――島田駱舟氏との対談――

茂 男

 

私は時事川柳を詠みますが、それは、良いものは良い、悪いものは悪いとはっきり識別できることが前提です。人の面をかぶったオオカミを見破る。年取って、感度良好の心の鏡を持ち続けるには、日々、うっすら積る塵を落とす努力が必要です。私の場合は、神社の境内の掃除をさせて頂くことで心の汚れを拭き落とします。
駱 舟 川柳を始められたのは?
茂 男 単身赴任で京都に居た49歳の時です。一人でも出来る趣味を持ちたいと思っていた時に、NHKラジオの川柳で入選しました。それがきっかけで、本格的に始めたのは、当時三条大橋の先で、京都番傘の勉強会で、大橋一正先生等に教えて頂きました。その頃、本籍地・横浜の「路」にも入会致しました。NHK学園の通信添削講座も受けました。
駱 舟 最初から時事川柳ですか。
茂 男 子どものときに貧乏したので、もともと権力に対する批判精神が旺盛です。ごまめの歯軋りで、無力な者が権力を批判する。それが川柳で出来るのは最高です。
駱 舟 反体制ということでしょうか。
茂 男 青春時代はそうでした。高卒で就職した横浜中央郵便局で全逓横浜中央郵便局支部の青年部長をやりました。六十年安保のデモのときは毎日、国会へデモに行きました。有給休暇は許可にならず欠勤でした。それを繰り返していると昇進・昇給に影響が出ます。
駱 舟 それでも組合活動を続けたのは筋金入りですね。
茂 男 泣く子も黙る全盛の「全逓」の青年部長がそう言う立場に追いやられました。それでも、良心はありました。デモの参加者が弁当のカラや新聞、雑誌等のゴミを道路に放置して退散すると、竹箒を買ってきて清掃しました。「これじゃ情けないじゃないか」と呼びかけてると、毎回、二十名前後の若者が賛同して共同作業になりました。そのうち全逓に第二組合が出来ました。職場の人間関係に潤いがなくなり、あっさりと身を引きました。試験を受け直して、当時の文部省に就職しました。
駱 舟 そこでも組合活動はされたのですか。
茂 男 役員はやりましたが、先鋭化はしませんでした。が、下から上を批判する立場は、身についたままでした。それが「時事川柳」の根っこになっています。毎日二句作って新聞に投稿し、そのうちの一句はホームページ「二宮茂男川柳の部屋」に掲載しています。それは生きている証です。自己満足です。誰かが読んでくれれば嬉しいです。
駱 舟 句材はどのようなものが多いですか。
茂 男 特に、意識していませんが、出来るだけ一面トップに載る大きな事件を取り上げたいですね。小さい事件は、相手にとって不足です。
駱 舟 事件は裏に何があるのか分からないので私は直ぐには詠めません。直ぐ詠める人は凄いなと思いますね。
茂 男 確かに裏があります。小さな事件にとてつもなく大きい裏があることもあり、通り一遍の大事件もあります。が、裏を考えて詠むと後々まで残る句になるのじゃないでしょうか。西秋忠兵衛さんの句にそんな句が良くあります。ひと味違います。
 私は、単細胞で、朝刊を読んで二時間程度で2句作ります。が、新聞の見出しは使いません。自分の中で事件を反芻し消化して自分で感じたものを自分のことばで句にします
駱 舟 茂男さんの批判精神の原点は何でしょうか。
茂 男 苦歴、苦労の歴史が深く絡んでいると考えます。履歴書には、学歴、職歴、賞罰欄がありますが、「苦歴欄」がありません。私の「苦歴欄」は充実しています。ここが、反骨の原点です。
 まず、両親が横浜の市街地「平沼」から小さな水飲み百姓の集落へ訳ありの転居して、村の衆に馴染めなくて苦労しました。その姿を純真な子供の目でしっかりと見ていました。次は、強度の栄養失調でリューマチ熱になり、それが原因で20歳まで生きられないと校医から言い渡されました。それとの苦闘が、ずっと長く続きました。三つ目は「ガン手術」この時は、死を現実のものとして意識しました。いつの場合も、常に弱者、虐げられる者の側に立っていました。これが、骨の髄まで染みこんでしまいました。
駱 舟 変える必要はないと思いますね。
茂 男 今更、変えませんし、変えることが出来ないと思います。そんなこともあり私の人生で象徴的のキーワードは「饑餓」と「戦争」です。何らかのかたちで「饑餓」と「戦争」に川柳を通して係わりたいと考えております。この時代を生き抜いた者として、義務感のようなものを感じています。2人の子供と6人の孫達には、しっかりと聞かせておきたいものです。
駱 舟 とてもいいことですね。
茂 男 私は川柳の代表として横浜文芸懇話会の幹事を務めていますが、3年前に「横浜の空襲を記録する会」にその年の横浜文学賞を差し上げたんです。そのときに川柳も何かこういうことをやらなければいけないと感じました。ライフワークにできたらいいですね。
駱 舟 川柳家に対しておっしゃりたいことは?
茂 男 混迷の時代は、「短歌」でも「俳句」でもありません。「川柳」の時代なのです。が、残念なことに、もう一つ、川柳に力がありません。なぜだかよく分かりませんが、柳人一人一人の力不足が原因ではないでしょうか。これを打開するのは、ヒーローの誕生です。もう一つ、柳人一人ひとりが時代を感じ取った作品を作って読者をうならせることです。ここに、時事吟の勉強の下地が生かされないかと思っています。川柳は常に大衆の中で踏ん張る姿勢が欲しい。気取って大衆と遊離し、大衆を見下ろすところで川柳は輝きません。自殺者が毎年3万人、苦しみながら生きている今を外してはいけません。それと悪いものは悪いと怒れるように、心の中を整えていないと駄目です。「いいじゃないか、世の中こんなものだよ」、と誤魔化してはいけません。
駱 舟 おっしゃるとおりですね。
茂 男 大学に俳句に負けない「川柳同好会」が出来るといいですね。 
 
 
(印象吟句会「銀河NO75 2006.6月号より」)