家の3代目の代表経営者です。
    父親はコンズル・ブッデンブローグで、祖父はヨハン・ブッデンブローグでした。

    祖父は力のある商売人で、商家を発展させます。
    父のコンズルは、敬虔なプロテスタントで、堅実な商売をしました。

    トーマスには弟のクリスチアン、妹のトーニとクララがいます。
    クリスチアンは体が弱く、道楽者で、商売をしても長続きしません。
    トーニは、2回結婚しますが、問題が起こって、
    2回離婚し、出戻りになります。


    ふいに、トーニの上唇がひくひく震え始めた。
    「これからは、兄さん一人で働かなくちゃならないのね」とトーニは言った。
    「クリスチャンは、あてにならないようだし、わたしは
    これで駄目になって、・・・・・これで旗を巻いて
    しまって、なんにもできなくなったし・・・・・
    そう、これからは、兄さんたちに食べさせてもらわなくちゃ
    ならなくなったのよ、なんの役にも立たない女ね。
    兄さんのお役に少しでも立ちたいと思ったのに、
    こんなみじめなことになろうとは、考えなかったわ、トム。
    ブッデンブローグ家のわたしたちが、今の地位を保っていくのに
    兄さん一人に苦労がかかっていくのね」


    トーマスは一生懸命に働きますが、商会の資産は
    少しずつ減ってきています。
    小口の取引が多くなってしまっているのです。

    トーマスはゲルダという女性と結婚します。
    二人の間には、ハンノという名前の男の子が
    生まれます。
    ハンノは成長して、10代の少年になります。
    ハンノは音楽を愛し、ピアノを弾き、オペラを観るのが好きですが、
    体が弱く、学校の勉強が得意でなく、現実適応力に
    問題があります。

    ブッデンブローグ家はどうなっていくのでしょうか?


    クリスチャンはトーマスに言います。
    「兄さんは人生で地位を築きあげたよ、立派な地位を。
    兄さんは、その地位の上に立って、落ち着きを少しでも
    なくさせるもの、バランスをうしなわせるものを、冷ややかに
    はっきりと意識していて、そういうものをどれも認めまいと
    しているんだよ。バランスを失わない、兄さんにはこれが
    なによりも大切なんだ。しかし、バランスなんてものは、
    最も大切なものじゃないよ。トーマス、神の目から見たら、
    主要なことでもなんでもないよ。兄さんはエゴイストだよ。」


    「ブッデンブローグ家の人びと」は、上、中、下の全3巻です。
    長い小説ですが、面白い小説です。
    ストーリーを紹介するだけでは、この小説の魅力を
    伝えることはできません。是非、読んでみて下さい。

    たくさんの登場人物のうまい描写、生き生きとした会話が
    魅力的です。

    そして、いつの世でも、人間が抱えている、喜び、悲しみ、
    うぬぼれ、嫉妬、苦しみ、絶望等について書かれている小説です。
    この世界とはどのような世界なのか、この世界で
    どのように生きていくべきか、何が正しく、
    何が悪なのかなどについて、深く考えさせて
    くれる小説だと思います。

    NO.3存在の耐えられない軽さ クランデ  集英社文庫     



    私にとって、今までの古今東西の小説のNO.3は、
    クンデラの「存在の耐えられない軽さ」です。

    小説の深さを教えてくれる小説だと思います。
    男女の愛は何かを考えさせてくれる小説だと思います。
    また、ロシアの共産主義の抑圧に苦しむチェコ人の姿も描かれています。



    外科医師のトマーシュは、性愛ハンターです。
    25年間で関係した女性は200人と豪語する人間です。
    トマーシュが6つの偶然で、ウェイトレスのテレザと出会います。
    テレザはトマーシュを訪ねてきます。
    テレザとトマーシュは愛し合います。
    トマーシュは、テレザに、籠に流されてきた子供に対するような
    愛情を感じました。
    テレザとトマーシュは結婚します。
    結婚後も、トマーシュの性愛ハントは続きます。
    トマーシュの浮気にテレザは苦しみます。
    他の女性への性愛と、テレザへの愛は、全く違うものだと
    トマーシュはテレザに説明しますが、テレザは納得できません。
    テレザは悪夢にうなされるようになります。

    トマーシュは、共産主義に対して批判的な文章を書いたということで、
    医師の職を失い、窓ガラス拭きになります。
    トマーシュとテレザの愛はどうなるのでしょうか。

    トマーシュは、最初の妻と離婚してから、
    愛人しか作らないようにしてきました。
    セックスはしても、ベッドで一緒に眠らないという
    ルールを作りました。
    しかし、トマーシュはテレザと一緒に眠るようになります。

    トマーシュは、女と愛し合うのと、一緒に眠るのとは、
    まったく違う二つの情熱であるばかりか、対立するとさえ
    いえるものだといっていた。
    愛というのは愛し合うことを望むのではなく、
    一緒に眠ることを望むものである(この望みは
    ただ一人の女と関係する)



    女性で画家のサビナは、学者のフランツの愛人です。
    フランツの妻は、マリー・クロードです。
    フランツがマリー・クロードにテレザが愛人である事を告白し、
    テレザと共に暮らそうとした時、テレザはフランツから去っていきます。
    なぜでしょうか?
    フランツは、眼鏡をした女子学生と愛し合うようになります。
    フランツは、カンボジアへの行進へ参加する事にします。
    国際医師団のカンボジア入国をベトナム人が拒否したので、
    国際医師団と共に、カンボジア国境まで一緒に行進するのです。
    フランツはどうなるのでしょうか?


    サビナは、ピューリタン的で禁欲的な父親に反感を持ちます。
    共産主義にも反感を感じます。
    共産主義が別な父親にすぎず、同じように厳格で、制限つきで、
    恋やピカソを禁止するからです。

    サビナは裏切りの人生を歩き始めます。
    裏切りとは隊列を離れて、未知へと進むことです。
    サビナがたどり着くところは、存在の耐えられない
    軽さです。裏切りの人生のたどり着くところ、
    空虚なところです。


    人間の脳の中には、詩的な記憶とでも名づけられるような、
    領域が存在し、トマーシュがテレザと知り合ってから、どんな他の
    女も、トマーシュの脳のこの部分にほんのちょっとした足跡さえも
    残すことができない。
    詩的な記憶の領域は、男女の愛と関係している。

    トマーシュは、テレザ以外の関係した女とは、性的な征服の
    険しい小道のみを記憶しているが、これは愛ではない。

    性愛と愛って、本当に違うものなのでしょうか?
    この小説ではそのように書いてます。

    愛する人は、脳の詩的な記憶領域に入っていくそうです。


    愛というのは、一緒に眠ることを望むものなのでしょうか?
    結婚している男の方、いびきがうるさい等と言われて、
    奥さんと寝室を別にされたら、それは愛のピンチです。(H・P作者)



    NO.4人間の絆 サマセット・モーム  新潮文庫上、下     



    サマセット・モームの「人間の絆」を読み返して、素晴らしいと思ったので、NO.4にします。

    小説の深さを教えてくれる小説だと思います。
    フィリップの人生を描きながら、普遍的な人生の姿が描かれていると思います。




    主人公のフィリップは、幼くして両親が死んでしまい、
    おじのプロテスタントの牧師のケアリ夫妻に引き取られます。

    フイリップは、生まれつき蝦足(ビッコ)です。

    フィリップは、子どもの頃は、キリスト教を信じていました。
    牧師の養成学校であるキングス・スクールに入学して
    寮生活を始めます。

    フィリップは学校を優秀な成績で卒業できそうでしたが、
    これは違うと思い、教師や伯父の反対を押し切って
    学校を退学します。
    そしてロンドンで経理の仕事を始めますが、経理の仕事は
    向いていないので、会社を辞めます。

    フィリップは、パリに行き、美術学校に入学します。
    絵描きになるのが目標です。
    学校でたくさんの友人もできます。
    2年間、学校に通います。
    フィリップは、自分に画家としての才能が乏しいことがわかります。
    画学校を辞めることにします。
    伯父はフィリップの見通しの甘さに文句を言います。

    フィッリップは、ロンドンの聖ロカ医学校に入学して、
    医師になることを目指します。
    フィリップの人生はどうなっていくのでしょうか?

