27掛川  広重図の副題は「秋葉山遠望                               目次へ
広重「掛川」の人物について以前から疑問が出ており、A B2説がある。
A説: 凧が揚がり、橋の上の老夫婦が強風に飛ばされそうで、難行している。
   ところが、僧侶の二人連れは、扇子を使い、額の汗を拭っている。橋のこちらは強風橋の向こうは無風?異次元の世界
B説: 偉い坊様に出会った老夫婦が最敬礼をしている場面。(2004岩波本など)

広重の腰の曲がった老婆続膝栗毛口絵の人物がモデル
江漢図には僧侶連れが描いてないので、強風の矛盾はない。 腰の曲がった老婆は続膝栗毛の人物がモデルで、最敬礼ではない
江漢図が「広重図をコピーしたニセモノ」なら、この今にも何かやらかしそうな印象的な僧侶連れを何故コピーしなかったのか。
  
僧侶連れは、十返舎一九のもう一つのシリーズ「金草鞋(かねのわらじ) の主人公 ちくら坊と鼻毛延高 と思われる。
一九は1831年没。広重が東海道五十三次を描いた1833年には遺稿「金草鞋−相模路」が刊行された。 
広重は一九「追悼」の気持ちを込めて、金草鞋の主人公を登場させた。当時の人には説明抜きですぐ誰だか分かったであろう。
 
広重と金草鞋  
広重五十三次は、膝栗毛の人気に便乗した企画という「定説」があるが、上の年表を見れば疑わしい
膝栗毛が終了して13年も経ってから、それに便乗した出版を企画することがあるだろうか。

北斎の五十三次は多分膝栗毛の便乗であろうが、広重はすでに金草鞋の時代の人間である。一九の追悼として「金草鞋」の人物を入れたのであろう。
この東海道五十三次についても、広重は膝栗毛口絵の人物モデル(一九画)など様々な面で一九作品のお世話になっている。

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