村上春樹のおすすめ本を紹介します |
村上春樹は、とても才能のある作家だと思います。 今の日本の作家では、村上春樹と村上龍が、才能という点では、 他の作家より頭ひとつ抜けていると思います。 最近の、メジャーになりすぎた村上春樹の作品は、 あまり読む気がしません。 デビューしてから数年の間の初期作品は、 新鮮で、ナイーブで、心に刺さってくる作品なので とても好きです。 村上春樹の初期作品のおすすめ本を紹介します。 |
NO.1風の歌を聞け 村上春樹 講談社文庫 | |
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村上春樹のデビュー作です。 主人公の僕は21才の大学生で、東京の 大学に行ってます。 夏休みに実家のある地方都市に帰って きています。 地方都市のバーのジェイズ・バーで友人の 鼠とビールやウイスキーを飲みます。 鼠は挫折して大学を中退していて、 作家志望で小説を書いています。 鼠の家は金持ちですが、鼠の口癖は、 「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」です。 ジェイズ・バーで酔いつぶれていた若い女性を 僕は女性の家まで送っていき、女性が目をさますまで 家にいました。女性は自分で服を脱いで裸になって 眠ったのに、僕が服を脱がせて、酔って寝ている間に セックスしたと疑っています。 僕と女性の関係はどうなるのでしょうか? 僕と鼠と女性の甘くてほろ苦い青春の日々が 物語られていきます。 鼠は言います。 「俺は黙って古墳を眺め、水面を渡る風に 耳を澄ませた。その時に俺が感じた気持ちはね、 とても言葉じゃ言えない。 まるですっぽりと包みこまれちまうような感覚さ。 つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって 宇宙を流れていくんだ。」 鼠はそう言うと、もう泡の抜けてしまったコーラの 最後の言一滴を飲んだ。 「文書を書くたびにね、俺はその夏の午後と 木の生い茂った古墳を思い出すんだ。 そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や 風のために何かが書けたら どんなに素敵だろうってね。」 「それで、・・・何か書いてみたのかい?」 「いや、一行も書いちゃいないよ。何も 書けやしない」 若い女性が僕に言います。 「あなたに訊ねようと思ってたことがあるの。 いいかしら?」 「どうぞ」 「何故人は死ぬの?」 「進化してるからさ。個体は進化のエネルギーに 耐えることができないから世代交代する。 もちろん、これはひとつの説にすぎないけどね。」 「今でも進化してるの?」 「少しずつね」 「何故進化するの?」 「それにもいろんな意見がある。 ただ確実なことは宇宙自体が 進化してるってことなんだ。 そこに何らかの方向性や意志が介在してるかって ことは別にしても宇宙は進化してるし、結局のところ 僕たちはその一部にすぎないんだ」 村上春樹は「風の歌を聴け」の最初の部分で言っています。 今、僕は語ろうと思う。 もちろん問題は何ひとつ解決していないし、 語り終えた時点でもあるいは事態は全く 同じということになるかもしれない。 結局のところ、文章を書くことは自己療養の 手段ではなく、自己療養へのささやかな試み にしか過ぎないからだ。 しかし、正直に語ることはひどく難しい。 僕が正直になろうとすればするほど、正確な 言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。 弁解するつもりはない。少なくとも ここに語られていることは現在の僕における ベストだ。つけ加えることは何もない。 それでも僕はこんな風にも考えている。 うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、 救済された自分を発見することができるかもしれない。 わかりやすく、リズムのある文章で、面白くて 深みのある物語が語られていきます。 おすすめ小説です。 村上春樹は、この小説で、作家として 歩き始めました。 村上春樹が心酔するアメリカ作家の デレク・ハートフィールドの話もでてきます。 