    フィッリップは、ミルドレッドという若い女性と知り合います。
    ミルドレッドに心惹かれてどうしようもないのです。
    ミルドレッドはフィリップのことをパトロンぐらいにしか
    思っていないようですが。
    二人の仲はどうなっていくのでしょうか?

    フィッリップはノラという女性に好かれます。
    ノラは優しく賢い女性です。
    フィッリップはノラを好きですが、
    どうしてもはすっぱで馬鹿なミルドッレドに
    心は惹きつけられてしまいます。

    フィッリップは、青年になり、神が信じれなくなり、
    無神論者になります。
    人生の意味もわからなくなります。
    クロンショーという思想家が、フィリップにペルシア絨毯をくれます。
    「この絨毯が人生の意味は何かという疑問に答えてくれるだろう」と
    クロンショーは言います。
    フィッリップはその意味がわかりませんでしたが、
    人生を遍歴して、やっとその意味がわかるようになります。
    フィッリップが見つけた人生の意味とはなんでしょうか、
    是非小説を読んでください。


    おそらくノラは、ミルドレッドとともにあるよりも
    はるかに彼を幸福にしてくれる女に相違ない。
    要するに、彼女は、彼を愛しているのだが、ミルドレッドにいたっては、
    彼の援助を感謝している、ただそれだけにすぎないのだった。
    だが、結局するところ、大事な点は、愛されるということよりは、
    愛するということなのだ。
    そして彼は、ほとんど心を傾けて、ミルドッレドを愛し求めて
    いるのだった。
    ノラと一緒に、午後中過ごすよりは、むしろただの十分間でもいいから、
    ミルドレッドと一緒にいたいのであり、ノラが与えてくれる一切の
    ものよりも、ミルドッレドのあの冷たい唇の接吻一つが、
    はるかに嬉しいのだった。


    文庫本で650ページの上下2巻です。
    ひどく長い小説です。(カラマーゾフの兄弟よりは短いですけど)
    読むのに時間がかかりますが、中学生、高校生には
    是非読んで欲しいです。
    フィッリップの人生が描かれてますが、その人生や思索や恋愛や友情が
    人生の普遍的な描写になっているのです。
    小説の持つ力や魅力を教えてくれる小説だと思います。
    優れた小説というものは、どのような小説かという事を
    教えてくれる小説だと思います。

    ミルドッレドのような、はすっぱで意地悪な女性を好きに
    なると苦労するのですよね。自分は好きで狂いそうなのに、
    ミルドッレドは援助に感謝してるだけで、こちらの事を
    好きではないんですから。
    こっちを好いてくれるノラを好きになった方が人生が
    うまく行くのはわかっているんですよね。
    でも頭でそう思っていても駄目なんですよね。
    心はミルドレッドを追い求めているのですから。
    そして、人生がミルドレッドに引っ張られて
    おかしな方に行ってしまうのですよね。(H.P作者)

    NO.5響きと怒り ウィリアム・フォークナー 講談社文芸文庫     


    4つの章から成っています。
    第1章の主人公は、唖でつんぼで白痴のベンジャミンが主人公です。
    ジェィソン・コンプソンの三男です。
    第2章の主人公は、ジェィソン・コンプソンの長男のクェンティンです。
    第3章の主人公は、ジェィソン・コンプソンの次男のジェィソンです。
    第4章の主人公は、コンプソン家につかえる黒人女性のディルシーです。

    ベンジャミンが愛したものは3つです。
    牧場と姉のキャンダシーと、火の光です。

    ジェィソン・コンプソンの長男のクェンティンは妹のキャンダシーを
    愛して、関係します。キャンダシーが産んだ子供の父親は、クェンティンである
    可能性が示唆されています。
    ジェィソン・コンプソンの長男のクェンティンは、ハーヴァードの大学生の時、入水自殺します。

    ジェィソン・コンプソンの次男のジェィソンは、
    論理的で合理的な男です。
    店員として働き、腐りかけた家の中の腐りかけた家族全員を
    背負ってきました。

    ディルシーは、コンプソン家につかえてきました。
    キャンダシーも、その娘のクェンティンも守ってきました。

    キャンダシーも、その娘のクェンティンも、淫奔な女でした。
    この小説では、「女とは淫奔なものだ」という表記が何回も出てきます。

    意識の流れの手法を使っているので、小説の場面に関係のない回想シーンが出てきます。
    最初はとまどうと思いますが、慣れてくれば、その回想シーンが小説に深みを与えている事がわかると
    思います。

    ウイリアム・フォークナーの小説は、読みやすい小説ではないです。
    でも、テーマは人間にとっての普遍的なテーマが扱われています。
    重厚で神話的なその小説世界は、繰り返し読むと、病みつきになる魅力があると
    思います。




    NO.6 狭き門 アンドレ・ジッド 新潮文庫    


    「狭き門」は、ジッドの傑作だと私は思っています。

    主人公の男はジェロームです。従姉のアリサはジェロームより2才年上で
    アリサの妹のジュリエットはジェロームより1才年下です。

    ジェロームはアリサと子供の頃から仲が良く、二人はいずれ結婚するだろうと
    まわりの人達は思っていました。

    ジュリエットがジェロームの事を好きな事がわかって、アリサは身を引いて、
    ジュリエットとジェロームを結婚させようとします。
    ジュリエットは意地になって、求婚してきたテシエールという商人と結婚します。
    アリサや父親の反対を押し切って結婚します。

    ジュリエットは結婚して幸せになったのだから、僕ら二人も
    結婚して幸せになってもいいだろう、とジェロームは言いますが、
    アリサのジェロームに対する態度は、そっけないものになります。
    ジェロームの気持ちをアリサが受けとめてくれないと、ジェロームは
    思います。

    しかし、アリサには、神への信仰とジェロームへの愛との間に
    身をひき裂かれるような苦しみがあったのです。
    ジェロームはアリサの日記を読んで、その事を知ります。
    二人の愛はどうなるのでしょうか、本を読んでください。


    「あなた」と、アリサは言った。
    そして私の方を見ずに、「わたし、あなたのおそばに
    いると、もうこれ以上幸福なことはないと思われるほど
    幸福な気持ちになりますの・・・でも、じつは、わたしたちは、
    幸福になるために生まれてきたのではないんですわ」
    「では、魂は、幸福以上に何を望むというんだろう?」と、
    私は性急に叫んだ。
    彼女は小声でつぶやいた。
    「きよらかさ・・・」それはいかにも低く言われたので、
    わたしは、それを聞いたというよりも、
    むしろそれと察したのだった。


    わたしは愚痴を言わずにはいられなくなって、
    これほどまでに情けない気持ちになっているかを話してやった。
    「だって、このわたしにどうしてあげられるかしら」と、すぐにアリサが言った。
    「あなたは、いま、影に恋をしておいでなのよ」
    「影にではないんだ、アリサ」
    「心に描いておいでの姿に」
    「ああ、ぼくはそんなものをつくりだしているんじゃないんだ。
    アリサはぼくの恋人だった。ぼくは今、そのアリサに呼びかけてるんだ。
    アリサ、アリサ、君はぼくの恋するひとだったんだ。
    あのころの君は、いったいどうなってしまったんだ?」


    キリスト教の事を良く知っていないと、理解が難しい点があるかもしれません。
    自分の幻影をジェロームは愛しているのではないかと思い、アリサは苦しみます。
    また、恋愛は清らかな愛だけではなく、肉欲もともなうので、
    愛と肉欲に引き裂かれるのも、アリサの苦しみだと思います。
    肉欲は愛にそむくものなのでしょうか?


