NO.1100万回生きたねこ 佐野洋子 講談社 | |
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佐野洋子さんが、絵を描き、文を書いた童話です。 何よりも、その絵の持つ力に打たれます。 水彩画だと思いますが、水彩画でこんなに力が有って、人の心をゆさぶる絵が描けるとは。 水彩画を見直しました。 猫は100万回死んで、100万回行き返ります。 猫は、王様に飼われたり、どろぼうに飼われたり、おばあさんに飼われたりします。 猫は、人に飼われるのが、好きではありませんでした。 猫は死ぬのなんか、平気でした。 飼い主は、猫が死んだ時に泣きますが、 猫は死ぬ時に1回も泣きませんでした。 あるとき、猫はのらねことして行き返りました。 そこから猫の真の人生が始まります。 ある事が起き、猫は死んで、生き返らなくなります。 そのある事とは、なんでしょうか? 猫の絵を見ているだけで、見飽きないです。 6才の子供が見ても、90才の人が見ても、色々と感じる事がある童話だと思います。 佐野さんの、独立独歩の生き方が投影されている気もします。 |
NO.2 神も仏もありませぬ 佐野洋子 ちくま文庫 | |
佐野洋子さんが、60才から暮らし始めた、軽井沢での暮らしや、人とのかかわり、 お母さんのことや、飼いネコについて書かれている、エッセーです。 なかなか面白く、含蓄のあるエッセーです。 八十八歳の痴呆のお母さんが聞く。 「あの失礼ですけど、おいくつでいらっしゃいますか」 「はい、六十三ですよ」と答える。 「あの失礼ですけど、おいくつでいらっしゃいますか」 「はい、六十三ですよ」 「あの失礼ですけど、おいくつでいらっしゃいますか」 「お母さん、わたしゃ六十三だよう」 「お母さんはおいくつになられました」 「私、そうねー、四歳ぐらいかしら」 今日私は笑わず、しわくちゃの四歳を見て。「ふーん」と思う。 飼いネコのフネがガンで死んでいくことを書いた「フツーに死ぬ」に感動しました。 本当にあと1週間なのか。 苦しいのか。痛いのか。 ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。 畜生とは何と偉いものだろう。 時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目をとじる。 静かな諦観がその目にあった。 人間は何とみっともないものだろう。 じっと動かないフネを見ていると、厳粛な気持ちになり、9キロのタヌキ猫を 私は尊敬せずにはいられなかった。 私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。 私はこの小さな畜生に劣る。 この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。 その静寂の前に恥じた。 私がフネだったら、わめいてわめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。 「ニコニコ堂」店主の長嶋康郎さんの解説が面白かったです。 一部を下記に紹介します。 僕の小さい頃、オリジナルな絵本作家というのはあまりいなくて、だから 絵本というのをよくしらない。 それで佐野洋子さんの絵本を読む機会を失ったままだった。 なのに何となくよく知っていた。 いじわるそうな拗ねたような哀しいような意固地のような、 そのくせ人によくしてしまい、なのに誰にも頼ったりしない、というような 決意がその眼差しにある、あのキャラクターを僕は一度見ただけで忘れられないでいた。 その人となりは、文や絵やただずまいに現れますね。 佐野さんの人見知りで優しく、独立独歩なところが、絵本やエッセーに現れていると思います。 会って、話をしたかったです。 たたずまいを大切にしようと、最近思っています。(H.P作者) |