天神様と牛 石仏論考目次へ | |
天神様の境内に牛の石像や銅像が置いてあることが多い。「牛は天神様のお使いだから」とされる。 何故、牛が天神様のお使いなのか。永谷天神の牛銅像の説明板には次のように3つの理由が列記してある。 1)道真が丑年生まれだから。 2)道真が暗殺されそうになったとき道真の飼い牛が危難を救った。 3)道真の遺体を牛車に乗せて墓所に運ぼうとしたら、牛が座り込んで動かなくなった。 (横浜市南区永谷天神 牛の銅像の説明板より) 1)2)は、話の出所不明。ふつうは3)が理由とされる。 |
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永谷天神(横浜市)の牛 |
京都下御霊社 天神 (石像) |
京都 北野天神の牛 |
太宰府天満宮の牛 |
大宰府天満宮や京都の北野天神にそれぞれ数体の牛の銅像があるが、すべて牛が座りこんだ姿になっている。 「道真の遺体を牛車に乗せて墓所に運ぼうとしたら、牛が座り込んで動かなくなったので、そこに安楽寺を建てて葬った。それが後の大宰府天満宮の場所である。」というのが標準的な説明である。 しかし道真伝説の原典である北野天神縁起絵巻の原文を見ると、話がかなり違っている。 |
「北野天神縁起」の原文 抜粋 筑紫におわしますしける間に、御身に罪なき由の祭文作りて、高山に登りて七日日の程とかや、天道に訴え申させ給けるとき、祭文漸くとび昇り、雲を分けて至りにけり。帝釈宮をも打過ぎ、梵天までも昇りぬらんと覚えし。・・・ 管丞相は現身に七日七夜蒼天を仰ぎて身を砕き心を尽くして、あな恐ろし、新たに天満大自在天神とぞならせ給う。・・ ・ ・・筑前四堂の辺りに御墓所を点じておさめ奉らんとしけるとき、御車たちまち道中にとどまりて、肥状多力の筑紫牛、引けどもはたらかず、そのところを御墓所と定めて今の安楽寺とは申すなり。 牛が座り込んだのではなく、道真の車(柩)が座り込んだ。力の強い九州牛が懸命に引こうとしたがびくともしなかった。 −−つまり、この話には、牛は関係ないのである。 |
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「牛が天神様のお使い」の本当の理由 天神様の正式名称は天満大自在天神である。 そして白牛は大自在天(シヴァ)の乗り物である。 右図:白牛に乗った大自在天(胎蔵界曼陀羅=仏教図像) 大自在天の居るところには何時でも白牛が居る。 |
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●大自在天(シヴァ神)はインドでは「仏教に対抗するヒンズー教の最強神」である。仏教の宿敵である。 ●中国/日本ではヒンズー教がないため、「仏教世界と敵対する仏敵世界の王」とされる。 仏教の修行を妨げる「煩悩(三毒)世界の王」などと説明されることも多い。 ●日本では「平和で幸せな仏教世界(この世)を、戦乱と不幸のどん底に落し入れようと虎視眈々と機会を狙っている魔王の世界」 という解釈を取ることがある。この思想では、大自在天はアルカイダのような存在である。 |
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道真は、高山に登って七日七夜祈り続け、生きながら天満大自在天になる。無実の罪で左遷された道真は自ら魔王「大自在天」となってこの世への復讐を誓ったのである。 菅原道真をはじめ、この世に恨みを抱いて島流し先で死んだ祟徳上皇(保元の乱)や後醍醐天皇(太平記)がこうした魔王(大自在天)に生まれ変わってこの世に不幸や戦乱をもたらすのである。 |
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●「復讐の魔王」から「学問の神様」に変わってしまった今の天神様では上記のような説明が困難である。 太宰府天満宮では、人畜無害な説明−「七日七夜、日本国の繁栄を祈った」「天満大自在天は日本国の守護神」−にすり替えられている。 |
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●天神信仰の研究本では、「大自在天の牛」説を最初に挙げ、それ以外の説−「農耕儀式」説なども列挙してある。 菅原道真→雷神→夕立→雨乞い→農耕→牛・・・の連想かも知れないが、何でも農耕にこじつけてしまうのが柳田民俗学の悪い癖である。 |
シヴァと白牛(聖牛ナンディン)の密接な関係(ヒンズー教図像) −−白牛はシヴァの乗り物−−お抱え運転手−−シヴァの居るところには、いつでも白牛が居る。 |
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シヴァ一家 | シヴァ(左)と妃(右)の合体図 | 白牛に乗るシヴァ石像 | シヴァ石像(足下に牛と獅子) |
本稿は筆者のオリジナルではなく、天神信仰の専門書にすでに書いてあることであるが、天満宮関係者からは絶対に聞けない話であり、ほとんどの方が知らないはずである。 以下のマハーカーラ論に入る前に、「大自在天(シヴァ)と白牛との密接な関係」を頭に入れておいていただきたいために紹介した。 |