    アリサは言います。
    「いいえ、もうその時はすぎてしまいましたの。
    恋をすることによって、二人が恋そのものよりもっとすぐれたものを
    ながめることができるようになった日から、
    そうした<時>はわたしたちから離れていってしまいましたの。
    あなたのおかげでわたしの夢は高められ、人の世の満足などは、
    むしろそれをそこねかねないもののように思われだしてきましたの。」



    聖書の言葉です。

    力を尽くして狭き門より入れ。
    滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者多し。
    生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見いだす者すきなし。


    アリサの悲痛な叫びです。
    ところがだめなのです。主よ、あなたが示したもうたその路は
    狭いのです。・・・二人ならんでは通れないほど狭いのです。
    ジェロームとアリサは狭き門から入れるのでしょうか?



    NO.7 田園交響楽  アンドレ・ジッド  新潮文庫        
    牧師の主人公の男は、20才ぐらいの身寄りのない少女のジェルトリュードを引き取ります。
    少女は盲目です。つんぼの老女に育てられたので、無学で口もきけません。

    牧師の家には子供が5人いるので、妻は愚痴を言います。

    牧師はジェルトリュードを教育します。
    ジェルトリュードは知識を覚え、言葉も喋るようになります。
    ピアノも弾けるようになります。

    ジェルトリュードは顔も美しく、心も美しい女性です。

    ジェルトリュードと牧師は、お互いが愛し合っているのに気がつきます。

    ジェルトリュードの目の手術が成功して、目が見えるようになります。
    ジェルトリュードに悲劇が起こります。どのような事が起こるのでしょうか?




    アンドレ・ジッドの小説は文体が平易で読みやすいです。
    でも、深いテーマが扱われています。

    「田園交響楽」、「狭き門」、「背徳者」等、是非読んでください。

    カトリックやプロテスタントの知識がないと、少しわかりにくい点があるかもしれません。



    NO.8 情事の終わり  グレアム・グリーン  新潮文庫  


    主人公の作家のモーリスは、サラと、5年の間、情事を行っていた。
    サラはヘンリーの妻なので、不倫関係だった。

    モーリスがサラと一緒に帰る時に、道でモーリスがサラにキスをした。
    その時から二人の物語が始まったのだ。

    モーリスはサラを深く愛していたが、結局は夫のもとに帰っていくサラの気持ちが
    いま一つ、わからなかった。

    情事が終わってから、サラが新しい情事を始めたのではないかと疑い、
    私立探偵を雇って、サラのことを調べてもらった。
    サラの日記も手に入れた。
    日記には、驚くべき内容が書かれていた。

    爆撃を受けて建物の下敷きになったモーリスを見て、サラはモーリスが
    死んだと思った。実際はモーリスは死んでいなかった。
    モーリスを生かしてくれと、サラは神に祈った。
    祈りを聞きいれてくれるなら、モーリスとの情事は終わりにすると
    サラは誓った。これが情事が終わった真相だった。

    モーリスはサラと再会した。モーリスは、サラとモーリスの愛は使い切っていない、
    二人にはたっぷり愛情は残っていると思い、サラを追いかけるが?

    サラのモーリスへの愛情と、サラの神への愛情、勝つのはどちらでしょう?


    サラの日記の一部を紹介します。
    1944年6月12日

    ときどき私はひどく疲れてしまう。
    彼を愛していて、これからもずっと愛し続けると訴えているのに、
    彼に納得してもらえないからだ。彼は法廷弁護士のように私の言葉尻を
    捉え、それをねじまげてしまう。
    彼は愛が終わったときに現れ出る砂漠を恐れているのだし、それは私もわかっている。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    人は砂漠に何を建てられるだろう?
    何度も愛し合った一日が終わったあと、私はときどき考える。
    セックスの終わりに行きつくことはあり得るのだろうか、と?
    彼も同じことを考えているのが私にはわかる。
    彼も砂漠が始まる地点を恐れているのだ。
    互いを失ったら、私たちは砂漠で何をすればいいのだろう?
    そのあとどうやって生きていけばいいのだろう?
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    神を信じられたら、神は砂漠を満たしてくれるのだろうか?



    不倫の男女が描かれているので、高校生には少し抵抗があるかもしれません。
    でも、好きになった相手にたまたまパートナーがいたというだけのことです。
    (いやらしい中年男の意見ですね)
    でも、男女の愛の形には、本当に色々な形があると思います。
    世間の常識で限定すると、愛をつかみそこなうかもしれません。


    サラはとても魅力的な女性だと思います。

    読みやすい文章で、ハードボイルドな内容の小説です。

    男が女を愛するとは?女が男を愛するとは?神はいるかいないのか?
    神を愛するとはどのようなことか等について書かれた小説です。
    情事を描いた小説かと思って読むと、そのテーマの深遠さに驚く小説だと思います。

    男女の愛とは何かに悩む高校生におすすめします。



    NO.9 郵便配達は二度ベルを鳴らす  ジェームス・M・ケイン  新潮文庫   


    主人公の男は、フランク・チェンバースです。24才です。根無し草の風来坊です。
    カリフォルニアの安食堂で働き始めます。
    食堂のオーナーは、ギリシャ人のニック・パパダキスで、妻のコーラも
    働いています。
    コーラは肉感的な魅力のある女性です。
    年はフランクよりは若いようです。

    フランクはコーラを気に入ります。
    フランクとコーラは深い仲になります。

    コーラは脂ぎったニックのことが嫌いだと言います。
    フランクとコーラは、自動車事故にみせかけて、ニックを殺害します。
    フランクとコーラは、判事のサケットの取り調べで有罪にされそうになりますが、
    優秀な弁護士のキャッツの働きにより無罪になります。

    食堂はコーラとフランクのものになります。
    裁判の時に、フランクは自己保身のために、コーラに不利な証言をします。
    コーラはフランクを信用しなくなりましたが、やがて二人は和解します。

    二人で幸せな生活を送るはずでしたが、物語は悲劇に向かって走り出します。
    どうなるのでしょうか?