村上春樹は言います。 僕は文章についての多くを デレク・ハートフィールドに学んだ。 ハートフィールド自身は全ての意味で不毛な 作家だった。 読めばわかる。 文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、 テーマは稚拙だった。 しかしそれにもかかわらず、彼は文章を武器として 闘うことができる数少ない非凡な作家の 一人であった。 「風の歌を聴け」は、小説のもつ可能性について、 目を見開かされてくれる小説だと思います。 作家志望の方は、是非この小説を読んでください。 私は、最近のメジャーすぎる村上春樹の小説を 読む気になれません。 皆がよいと言って、発売されるとすぐに すごいベストセラーになる小説は読む気がしません。 でも初期の頃の作品、「風の歌を聴け」、 「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」は、 村上春樹がマイナーだった頃の作品で、 初々しくて、みずみずしくて、 小説とはどのようなものかを考えさせられ、 小説の可能性を 教えてくれる作品なので、好きな小説です。(H.P作者) |
NO.21973年のピンボール 村上春樹 講談社文庫 | |
ピンボールマシンが登場する小説です。 主人公は26才の僕と、僕の友人の鼠です。 鼠は挫折して大学を中退してから、無為に日々を 過ごしています。 ガールフレンドとセックスしたり、ジェイズ・バーで ビールを飲んだり。 これではいけないのではないかと思っています。 鼠はビールを飲みながら、ジェイズ・バーのマスターの ジェイと話をします。 「ねえジェイ、人間はみんな腐っていく。そうだろ?」 「そうだね」 「腐り方いはいろんなやり方がある」鼠は無意識に 手の甲を唇にあてる。 「でも一人一人の人間にとって、その選択肢の 数はとても限られているように思える。 せいぜいが・・・二つか三つだ」 「そうかもしれない」 「それでも人は変わりつづける。変わることに どんな意味があるのか俺にはずっとわからなかった」 鼠は唇を噛み、テーブルを眺めながら 考え込んだ。 「そしてこう思った。どんあ進歩もどんな変化も 結局は崩壊の過程にすぎないんじゃないかってね。 違うかい?」 「違わないだろう」 僕は共同経営者と二人で、英語を翻訳する 仕事を始めます。秘書の女性を雇います。 僕はピンボールマシンに夢中になります。 球をはじいて、ターゲットにあてて、得点を UPさせていくゲーム機です。 ゲームセンターの「スペースシップ」という型の ピンボールに夢中になり、16万5千点を達成します。 ゲームコーナーが取り壊され、ドーナッツ・ショップに なってしまいます。 僕は「スペースシップ」を探しもとめ、やっと、日本に 1台だけ残っていた「スペースシップ」と会うことができます。 ずいぶん長く会わなかったような気がするわ、と 彼女(スペースシップ)が言う。 僕は考えるふりをして指を折ってみる。 三年てとこだな。あっという間だよ。 君のことはよく考えるよ、と僕は言う。 そしておそろしく惨めな気持ちになる。 眠れない夜に? そう、眠れない夜に。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼女は何度も肯く。あなたは今何をしてるの? 翻訳の仕事さ。 小説? いや、と僕は言う。日々の泡のようなものばかりさ。 ひとつのドブの水を別のドブに移す、それだけさ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼女はニッコリ微笑んだまま、しばらく宙に目をやった。 なんだか不思議ね、何もかもが本当に起こったことじゃ ないみたい。 いや、本当に起こったことさ。ただ消えてしまったんだ。 辛い? いや、と僕は首を振った。無から生じたものが もとの場所に戻った。それだけのことさ。 僕たちが共有していたものは、ずっと昔に 死んでしまった時間の断片にすぎなかった。 それでもその暖かい想いの幾らかは、 古い光のように僕の心の中を今も 彷徨いつづけていた。 僕と鼠は出口を求めて彷徨います。 出口は見つかるのでしょうか? 