坂村真民のおすすめ詩文集

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  • NO.1念ずれば花ひらく 坂村真民  柏樹社
    仏教詩人の坂村真民さん。
    私は、人生で苦しいことが有ると、坂村真民さんのこの本を読み返してきました。

    「念ずれば花ひらく」は、36才で未亡人になり、女手一つで5人の子供たちを育てた
     坂村真民さんのお母さんの、念仏といってもよい自己激励のことばでした。
     坂村真民さんは、母をテーマにした詩も多く書かれています。

    「念ずれば花ひらく」 坂村真民
    念ずれば
    花ひらく
    苦しいとき
    母がいつも口にしていた
    このことばを
    わたしもいつのころからか
    となえるようになった
    そしてそのたび
    わたしの花がふしぎと
    ひとつひとつ
    ひらいていった


    「昼の月」  坂村真民
    昼の月を見ると
    母を思う
    こちらが忘れていても
    ちゃんと見守って下さる
    母を思う
    かすかであるがゆえに
    かえって心にしみる
    昼の月よ


    お母さんに大恩を感じ、報いたいと念じで生きてきた
    真民さんの気持ちが、詩に、にじみでています。


    坂村真民さんは、尼僧の杉村春苔尼と出会い、運命が変わったそうです。
    その出会いのことも、この本には書かれています。


    「二度とない人生だから」 坂村真民
    二度とない人生だから
    一輪の花にも
    無限の愛を
    そそいでゆこう
    一羽の鳥の声にも
    無心の耳を
    かたむけてゆこう


    坂村真民さんは、「詩国」という詩集を無料頒布されていました。
    「一隅を照らせ」と良く言っていました。
    自分のいる場所で、一隅を照らせば、それで良いのですよと、言っていました。



    NO.2 生きてゆく力がなくなる時 坂村真民  柏樹社    
    仏教詩人の坂村真民さんの詩文集です。


    「生きてゆく力がなくなる時」  坂村真民
    死のうと思う日はないが
    生きてゆく力がなくなることがある
    そんな時お寺を訪ね
    わたしひとり
    仏陀の前に坐ってくる
    力わき明日を思う心が
    出てくるまで坐ってくる


    真民さんは言います。
    「病気よし、失恋よし、不幸よし、失敗もよし、泣きながらパンを食うもよし、
    大事なことは、そのことを通して、自分を人間らしくしてゆくことだ。
    人のいたみのわかる人が、本当の人間なのだ。」

    また、真民さんは言います。
    「二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、
    生きねばならぬ。その力を信仰から頂かせてもらうのだ。
    わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。」


    「南無の祈り」  坂村真民
    生きがたい世を
    生かしてくださる
    南無の一こえに
    三千世界がひらけゆき
    喜びに満ちてとなえる
    南無の一こえに
    この身かがやく
    ありがたさ
    ああ
    守らせ給え
    導き給え


    「ただいま」  坂村真民
    行ってきますといって
    出ていった子が
    ただいまかえりましたといって
    学校からかえってくる
    小学校一年生の女の子の
    こえの美しさ
    そのひびきの好さ


    坂村真民さんは、尼僧の杉村春苔尼さんと、親しくつきあい、春苔尼さんを心の師として、尊敬していました。
    杉村春苔尼さんが、自分の手帳を、死後、真民さんに贈られたのですが、春苔尼さんが、その手帳に書かれていた詩に、私は感動したので、
    紹介します。

    私は十六歳で母を亡くした
    母は丁度四十歳だった
    もっと幼ければ黙って
    あきらめたかも知れぬ

    私は
    丁度母を失うには
    一番時期として悪かった
    小さい骨箱に納まった母を
    朝に夕におがんだ

    私はそのなやみのはてを
    仏に求めた そして
    父母未生来
    つまり公案をもらった
    私が父母から生まれる前世を
    考えよとの事だった