    わかりやすい文章で、人間や情景の描写が巧みです。
    フランクとコーラが最初に関係する場面は下記のようです。

    おれは両腕に彼女を抱いて、彼女の唇に自分の唇をぐちゃぐちゃと押しつけた。
    「噛んで!あたしを噛んで!」
    噛んでやった。歯を彼女の唇に強く深く埋めた。
    おれの口の中に彼女の血が噴き出た。その血が彼女の咽喉を伝った。
    おれは彼女を抱えて二階にあがった。


    悪者のフランクとコーラの痴情について書いて有る小説かと思うと、そうではありません。
    二人の愛の物語になってます。すごいです。
    神や魂のことも出てきます。


    ニックを殺害した時、フランクとコーラは愛を誓います。
    コーラが言います。
    「でも、今のあたしたちを見てよ。
    あたしたちは山の高いところにいた。
    あたしたちは高い高いところにいたのよ、フランク。
    あの夜、あそこであたしたちはすべてを手に入れた。
    あたしたちはキスをして、それを封印した。
    あたしたちは世界中のどんなカップルにも手に入れられないものを手に入れたのよ」


    フランクの裏切りを知ったコーラが言います。
    「でも、あたし、すごく考えたのよ、フランク。昨日の夜。
    あんたとあたしのことも、なんであたしは映画界にはいることができなかったのかということも、
    働いていた安食堂のことも、旅のことも、なんであんたは旅が好きなのかということも。

    要するにあたしたちはただのろくでなしの二人組なのよ、フランク。
    あの夜には神様があたしたちのおでこにキスをしてくれた。カップルに持てるものすべてを
    与えてくれた。だけど、あたしたちはそういうものが持てるタマじゃなかったのよ。
    あたしたちはあんなにも愛のすべてを手に入れたのに、その下敷きになって砕けちゃったのよ。
    空を飛ぶのには大きな飛行機のエンジンが要る。
    山のてっぺんまで行くにはね。だけど、そんなエンジンをフォードにのせたら、
    フォードなんか粉々に砕けちゃう。それがあたしたちなのよ、フランク。
    フォードのカップルなのよ。神さまは空からあたしたちを見て、きっと笑っていることでしょうよ」


    是非、読んでください。
    面白い小説です。




    NO.10自負と偏見 ジェイン・オースティン 新潮文庫   


    主人公はエリザベスです。ベネット家の5人姉妹の次女です。
    機知に富んだ女性です。

    長女はジェイン、やさしくて美しい女性です。
    3女はメアリー、学究肌の女性です。
    4女のキティと5女のリディアは、はすっぱで、軽はずみな性格です。

    母親のミセス・ベネットは、見栄っ張りで、愚痴が多く、軽はずみな女性です。
    父親のミスター・ベネットは、賢い人なのですが、ミセス・ベネットとの
    結婚生活で、皮肉屋になっています。

    ベネット家の近の屋敷に、ミスター・ビングリーが住むようになります。
    ミスター・ビングリーは、お金持ちでハンサムで独身の男です。


    街の舞踏会に、ミセス・ベネットと5姉妹が参加します。
    街の舞踏会に、ミスター・ビングリーは、姉と妹と友人の男とやってきます。
    友人の男は、ミスター・ダーシーです。
    ミスター・ダーシーは屋敷に住んでいて、大金持ちですが、
    尊大で、気難しい態度をとるので、女性からの評判は良くありません。

    ジェインとミスター・ビングリーは、お互いに好意を抱きますが、
    どうなるのでしょうか?

    駐留軍の将校達に、軽薄なキティとリディアは夢中です。
    将校のウィッカムとエリザベスはお互いに好意を感じるようになります、
    どうなるのでしょうか?


    ウィッカムはダーシーのことを悪人だと言いますし、ダーシーは
    ウィッカムのことを悪人だと言います。
    どちらの言ってることが、正しいのでしょうか?

    そして物語は、意外な方向に進んでいきます。

    面白い小説だと思います。


    200年前のイギリスが舞台です。当時女性は仕事で身を立てることはできませんでした。
    住み込みの家庭教師になれる女性は、ごく少数でした。

    女性は、金持ちで地位があって、ハンサムで紳士的な男と結婚しようと必死でした。
    お金持ちで地位が有れば、その事だけで、男のすごい武器になったようです。

    お金のない男性も、裕福な家の女性と結婚して、お金の苦労をなくしたいと思っていました。

    女性は着飾って、舞踏会に行き、男性と踊って、知り合います。


    女は好意を持っている男が私に好意をもってくれているかどうかと考える。
    男は好意を持っている女が自分に好意をもってくれているかどうかと考える。
    昔も今も、男女の考えることや関係は変わりませんね。

    この小説は、会話が面白く、登場人物が生き生きと描かれています。
    自負や偏見が人生にどのような影響を与えるかについて書いてある小説です。




    NO.11貧しき人びと  ドストエフスキー 新潮文庫 


    ドストエフスキーのデビュー作です。

    主人公は、下級官吏で40代の男のマカール・ジェーヴシキンです。
    マカールは、知り合いの20代の女性のワルワーラの援助を
    しています。
    マカールとワルワーラは近所に住んでいます。

    マカールは食堂の横の狭い部屋に間借りしています。

    ワルワーラは、不幸な生い立ちです。
    若い時に、母を結核で失い、恋心を感じた、男の
    ポクロフスキーも、結核で失います。


    マカールは、給料は少ないのですが、乏しい給料の中から、
    ワルワーラに花やお菓子をプレゼントしたりします。
    一緒に劇を見に行ったりします。
    ワルワーラは病弱で働けず、頼りになる身寄りが
    いません。マカールだけが頼りです。

    マカールは、お金が足りなくなり、給料の前借りをしますが、
    それでもやっていけなくなり、家賃を滞納して、
    家主の女からボロクソに文句を言われるようになります。
    履いている靴に穴が開きますが、新しい靴を買うお金が
    ありません。
    制服にも穴が開き、ボタンも取れかかっていますが、
    新しい制服を買うお金もありません。
    職場の人たちは、マカールのその様子を見て、
    馬鹿にしています。

    マカールとワルワーラの関係を揶揄する人達もいます。

    マカールは、高利貸しからお金を借りようとします。
    マカールとワルワーラはどうなるのでしょうか?

    以下は、マカールの独白です。

    少年はわたしのそばに駆けよって来ましたが、その小さな手は
    ぶるぶると震え、声まで震えているんです。
    少年は例の紙切れを差し出して、「手紙だよ」といいました。
    その手紙をあけて見ると、なに、文句はきまったもので、
    お情けぶかい皆さま、この子の母親は瀕死の床におり、
    三人の子供は飢えに苦しめられております、どうか、お助け
    くださいませ。たとえわたくしが死にましても、きょうこの子供たちを
    お助けくださったご恩を忘れず、あの世でお情けぶかいあなた様の
    ご幸福をお祈りいたします、といったものでした。
    なに、いたって平凡な、世間によくあることですが、いったい
    このわたしに何をやることができましょう?
    それで、なんにもやりませんでした。
    でも、とってもかわいそうでした。かわいそうなその子は
    寒さのあまり蒼ざめていて、きっと腹も空いていたんでしょう。
    なぜこうした浅ましい母親たちは、子供を大切にしないで、
    はだか同然の子供にあんな手紙を持たせて、この寒空を
    歩かせるのか、それが心外でなりません。

    マカールとワルワーラは貧乏です。
    困った出来事、思うようにならない出来事が次々と
    ふりかかってきます。
    まわりの人たちから悪口を言われ、軽蔑の言葉をあびせられます。
    家賃も滞納して、家主の女からボロクソに文句を言われます。
    下級官吏としてつましく生きてきたマカールが、段々と
    追い詰められて、身動きとれなくなっていきます。
    ヤケ酒を飲んで、失態をさらしたりします。
    人生の不条理が、マカールとワルワーラにせまってきます。
    マカールは、穴の開いた靴をはき、穴の開いた制服を着て、
    肩をすぼめて歩いています。
    マカールとワルワーラはどうなるのでしょうか?


