中田(立場)の石仏 目次に戻る |
立場は、交通の要地だった場所で、大山道など道しるべの付いた石碑石仏が多数散在する。 コースの起点は戸塚駅から5分の戸塚バスセンターから汲沢経由立場行きバス(神奈川中央交通)。 地下鉄「中田」「立場」、相鉄線「和泉中央」など。 |
御霊神社![]() |
西原公園![]() |
中田広町庚申群![]() |
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<コース案内> 相鉄線「和泉中央」駅からのコースとして説明する。 |
@蚕神霊神塔(市有形民俗文化財) 最初の信号「泉区総合庁舎東」交差点で,右の脇道を入ると、神明社の前に、蚕神霊神塔(大山道道しるべ)、万延元年庚申塔(右大山道 左藤沢道)など石仏群がある。 (この道を進むと、長福寺で、「和泉中央・・・」の石仏コースにつながる。) |
A元の道に戻り、800m先の立場交差点で右折。300m進む。 西原第二公園の隅=信号のある交差点の角に、三方に道しるべのある阿弥陀座像がある。 「東 か・・・ とつか」(かしお?)(かまくら?)「西 大山 厚木」「北 八王子 江戸」 ・・・「南」には何も書いてないことに注意 |
B中田広町 信号を左に入り、住宅街、釣り堀や深い森に囲まれた人家などの道を通って、500mほどでバス道(長後街道)に出る。 バス道の丁度反対側、「広町会館への矢印」のある一角に石仏群がある。(バス停は「広町」) 「中田中学入口」の標識付近。 ●寛文6年の三猿庚申塔:スリムな三猿からモンクの「叫び」を連想。 ●貞享元年の「片手サル」庚申。青面金剛は弓矢、鈷、剣、索、中2手は蛇と索?の変形六手。 この石工の青面金剛が30基以上見つかっているが、すべて6手合掌型であった。この1基だけが合掌型ではない。 ●立派な堅牢地神(文久2) ほかに石祠など |
C御霊神社 バス道を戸塚方向に進み、「中田小学校入口」を左折すると、中田寺がある。寺前のロータリーの木立の下に自然石道祖神。 ここから800mほど進むと、森に囲まれた御霊神社がある。 ●御霊神社との中間点、消防署前の広い公園の入口に、やや摩滅した庚申塔が2基。一つは「片手サル」 ●御霊神社の池の前、寛文6年三猿庚申塔は泉区最古の庚申塔。他に小さな庚申塔が1基。 |
Dもとのバス道に戻り、「白百合愛児園入口」で左折するとすぐ、個人住宅の前に立派な嘉永6年道しるべ庚申塔がある。 「東 かしお道 西 大山道」 「右 と津か(とつか)道」 そのまま緩い坂を上っていくと白百合公園と愛児園。道なりに公園を左に捲いて行くと道の左側小公園に元禄6年の「片手サル」青面金剛がある。 大きな黒御影石の説明板付きで、立派な高い台の上に安置されている。これまで見た多くの「片手サル」青面金剛の中でもっとも大切にされているもの。 |
帰路:地下鉄「中田」、バス停「中田」「葛の口」。 歩くと、戸塚駅まで3kmで30分。途中踊場バス停手前に念仏踊り供養の記念碑と思われる念仏供養塔がある。 |
中田の交通路 「かまくら道」の名称について 中田を東西に通る大山道が主要街道。中田で右に戸塚への道が分かれる。 中田(立場)を南北に通過する道が「かまくら道」と命名されているが、相鉄の「駅からさんぽ」2009冬号のパンフレットによると、「市民からの応募により名付けられた愛称」とのことで、歴史的な道ではない。 各種の地図にもこの「かまくら道」の名称が明記されており、古道の専門家でも誤解しそうなので注意しておく。 ★中田の少し西方には、境川沿いに歴史的な本当の「鎌倉道」(鎌倉上の道)が南北に通過しており、ますます混乱する。 |
中田から鎌倉に行くには・・・ 中田から徒歩30分で柏尾または戸塚に出る。戸塚の吉田橋(または日立入口)から鎌倉道に入るのが、一番分かりやすく安全な鎌倉道で、距離的にも一番近い。 |
中田は道しるべの多い地域であるが、「鎌倉道」の道しるべは一つもないし、「南・・」については「南
藤沢」があるだけである。 ※西原公園の阿弥陀道しるべ「東か・・」が「かしお」ではなく、「かまくら」だったとしても、鎌倉への道は「東に進み、戸塚で東海道に合流し、吉田橋から戸塚鎌倉道を通って鎌倉に出る」上記の道を示しているだけである。すなわち南北の道は鎌倉道ではない。 |
メモ 藤橋幹之助「道標とともに」下巻 中田付近の道しるべとして 42,43,44,45,46が記載されている。 46・・・白百合愛児園入口 45・・・最近まで広町の石仏群の中にあり、写真も撮ってあるが、現在は見当たらない? 「@西原公園の阿弥陀」と「A蚕神霊神塔/B隣の万延元年庚申塔」の道しるべについては、同書に記載がない。 |