浮世絵で見る保土ヶ谷宿 保土ヶ谷区生涯学習 保土ヶ谷歴史探訪 第6回講座 3 | |
第2部 旅の人物群 配布資料の説明 目次へ | |
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A.「道中風俗」−広重画 東海道風景図会 全2枚 1845年頃 旅先で出会う「旅の常連」を集めたもの 有名な図で、昔からいろいろな資料に引用されている。 |
B.「道中ゆきかい振り」 十返舎一九画 全4枚 1813年 「続膝栗毛」初版本−付録口絵 2年前に発見された新しい資料。 |
この中から、いくつかの人物を取り上げて議論することを考えていたが、時間の関係で省略する。資料の説明にとどめる。 | |
AとBを比較すると共通人物が多い。BはAより30年も前の作品であり、広重はBを「参考にして」あるいは「真似をして」、Aを作成したことは間違いない。しかしそのことは別に大した問題ではない。 | |
2年前、きわめて重要な発見があった。 Bの人物が十数ヶ所、「保永堂版 広重東海道五十三次にそっくりコピー」されていることが鈴木重三氏により発見された。 美術界をゆるがす大事件である。 |
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これまでの定説(昭和5 内田実「広重」(岩波書店))では、「広重東海道五十三次(保永堂版)には原画は見当たらず、すべて広重のオリジナル」と考えられていた。 その後、昭和35年に東海道名所図会からのコピーが二三発見されるという事件があったが、美術界では「少数のコピーがあったとしても、目くじらを立てるほどのことではない=(定説を見直すほどではない)」として、過小評価していた。 今回大量の人物コピーが発見され、定説の大前提が崩れ去ったのである。 |
道中ゆきかい振り→保永堂版広重東海道五十三次 そっくりコピーの例 一目瞭然、説明は不用であろう。 | |
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同じコピーするにしても、何故そっくりコピーしたのかも謎である。広重であれば、この程度の人物ならモデルがなくても描けるはずである。また人物の場合、衣装や場面を少し変えるだけで、コピーしたことをごまかすことは容易である。現在ほど著作権や盗作がうるさくない時代にしても、人の絵をコピーするのは決して自慢にはならないし、「人の真似ばかりする二流画家」という評価にもつながる。広重は何故「誰が見ても一目瞭然」の人物コピーをしたのだろうか。 | |
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新たな発見 広重の「留女」は一九の「道中ゆきかい振り」のコピーであるだけでなく,「北斎五十三次」もコピーしていると思われる。 これまで北斎が広重五十三次のモデルの一つと指摘されたことはなく、大畠の発見である。 |
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女性のポーズや横顔/髪型は北斎図にそっくりである。 一九図では旅人の袖をつかんでいるだけだが、北斎図/広重図では「荷物に手をかけている」のが決め手である。 これがきっかけで、北斎五十三次や北斎漫画からのコピーが数ヶ所発見され、謎解きの鍵になった。(後述−戸塚、川崎・・) |
「道中ゆきかい振り」について | ||
浮世絵と江戸文学の研究者である鈴木重三氏が発見。国会図書館に眠っていた資料である。 続膝栗毛の初版本(1813)に、読者サービス用の付録として添付された口絵(物語の挿し絵ではない)。 鈴木氏は「十返舎一九の作と思われる」としか言っていないが、明らかに一九の作である。 十返舎一九は東海道中の作者であり、作家であって画家ではないが、絵が好きで東海道中膝栗毛の挿し絵はほとんど自分で描いている。 |
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膝栗毛挿し絵(一九自画) | 膝栗毛挿し絵(一九自画) | 十返舎一九肖像 |
その後の大畠の研究で、さらに次のようなことが発見された。 一九は、「膝栗毛」と平行して、「金草鞋」という旅シリーズを書いており、その原稿では挿し絵の詳細から文字の配置割付まで、そのまま製版に廻してもいいほど細かく指定している。 この「道中ゆきかい振り」は、金草鞋「東海道編」1813の原稿に描かれた人物を、一九が再編集し人物群としてまとめたものであることが判明した。 |
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金草鞋(喜多川月麿 画)製本 | ← 一九の金草鞋原稿 → | 道中ゆきかい振り(一九) ↓ |
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江漢五十三次画帖「掛川」 | 広重東海道五十三次「掛川」 |