    不条理文学の大作家のドストエフスキーのデビュー作です。
    不条理で不幸な出来事が、マカールとワルワーラに
    次々とふりかかってきます。
    人生とはいかなるものか、人間とはいかなるものかを、
    深く考えさせる作品です。
    ドストエフスキーの作品は、その後の作家達に大きな影響を
    与えました。
    思い通りにいかない人生、不条理な人生を描きながら、
    その中で、自分なりに戦っている人間の姿を描いています。

    人生や世界の真の姿を怜悧な目で見て描いている
    ドストエフスキーの小説世界、本当にすごいと思います。
    この世界は、どうしてこう不条理なのか、どう対処して
    いくべきなのか、色々の事を、小説から考えさせられます。

    日本の作家も、多くの作家がドストエフスキーの影響を
    受けていると思います。
    大江健三郎さんや、中村文則さんなんか、影響もろ受けだと
    私は思います。(H.P作者)




    NO.12 外套 ゴーゴリ  岩波文庫  


    不条理を描いたロシアの小説です。

    主人公は、50代の独身で風采のあがらない男、
    アカーキイ・アカーキエヴィッチです。
    官吏で、万年九等官です。

    文書課の浄書係りです。上司が浄書以外の仕事を
    させようとしたこともあったのですが、うまくできず
    自分で浄書係りを希望しています。
    自分では、浄書係りの仕事に満足しています。

    彼は役所の仲間からも馬鹿にされています。

    着ている外套がぼろぼろになってきたので、
    仕立て屋のペトローヴィッチに修理を依頼しますが、
    修理は無理だ、新調すべきだと言われます。

    外套の新調には、80ルーブリが必要です。
    苦労して貯めた40ルーブリの他に、40ルーブリが
    必要です。

    アカーキイ・アカーキエヴィッチは、倹約を重ねて、40ルーブリ貯めます。
    お金がやっと80ルービリになったので、
    いい生地を買って、ペトローヴィッチに外套を新調してもらいます。

    外套が届けられた日、アカーキイ・アカーキエヴィッチは幸せを
    感じます。

    アカーキイ・アカーキエヴィッチは、ぞくぞくするような気分で
    浮き立ちながら歩いていた。彼は束の間も自分の肩に
    新しい外套のかかっていることが忘れられず、何度も何度も
    こみあげる内心の満足からにやりにやりと笑いを漏らしさえした。

    アカーキイ・アカーキエヴィッチは、副課長の開催する夜会に
    参加しますが、その夜に悲劇が起こります。どうなるのでしょうか。

    アカーキイ・アカーキエヴィッチは、有力者に相談に行きますが、
    その事により、さらに悲惨な事態が起こることになります。


    「外套」は、その後のロシア文学に大きな影響を及ぼしています。
    ドストエフスキーは、われわれは皆ゴーゴリの「外套」の中から
    生まれたのだと、言っています。
    ドストエフスキーの「貧しき人びと」は、「外套」の影響を多く
    受けていると思われます。

    「外套」の主なテーマは、人生の不条理、しいたげられた人達の
    苦しみ、悲しみだと思います。
    小説の主要テーマの一つですね。
    「外套」は、その後の実存主義文学等に、多くの影響を与えたと思います。

    「外套」や、ドストエフスキーの「貧しき人びと」や、フォークナーの
    「八月の光」などに共通して言えることなのですが、
    貧しくて、現実適応力に乏しい主人公が、現実に適合しない
    行動を次々にとって、ますます悲惨で不幸な状態になっていきます。
    人生の悲惨さや不条理を描くののは良い手法だと思うのですが、
    あまりに主人公が、現実対応力に乏しいので、少し小説としての
    リアリティに欠けるきらいがあると思います。

    最近の小説は、現実対応力がある主人公が、努力をしても、
    人生の不条理のために、悲惨で不幸な状態になっていくという
    ストーリーの小説にして、リアリティをもたせながら、人生の不条理を
    描くという小説が増えてきている気がします。
    小説も進歩しているということだと思います。(H.P作者)



    NO.13悲しみよこんにちは フランソワーズ・サガン  新潮文庫   


    主人公はセシル。17才の学生です。
    夏休みに海の近くの別荘で過ごします。
    父は40才、15年前に妻を亡くしています。
    父は広告の仕事をしています。
    セシルは父と二人で、放埓な人生を
    送ってきました。

    セシルの父は、女好きで、次々と付き合う
    女を変えています。

    セシルと父と、父の愛人で29才のエルザと
    3人で、別荘で過ごすことにします。
    父は母の友人で服飾関係の仕事をしている
    アンヌを別荘に招待することにしました。
    アンヌは、知的で落ち着いていて、美しい42才の女性です。

    セシルには、シリルという25才の学生の恋人が
    できます。

    セシルの父はエルザを捨て、アンナと愛し合うようになり、
    結婚する約束をします。

    アンヌは物事に輪郭を、ことばに意味を
    もたせる人だ。

    アンヌはセシルに言います。
    「あなたは愛というものを、少し単純に考えすぎているわ。
    それは刹那的な高ぶりがいくつもつながっているだけの
    ものではないの・・・・・
    それはもっと別のものなの。変わることのない思いやりや、
    やさしさや、さびしさや・・・あなたには理解できないさまざまなもの」

    アンヌと父が結婚すると、家庭に知性と洗練が持ち込まれることに
    なります。またセシルはアンヌに勉強するように言われるようになります。

    アンヌがセシルに言います。
    「じゃあなたなにが大事だと思っているの?
    心のやすらぎ?自立?」
    こうした会話が、わたしには耐えられなかった。
    特にアンヌとは。
    「なんにも。わたし、あんまり考えたりしないから。ね」
    「あなたがたには、ちょっといらいらさせられるのよ。
    お父さまとあなたには。あなたがたは、『けっしてなにも考えない・・・
    たいしたことには役に立たない・・・知らない』それで楽しい?」
    セシルは言います。
    「楽しくなんかない。自分を愛してもいないし、
    愛そうとも思わない。
    あなたはときどき、わたしに人生をややこしくさせようとするけど、
    そうすると、あなたを恨みそうになる」


    セシルは、父とアンヌを遠ざける企みをします。
    エルザとシリルをこの企みのために利用します。

    企みは成功するのでしょうか?
    物語は悲劇に向かって進んでいきます。
    どうなるのでしょうか?