深い内容の物語が、わかりやすい文章で 語られていきます。 この小説もそうですが、村上春樹の初期作品は、 内容が新鮮でみずみずしく、青春の息吹があって、 私は好きです。 村上春樹は小説の中で書いています。 彼女は素晴らしかった。3フリッパーのスペースシップ。 僕だけが彼女を理解し、彼女だけが僕を理解した。 僕は1ミリの狂いもない位置にプランジャーを引き、 キラキラと光る銀色のボールをレーンからフィールドに はじき出す。 ボールが彼女のフィールドを駆けめぐるあいだ、 僕の心はちょうど良質のハッシシを吸う時のように どこまでも解き放たれた。 ピンボールマシンて、そんなに人の心を解き放つゲーム でしたっけ? 私はあまりやったことがないです。 パソコンゲームでピンボールマシンが有ったら、やってみようかな という気になりました。(H.P作者) |
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NO.3羊をめぐる冒険 村上春樹 講談社文庫 | |
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羊をめぐる物語です。 僕の友人の鼠は、行き先を知らせずに出かけています。 鼠の送ってきた牧場と羊の写真を使用して、 広告雑誌の記事を書きました。 大物右翼の秘書が僕のところにやって来て、 羊の写真ののった広告雑誌を発売禁止にすると言います。 その写真には、日本に存在しないはずの、背中に星形の 斑紋のある羊が写っています。 秘書は、その羊の居場所をつきとめることを僕に 要求します。 要求どうりにしないと、僕を社会的に抹殺すると言います。 背中に星形の斑紋のある羊は、人の心の中に入りこんで、 その人を支配します。 北海道のいるかホテルにいる羊博士は、朝鮮にいる時に 羊に心を支配されて、朝鮮から日本に戻ってきました。 日本に戻ると、羊は羊博士から離れて、 大物右翼の心を支配して、裏社会の巨大な組織を作りました。 大物右翼の死期が近づき、羊は大物右翼の体を 離れます。 大物右翼の秘書は、僕に羊を探すように命令するのでした。 羊は見つかるのでしょうか。 羊の目指す世界は、おぞましいような邪悪な世界です。 僕と鼠は、羊をめぐる騒動に巻き込まれていきます。 僕と鼠は友達でした。 「でも暇つぶしの友達が本当の友達だって誰かが 言ってたな」と鼠が言った。 「キーポイントは弱さなんだ」と鼠は言った。 「全てはそこから始まってるんだ。きっとその弱さを 君は理解できないよ」 「人はみんな弱い」 「一般論だよ」と言って鼠は何度か指を鳴らした。 「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。 俺は今とても個人的な話をしてるんだ」 僕は黙った。 「弱さというのは体の中で腐っていくものなんだ。 まるで壊疽みたいにさ。僕は十代の半ばから ずっとそれを感じつづけていたんだよ」 「たぶん君にはわからないだろうな」と鼠は続けた。 「君にはそういう面はないからね。しかしとにかく、 それが弱さなんだ。弱さというのは遺伝病と同じなんだよ。 どれだけわかっていても、自分でなおすことはできないんだ」 「何に対する弱さなんだ?」 「全てだよ。道徳的な弱さ、意識の弱さ、そして 存在そのものの弱さ」 村上春樹は、荒唐無稽な物語を作りました。 荒唐無稽ですが、みずみずしく、心に刺さってくる 物語です。 僕と鼠の友情の物語でもあります。 尊敬できる者同士が友達になるわけではないんですよね。 駄目人間同士が出合い、出会った瞬間に友達として 選びとるんですよね。 僕と鼠がそうです。 トーマス・マンの「ブッデンブローグ家の人びと」の ハンノとカイも、駄目人間同士ですが、心の深いところで つながっている友達です。 AさんとBさんがつながりの深い友達になるって、 神の摂理みたいなものでしょうね。 神様が二人を会うようにしたと言うか、 出会うことが運命であらかじめ決まっていたと言うか。 お互いに一目見ただけで、「あ、こいつだ」って わかるんでしょうね。 友達を作るのは、若い時でなければ駄目ですね。 村上春樹の初期作品は、みずみずしく美しい作品なので、 私はとても好きです。(H.P作者) |