    私は明けても暮れても考えた
    そして二か月かかって
    やっとこの世とあの世の
    境無きを知った
    天にも登る嬉しさだった
    そして亡き母を花と見
    雨と見 山と見 海と見る
    心が開けて
    今日に至っている
    いきて行く道を見つけた

    杉村春苔尼さんの詩に「冠頭の詩」があるので、一部を紹介します。

    「冠頭の詩」
    人生は一本の長いお線香です
    刻々の現在に生命の火を燃やして
    消えていく未来は?
    わからない いつ燃え尽きるのか
    それはいつでもいい
    私はそのつきるまで
    即今唯今を燃やし続ける
    高く高く登る煙をあげたい
    清く永く広く香る
    匂いをのこしたい




    この本を読むと、自分の人生を振り返って、はずかしくなるんですよね。
    頑張らなくてはと思うのですが、その気持ち、長続きしないんです。
    だらだら遊んで、酒を飲んだりして、怠惰な日々を過ごし、馬齢を重ねています。
    真民さんや春苔尼さんの爪のアカを煎じて飲むべきだとは、わかっているんです。(H.P作者)


    NO.3詩集:自分の道をまっすぐゆこう 坂村真民  PHP
    坂村真民は、詩人でした。
    自分と他人を励ますための詩を、平易な言葉で書きました。
    現代詩の詩壇とは、全く無関係でした。
    現代詩壇から言わせると、真民さんの詩は、「簡単すぎる」、「技巧が無い」ということになるでしょうが、
    真民さんは、そんな事は、気にもかけていなかったでしょう。

    自分を励まし、人を励ますための詩作を、自分の生涯の使命として、
    詩集を無料頒布していましたから。
    私も真民さんの詩に力をもらいました。

    数点、紹介します。


    今を生きる  坂村真民

    咲くも無心
    散るも無心
    花は嘆かず
    今を生きる


    大恩  坂村真民

    三つの時の写真と
    七十三歳の写真とを
    並べて見ていると
    守られて生きてきた
    数知れないあかしが
    潮のように迫ってくる
    返しても返しても
    返しきれない
    数々の大恩よ


    赤ん坊のように 坂村真民

    どうでもいいという
    人間からは
    なにも生まれてはこない
    そういう生き方からは
    なにも授かりはしない

    祈るのだ
    願うのだ
    赤ん坊のように
    いのちの声を
    はりあげて
    呼ぶのだ


    希望  坂村真民

    漫然と生きているのが
    一番いけない
    人間何か希望を持たねばならぬ
    希望は小さくてもよい
    自分独自のものであれば
    必ずいつか
    それが光ってくる
    そして
    その人を助けるのだ


    鈍刀を磨く  坂村真民

    鈍刀をいくら磨いても
    無駄なことだというが
    何もそんなことばに
    耳を借す必要はない
    せっせと磨くのだ
    刀は光らないかもしれないが
    磨く本人が変わってくる
    つまり刀がすまぬと言いながら
    磨く本人を
    光るものにしてくれるのだ
    そこが甚深微妙の世界だ
    だからせっせと磨くのだ


    ほろびないもの 坂村真民

    わたしのなかに
    生き続けている
    一本の木

    わたしのなかに
    咲き続けている
    一輪の花

    わたしのなかに
    燃え続けている
    一筋の火

    ものみなほろびゆくもののなかで
    ほろびないものを求めてゆこう
    人それぞれになにかがある筈だ



    今から30年ぐらい前に、辻まことの著作の中の言葉に感動した私は、
    坂村真民さんにハガキを送りました。(辻まことの言葉への感想を書いて送りました)
    私と面識がないのに、真民さんから、ハガキで、すぐ返事が来ました。
    そういうところに、真民さんの人間性が表れていると思いました。
    見習うべきだと思いました。

    今回、数点の詩を紹介しましたが、読んでいて、私の心に火が点火されました。
    自分でできる事を考え、毎日の生活を律して、自分を信じて、自分の鈍刀を磨こうと思います。
    年齢は、関係ありません。人の評価も関係ありません。
    ほろびないものを追い求めたいです。