    「悲しみよこんにちは」は、サガンが19才の時に
    書いた小説です。
    青春の喜び、官能、痛み、絶望がつまった青春小説です。
    物語構成のたくみさ、人物描写のうまさ、会話のうまさに
    驚かされます。

    愛らしく、みずみずしく、官能的で刹那的で残酷な少女の
    セシルが生き生きと描かれています。
    本当に、完成度の高い作品だと思います。

    若さの喜び、官能と共に、この小説は、若さの持つ残酷さと、
    人生の虚無が描かれている作品だと思います。
    セシルの深い悲しみや絶望が伝わってきます。
    神を信ずることができない人間が感じる虚無や不条理が
    描かれてもいるので、実存主義文学の系譜にも連なる作品だと
    思います。
    サガンはサルトルと交流が深かったそうです。

    サガンは2度結婚して、2度離婚しました。69才で亡くなりました。
    若くして大金持ちになりましたが、良くないとりまきにかこまれ、
    アルコールや麻薬に溺れました。
    生涯を通じて、過度の浪費癖やギャンブル癖はなおりませんでした。
    コカイン所持で逮捕されたこともあります。
    税金滞納で起訴されたこともあります。
    数百億円もかせいだのに、晩年は困窮したそうです。
    ギャンブルや浪費やアルコールや薬物で使ってしまったのです。
    サガンは当時のフランスのゴシップ女王でした。
    そのような無茶苦茶な生涯を送ったサガンですが、
    「悲しみよこんにちは」は、そんなサガンの無軌道な生涯とは
    関係なく、美しい光で今も輝き続けています。(H.P作者)


    NO.14ナイン・ストーリーズ  サリンジャー  新潮文庫   


    9個の短編小説が入っています。
    「バナナフィッシュにうってつけの日」、「コネティカットのひょこひょこおじさん」、
    「対エスキモー戦争の前夜」、「笑い男」、「小舟のほとりで」、「エズミに捧ぐーー愛と汚辱のうちに」、
    「愛らしき口もと目は緑」、「ド・ドーミエ・スミスの青の時代」、「テデイ」です。

    どの小説もテーマが斬新で、会話が軽妙、しかも心の奥に入ってくる小説です。

    「バナナフィッシュにうってつけの日」、「対エスキモー戦争の前夜」
    「エズミに捧ぐーー愛と汚辱のうちに」を紹介します。


    「バナナフィッシュにうってつけの日」
    主人公は男のシーモア、結婚していて妻はミュリエルです。
    シーモアは陸軍病院を退院したのですが、精神に不安定なところがあり、
    ミュリエルとその両親が心配しています。
    シーモアとミュリエルは、海に休養旅行に行きます。
    ミュリエルがホテルの部屋で休憩しているとき、シーモアは
    浜辺にいます。

    小さな女の子のシビルとシーモアは、海に入ります。
    シーモアはシビルに言います。
    「これからバナナフィッシュをつかまえるんだ。
    バナナフィッシュはどんなことをやるか知ってる、シビル?」
    シビルはかぶりを振った。
    「あのね、バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って
    行くんだ。そしてバナナをたくさんたいらげる。当然のことだが、
    そんなことをすると彼らは肥っちまって、二度と穴の外へは出られなくなる。」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「それでどうなるの」
    「うん、言いにくいことだけどね、シビル、彼らは死んじまうんだ」
    「どうして?」
    「それはね、バナナ熱にかかるのさ」

    シーモアとシビルは海から浜辺に戻り、別れます。
    シーモアはどうなるのでしょうか?


    「対エスキモー戦争の前夜」
    主人公は女性のジニーです。セリーナとは学校の同級生です。
    ジニーはセリーナとテニスコートで5回、テニスをしますが、
    帰りにタクシーで帰る時のタクシー代を5回ともジニーが支払ったので、
    半分返してもらいたいと言って、セリーナと一緒に、
    セリーナの家に行きます。
    セリーナが自分の部屋に行ったので、リビングで待っていると、
    セリーナの兄がリビングに入ってきます。
    セリーナの兄は変わっています。

    セリーナの兄は下の通りを見続けていたが
    「奴らはみんな、徴兵委員会へ行くとこなんだぜ」と、言った。
    「こんだエスキモーと戦争するんだ。知ってるか、あんた?」
    「どことですって?」と、ジニー。
    「エスキモーだよ。耳の穴をかっぽじって聞いとくれ」
    「どうしてエスキモーと?」
    「知るもんか。このおれが知るわけないだろう?
    今度の戦争にはな、年寄り連中がみんな行くんよ。
    60ぐらいの奴らがな。60ぐらいでないと行かして
    もらえないんさ」と、彼は言った。
    「寿命縮めてやるのが狙いってわけ。名案だぜ」

    ジニーはセリーナからタクシー代を返してもらえるのでしょうか?



    「エズミに捧ぐーー愛と汚辱のうちに」
    主人公の男は、23才で、英国でノルマンディ上陸作戦のための特殊訓練を
    受けています。

    訓練が休みの日に、教会の中で行われる児童合唱隊の
    練習を見ます。
    合唱他の中に、特別歌のうまい13才ぐらいの少女がいました。

    練習見学後に、喫茶店でお茶を飲んでいると、先ほどの少女が
    5才ぐらいの弟と、家庭教師だと思われる女性と喫茶店に入ってきます。
    男はその少女と話をします。
    少女はエズミと名乗ります。
    エズミは、両親が死んでしまって、今は弟と一緒に、伯母の世話になっていると
    言います。

    男が一応は短編作家のつもだと言うと、エズミは私だけのために短編を一つ書いてくれと言います。
    男は了承します。

    エズミは「どちらかといえば、汚辱の話が好き」と、言った。
    「何の話ですって?」私は、身を乗り出して言った。
    「汚辱。わたし、汚辱ってものにすごく興味があるの」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    彼女はうなずいた。「うんと汚辱的で感動的な作品にしてね」と、彼女は言った。
    「あなた、汚辱っていうもの、ご存じ?」
    私は、必ずしも承知しているとはいえないが、これから先つぎつぎと、
    いろいろな形の汚辱に始終めぐり合うことだろうし、彼女の要請がみたせるように
    最善を尽くすつもりだ、と、答えた。

    主人公の男は、ノルマンディ上陸作戦参加以降、汚辱に満ちた日々を
    送るようになります。どのような日々でしょうか?小説を読んでください。

    エズミは、早熟で魅力に満ちた女性です。


    サリンジャーは「ライ麦畑でつかまえて」が有名ですよね。
    「ナイン・ストーリーズ」も、テーマが斬新で、会話が軽妙で、
    心に入ってくる短編がそろっていて、面白いです。

    サリンジャーの小説の主人公は、10代や20代の純な心を
    持った、若者が多いです。

    サリンジャーは91才まで生きましたが、46才の時に
    「ハプワース16、1924」を発表以後、
    新たな作品は発表しませんでした。
    何故でしょうか。
    日本の作家なら、庄司薫さんが長い事、沈黙を守っていますね。


    34才の時に、ニューハンプシャ州コーニッシュに移住して
    それ以降、隠遁生活を送ります。
    マスコミにもほとんど登場することもなく、
    謎の多い作家という事になっています。


    NO.15人間の土地  サン・テグジュペリ  新潮文庫   


    童話の「星の王子さま」で有名なサン・テグジュペリの小説です。

    郵便物を届けるための飛行機のパイロットが主人公です。
    名前は本人、サン・テグジュペリです。

    航空ルートを開いた先駆者のパイロットには、
    メルモスやギヨメという腕が良く、勇気のあるパイロットがいました。
    メルモスはエンジントラブルで不時着して、15日間、モール人の
    捕虜になっていましたが、お金が支払われて解放されると、また
    パイロットの職務に復帰しました。
    メルモスやギヨメは色々な困難や不幸に出会います。どうなるのでしょうか?

    家畜追いだったバークという男がアラビア人に誘拐されてきて、
    奴隷になっています。
    だまされて連れてこられた男の奴隷が多くいました。
    多くの奴隷達は、現在の境遇に満足していますが、バークは
    現状に満足していません。
    サン・テグジュペリは、バークを奴隷から解放しようと努力します。
    どうなるのでしょうか?

    サン・テグジュペリと機関士のアンドレ・プレヴォーは
    飛行中に雲の中に入ってしまい、位置がわからなくなり、
    砂漠に墜落してしまいます。
    怪我はしませんでしたが、水がほとんど無く、どこにいるかも
    わかりません。
    歩いても歩いても人に会うことはできず、
    救援機もやって来ません。
    サン・テグジュペリとアンドレ・プレヴォーは
    蜃気楼を見て、さらには幻覚を見るようになります。
    咽喉はからからに乾き、限界が近づいてきます。
    どうなるのでしょうか?



