高円坊(三浦)の石仏 目次にもどる |
●三浦河津桜コース 三浦海岸駅〜小松ヶ池の線路沿い |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
隠し田 | 日枝神社 | 和田の里 | |||
初声(はっせ)町は三浦野菜栽培の中心地で町のほとんどが広い野菜畑。農村風景のところどころに立派な庚申群があり、自然満喫のハイキングを兼ねた石仏探勝として絶好の地である。 庚申堂バス停を起点としたコースとして説明する。 |
コース案内 |
京急三浦海岸駅からのバスは本数が少なく不便。 (9:47 10:08 10:58 11:49) 徒歩だと庚申堂まで30分。 (駅近くの三浦海岸ハイツの石作公園の先の墓地※に石仏があり、この辺りから仲尾の庚申群の位置に出られる間道がある。車道を歩くより感じがいいと思うが、広い畑の中の分かりにくい道なので地図でよく研究のこと。) @庚申堂 A高円坊隠田 |
B仲尾の庚申群 車道に戻り、車に注意しながら二つ先の仲尾バス停まで引き返す。バス停の30m手前に文字塔を中心とした大型の庚申塔がずらりと並ぶ。 |
C日枝神社 仲尾バス停の位置から農道を右に入り、すぐの分岐点を左折、次の分岐点を上り気味に右折するとあとは畑の中の一本道である。左前方の畑の中の森木立が目指す日枝神社である。道は神社の森の脇を通り過ぎそうになり心配になるが、やがて左に入る参道があり、神社の鳥居前に行くことが出来る。神社右の畑の真ん中に寛文8の大型の三猿庚申塔が一本だけ立っている。 季節によっては作物があって近寄れないかも知れない。 ●さらに奥にも石碑が見えるが、大正に立てられた和田某氏の記念碑と墓標である。 |
D小長作 分岐に戻って更に進むと集落に入り、三叉路に小長作の庚申群がある。 古い延宝6年の小型の三猿庚申塔がある。 この地域(DEF)の青面金剛はあまり上手くはないが、邪鬼のポーズやサルの姿にいろいろ工夫してあるので、注意して一つ一つ見比べてほしい。 E農協隣り F大井戸 |
G白旗神社 大井戸庚申群の先で、車道は90度カーブして更に続く。次の分岐点で右の道を選び、右の山裾沿いの道を進む。 「竹の下」を経て、20分ほどで、森に囲まれた白旗神社に着く。 階段下の鳥居の左の森陰に庚申群(15基)があり、なかなかの壮観である。ここには古いものが多く、元禄の青面金剛が5基(元禄2,6,7,11,14)ある。 うち3基(元禄6,7,14)が「片手サル」であるが、サルの座り方や青面金剛の腕の形などから見て全部「別人の作」である。 |
H和田の里 白旗神社の前をそのまま先へ進むと、住宅の間の小道を抜けて、134号線の和田バス停付近に出る。 信号のある和田交差点から、坂を上っていくと、左に和田義盛碑のある八雲神社があり、その先の三叉路で「ふれあいの村」への道が分かれる。注意して見ると、三叉路の地点から右に入る狭い旧道がある。ここを入ると笹竹を背にして和田(赤羽根)の庚申群があり、12基の庚申塔が並ぶ。 延宝9年11月の6手変型青面金剛(持ち物:三叉戟、棒、索、輪、弓矢)は「本物の片手サル」である。 この石工は延宝8年(1680)に湯河原から鎌倉付近に移転し、同年の7月〜11月に4基の4手青面金剛と1基の三猿塔を作ったが、その後天和2年(1682)の金井(鎌倉街道−港南区)6手変型(持ち物:上記と同じ)まで次の作品が発見されていなかった。片手サルの空白期間が一つ埋まったことになる。 (他に元禄6の青面金剛、甲子塔など) |
帰路: 和田バス停から三崎口駅(京急)へバスで4停留所
180円 頻発。徒歩だと30分ほどかかる。 時間があれば、長浜海岸(海水浴場)、黒崎の鼻、三戸海岸などの海岸に足を伸ばすことが出来る。 |
※三浦海岸駅付近 ○石作墓地 駅からバス道を登り、最初の角を右折して三浦海岸ハイツの団地に入る。団地奥の石作公園を更に奥に進むと金網で囲まれた小さな墓地がある。鍵は掛かってないので扉の掛金をはずして入る。 水盤の上に座った「水神さま」と呼ばれる丸彫り観音、延宝6の三猿庚申がある。亨保4の青面金剛が高々と吊り下げたショケラはスカートをはいておらず男性かも知れない。(六手合掌型の輪をショケラで置き換えたもの) ○池代の信号から脇道に入る。途中野菜の即売所など。線路を越える手前の右側路傍に二童子を連れた享保の青面金剛があり、石作墓地と同じデザイン(合掌ショケラ)である。跨線橋の脇から小松ヶ池に降りる道がある。 |
三浦河津桜まつり 2月上旬から3月上旬 三浦海岸駅〜小松ヶ池の線路沿いに河津桜並木 |
参考:三浦の文化財 第9集(S58) 三浦市初声の庚申塔 |
目次にもどる |