    サン・テグジュペリはこの本で、色々と
    含蓄のある言葉を述べています。
    いくつか紹介します。

    友情には一つの高度がある。そこに達すると、感謝も哀憐も、どちらも
    意味がなくなってしまう。人が解放された囚人のように呼吸するのは、じつにここだ。

    また経験はぼくらに教えてくれる、愛するということはおたがいに顔を見あうことではなくて、
    いっしょに同じ方向を見ることだと。

    戦争を拒まない一人に、戦争の災害を思い知らせたかったら、彼を野蛮人扱いしてはいけない。
    彼を批判するに先立って、まず彼を理解しようと試みるべきだ。

    イデオロギーを論じあってみたところで、何になるだろう?
    すべては、立証しうるかもしれないが、またすべては反証しうるのだ。
    しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ。それに人間は
    いたるところでぼくらの周囲で、同じ欲求を見せているのだ。
    つまり、ぼくらは解放されたいのだ。

    なぜ憎みあうのか?ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ。
    同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立することは
    いいことかもしれないが、これがおたがいに憎みあうにいたっては言語道断だ。
    ぼくらを解放するには、おたがいにおたがいを結びつける一つの目的を
    認識するように、ぼくらに仕向ければ足りるのだから。



    当時はエンジンが完成されていなかったので、
    エンジントラブルの多かった飛行機に乗り、
    命がけの飛行を繰り返した、サン・テグジュペリ。
    孤独な飛行の間、星を見ながら色々と思索を深めました。

    砂漠にも度々、不時着しました。
    モール人に見つかれば、殺される可能性が大きいです。
    砂漠を歩きながら、砂漠と対話しました。
    とりとめのない考えが浮かんでは消えていきます。

    孤独に鍛えられ、深化されたサン・テグジュペリの言葉は、
    色々な対立が深刻化している現代に、深い教えを与えて
    くれると思います。

    対立する人間同士のイデオロギー論争は不毛だと、彼は言います。
    お互いに歩みより、理解しあおうと努力することが大切だと
    彼は言います。


    NO.16青春は美わし ヘルマン・ヘッセ 新潮文庫   


    主人公は若い青年です。
    仕事の休暇を利用して、故郷に帰ります。

    故郷には両親と弟のフリッツ、妹のロッテが住んでいます。
    主人公の青年と両親、弟、妹そして近所の人達との交流が
    描かれます。

    主人公の青年の故郷は、自然の豊かな所です。
    山があり、森があり、川があり、たくさんの花が咲きます。

    妹の友人のアンナ・アンベルクが青年の家に滞在します。
    毎日交流しているうちに、青年はアンナ・アンベルクに
    恋心を抱くようになります。
    二人の関係はどうなるのでしょうか?

    森の中ではカケスが叫び、コケモモが熟し、
    庭ではバラと燃えるようなキンレンカが咲いた。
    私はそれらの仲間入りをし、この世界を
    きらびやかだと思った。


    美しい抒情と青春の喜び、憂愁に満ちたヘッセの
    青春小説です。


    ヘッセの青春小説は文章が平易で読みやすいです。
    抒情的で、青春の喜びや憂愁が描かれています。

    私は都会生まれの都会育ちです。
    自然の豊かな故郷の有るひとのことを
    うらやましく思います。(H.P作者)


    NO.17変身 フランツ・カフカ 新潮文庫   


    不条理文学の旗手は、フランツ・カフカです。

    グレーゴル・ザムザが目をさますと、寝床の中で、一匹の
    巨大な虫になっていました。
    足がたくさん有ります。声も獣の声になっていて、
    ザムザの話す内容を、人間は理解できません。

    ザムザは、外交販売員として、一家の家計を支えてきました。
    両親と17才の妹の生活を支えてきたのです。
    両親は事業に失敗して、借金を作ったので、ザムザが
    その借金も返しているのです。

    ザムザが職場に来ないので、ザムザの様子を見に、
    支配人がザムザの家に来ます。
    支配人は虫になったザムザを見て、逃げ帰ります。


    妹はバイオリンが得意なので、妹を音楽学校に入学させてあげようという
    もくろみも持っていたのです。

    ザムザが虫に変身してから、ザムザの部屋に、妹が食事を
    置いてくれるようになりました。
    ザムザの食の好き嫌いは変わりました。
    以前は、牛乳にひたしたパン等が好きだったのですが、
    それが食べれなくなり、チーズや腐った野菜を食べるようになりました。
    でも、食欲がおきず、何も食べない日も多くあります。

    ザムザの父親は、高齢で、太ってしまってあまり体が動きません。
    母親は喘息持ちで、時々発作をおこします。
    妹は17才の小娘で、一家を支えることなどできません。
    生活費をどうやっていくのかと考えると、ザムザは絶望的な
    気になります。

    妹と母親は、ザムザの部屋から、ザムザの持ち物である
    箪笥や机を運びだそうとします。
    それを阻止しようとして、額縁にはりついたザムザを見て、
    母親は失神してしまいます。

    ザムザとザムザの家族はどうなっていくのでしょうか?


    高校生の時に「変身」を読んだ時は、その物語の奇妙さに圧倒されました。

    最近読み直して感じたのは、異様な事態が生じているのに、物語は
    とても静謐な物語だということです。
    ザムザの父親が怒って、ザムザに林檎を投げつけたりはしますが、
    やはり静謐な物語です。
    ザムザは自分が巨大な虫になってからも、家族の事を考えています。
    ザムザも父も母も妹も、ザムザが虫に変身したことを、
    当たり前のこととして受け入れているのが、不思議です。

    ザムザが虫になったのは、一つの象徴という気がしてきました。
    虫の代わりに、不登校になった子供でも、引きこもりになった子供でも
    よいのです。
    不登校になった子供や、引きこもりになった子供を、家族がおろおろしながら
    見つめている、「変身」を、そのような物語として読むこともできます。


    カフカは、「変身」の書評に対して、次のように言っています。
    エートシュミットは僕がありふれた事件の中へ奇跡をこっそり
    しのび込ませていると主張しています。
    それは彼の重大な誤解です。
    普通のものそれ自体がすでに奇跡なのです。
    僕はそれをただ記録するだけです。
    僕がうす暗い舞台の照明のように、物を少しばかり明るくすることは
    ありえます。


    NO.18異邦人  カミュ  新潮文庫   




    NO.18は、実存主義文学の傑作の異邦人です。
    カミュは、この作品で、人生の不条理を提示しています。



    主人公は、無神論者のムルソーです。
    ムルソーは、友人のレエモンとトラブルになっているアラビア人をピストルで撃ち殺します。
    ピストルを5発撃ちます。

    ムルソーは、裁判の時に「なぜピストルを撃ったのか?」と問われて、
    「太陽がまぶしかったからだ」と答えます。

    ムルソーを裁くための裁判が始まります。
    ムルソーは、アラビア人を撃った事以上に、
    母親の葬儀の時に、涙を流さなかったこと、別れの祈りをしなかったこと、
    ミルクコーヒーを飲んだこと、タバコを吸った事、葬儀の次の日に、喜劇映画を観たこと、
    恋人のマリーと情事にふけった事で、検事から責めを受けます。
    ムルソーは、通常の人の持っている感情が無いのではないかと、責められるのです。

    検事は言います。「悔恨の情だけでも示したでしょうか?諸君、影もないのだ。予審の最中にも、
    一度といえども、この男は自らの憎むべき大罪に、感じ入った様子はなかったのです」
    「あの男には魂というものは一かけらもない、人間らしいものは何一つない」

    検事は、ムルソーは用意周到にアラビア人を撃ったと主張します。
    ムルソーは、アラビア人を撃ったのは偶然だと主張します。
    太陽がまぶしかったので、頭が痛んでピストルを撃ったというムルソーの主張は
    聞きいれられません。



    独房の中のムルソーを訪ねて、神父がやって来ますが、
    ムルソーは、神を信じていないと言って神父を追い返します。

    「いいや、わが子よ」と神父は私の肩に手を置いて、いった。
    「私はあなたとともにいます。しかし、あなたの心は盲いているから、
     それがわからないのです。私はあなたのために祈りましょう」
     私は大口をあけてどなり出し、彼をののしり、祈りなどするなといい、
     消えてなくならなければ焼き殺すぞ、といった。



    ムルソーの判決はどうなるのでしょうか?
    また結婚を約束した、マリーとムルソーの関係はどうなるのでしょうか?

    ムルソーが信じる真理とは、人間とは無意味な存在であり、すべては無償であるという事です。

    ムルソーは神父に言います。
    「君はまさに自信満々の様子だ。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛1本の重さにも値しない。
     君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。
     私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。
     自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。」

     神を信じる人と信じない人では、世界の見え方が違うと思います。
     ムルソーは無神論者です。
     ムルソーは自分のルールで生きています。
     母の葬式の時に、ミルクコーヒーを飲んだり、タバコを吸ったり、
     母の死に涙を流さなかったり、祈らなかったりする事で、何故文句を言われるか、理解できません。

     しかし、ムルソーは、人間やこの世界の無意味な事を理解し、受け入れています。
     不条理な人生を、宿命と考えて行動しているのです。

     この小説は、実存主義文学の代表作だと思います。


    NO.19愛の完成  ムージル  岩波文庫   




    ムージルは、オーストリアの作家です。
    「愛の完成」は、究極の愛を求める女性の物語です。




    主人公は女性のクラウディネです。
    結婚していて、13才の娘のリリーがいます。
    リリーは寄宿舎に入っています。
    クラウディネは、娘に会いに行くために旅行します。
    その旅行中に、男の参事官と知り合い、浮気します。
    ストーリーとしては、これだけです。

    究極の愛を求めるクラウディネの意識の流れが描かれています。
    文庫本で95ページの中編小説です。
    その文章は詩的で抽象的で長いので、内容を頭に入れるのに苦労します。
    私は3回読みましたが、まだ全貌を理解できていません。
    しかしながら、苦労して繰り返し読むと、文学の大きな果実を手に入れることができると
    思います。
    クラウディネの本当の愛は、夫に向かっているのでしょうか、
    参事官に向かっているのでしょうか?
    是非、小説を読んでください。


    文章を少しだけ、紹介します。

    二人のまわりに結晶が生じた。二人は幾千もの鏡面をとおすようにして見つめあい、
    いま初めてお互いを見いだしたかのように、ふたたび見つめあった。

    自分のおこないはどれも結局のところ自分の心には触れないのだ、
    ほんとうは自分となんのかかわりもないのだ、という意識を片時も失わなかった。

    まだ踏み入ったことのない小路が消えるのが見える。
    ほんとうはひきかえさなくてはならない、見にいかなくてはならないのだとはわかっている。
    しかしすべては前へ前へと殺到する。

    力なく生と死との間にかかる冬の日々に、彼女はなにやら憂愁を感じた。
    それは通常の、愛を求める憂愁とはならず、いま所有しているこの大いなる愛を
    捨て去りたいという、憧憬に近いものだった。まるで彼女の前に究極の結びつきへの道が
    ほの白み、もはや彼女を愛する人のもとへは導かず、さらに先へ、何ものにも守られず、
    せつないはるけさの、もはやすべてが柔らかに枯れ凋むその中へ、導いていくかのようだった。

    愛の結びつきの、何がその内にあるのだろうかという疑念に、彼女はすでにとことんまで
    苦しみぬいていた。生きるためには欠かせないこれらの妄想、他者を通じてのみ夢の中のように
    暗く狭まって存在する心、目覚めてはならない小島の孤独、二枚の鏡の間をその背後には
    虚無しかないと知りながら滑っていく愛の生活、そんな妄想の、透けて見えるほど
    薄く破れやすいその中に、愛の結びつきの、何があるだろう。


    いかがですか?
    読むのに苦労しそうでしょう?
    しかし、何回も繰り返し読めば、大きな果実が手に入ると思います。

    クラウディネは、たまたまの偶然で、夫との愛を手に入れたのではないかと思っています。
    違う男とも愛し合うことは可能だったのではないか?
    参事官との愛は、どのような愛になるのか?
    愛とは大切なものか?愛とは何か?虚妄ではないか?
    クラウディネの意識は、愛についての考えで満たされていきます。
    愛の正体がわかるのでしょうか?


    NO.20ガラスの街  ポール・オースター  新潮文庫   


    主人公は、男のダニエル・クインです。作家です。
    ウィリアム・ウィルソンというペンネームで探偵小説を書いています。
    ある時、クインに間違い電話がかかってきました。
    ポール・オースターだと思う間違い電話です。探偵事務所だと思って電話してきたのです。
    電話してきたのは、ピーター・スティルマンという男でした。

    クインは、自身をポール・オースターと偽って、ピーター・スティルマンと会って話します。
    ピーター・スティルマンは、父のスティルマンによって、2才から9年間の間、
    部屋に閉じ込められていました。食事を与えられる以外、誰とも話をしませんでした。
    父親のスティルマンは、言葉こそが人間を堕落させるものだと考えたからです。
    火事が原因で、ピーター・スティルマンは発見され、父親のスティルマンは、 精神異常ということで収監されます。

    ピーター・スティルマンは、23才になりました。
    ヴァージニアと結婚しています。
    父親のスティルマンが釈放される日が近づいてきました。
    2年前、獄中の父からピーター・スティルマン宛てに、お前を抹殺するという意味の
    手紙が届けられました。

    ピーター・スティルマンは、父親の尾行と監視を、クインに依頼します。
    クインはそれを承知します。

    スティルマンの父親は、自分の泊まっているホテルのまわりを歩きまわり、
    落ちているガラクタを拾ってカバンにしまいます。
    スティルマンの父親は何をしているのでしょうか?
    クインはピーター・スティルマンを守ることができるのでしょうか?


    作者の独白は以下です。

    ということで、運命。
    運命についてクインがどう思おうと、いくらそれがもっと違っていたものだったらと願おうと、
    彼にはどうしようもない。
    自分はひとつの誘いにイエスと答えたのであり、いまさらそのイエスをなしにはできない。
    とすれば結論はひとつ___最後までやり通すしかない。

    奇妙な小説です。
    探偵ではない人間が、かかってきた電話に応じて、
    探偵であるふりをして、ピーター・スティルマンを守るために、
    ピーター・スティルマンの父親を尾行して、監視する。
    ピーター・スティルマンの父親は、何の目的でピーター・スティルマンを
    部屋に閉じ込めたのでしょうか?
    クインは何故、この出来事に関わることにしたのでしょうか?
    クインは、ピーター・スティルマンの依頼に応えることができるのでしょうか?