理系の論理と文系の論理 (理系同窓会文集への投稿)        論考目次へ
 
定年後、文系の研究の世界に足を踏み入れたところで、次のような発言をさんざん聞かされた。

「他人の説を否定したり反論したりするのは大人気ない。」「議論は見苦しい」

「遠い昔の出来事など、本当のことは誰にも分からない。みんな自分の夢(ロマン)を自説に託して言っているだけである」「昔の出来事を自分の目で実見した人は誰もいない。みんな想像で言っているだけである」

「大畠説は面白いがそれは大畠さんの考えである。ほかの人には他の考えがある。」
「10人の研究者がいれば10の学説がある。それでいいのではないか」

いずれも、研究行為そのものを否定する暴言にしか聞こえず、最初はその都度大いに立腹していたが、様々な立場の人から同じような発言を聴かされるに及んで、これが文科系の研究者一般の考えらしい事がだんだん分かってきた。

理系研究者との基本的なギャップである。

理系の議論

ある事柄に関して、abcdという事実が分かっているとする。
理系の定説(仮説)Xは、abcdの事実すべてが説明できるものでなくてはならず、それが当然とされる。
     
やがて新しい事実eが発見され、それがX説では説明できない場合、X説は厳しい議論の対象になる。議論の判定基準ははっきりしており、abcde全部が説明出来るかどうかである。

X説は、新事実eを否定するか、eを説明できるようにX説を修正してX2説にするしか、生き残る手段はない。修正で間に合わなくなれば、X説は亡び、abcde全部を説明できる新説Yに置き換わる。

この仮説と検証の繰り返しで学問が確実に前進し進歩していく。
文系の議論

理工系であろうと文系であろうと「研究」の姿勢や論理は同じであり、研究者同志ということで話が通じるものと信じていた。

ところが、「郷土史」「石仏」「民俗学」「美術」・・・の分野に関わっているうちに、理工系と文系の論理は全然違うらしいことが分かってきた。 文系では次のように進行する。
           
X説を唱え、その論拠としてabを挙げる。(cdは無視)
Y説を唱え、その論拠としてcdを挙げる。(abは無視)

1) 場合によっては論拠がなくても構わないらしい。
論拠になっているaやbが、実は事実ではなかったことが証明されても、X説は少しも動じない。
もともと事実の上に立った説ではなく、自説をもっともらしく見せるためだけの状況証拠に過ぎないのである。

2) 上図の構造では「X説とY説は中味の議論をすることが出来ない」。
両者は全然違うことを言っており、明確な判定基準もないから、議論しても罵り合うだけで、「声の大きい方が勝ち」というだけの結果になる。
「他人の説を批判したり議論したりするのは大人気ない」というのは、そんな事情から来ているらしい。

議論を聞かされる第三者も自分で判断するための基準がないから、著者の肩書きや本の外装の立派さで判断するしかない。

3) 新事実eが発見されてもX説は少しも動じない。もともとcdの事実を無視した説であり、それが一つ増えただけである。新事実eを否定する必要もなく、だた黙殺すればそれで済む。

★どちらが正しいか

理科系と文系のどちらの論理が優れているかについては議論の余地がない。
理系の学問では、「定説で説明できない新事実の発見」と、「それに続く議論」が学問を確実に進歩させていくための原動力である。

その二つを封じられているから、文系の学問は何十年たっても少しも進歩しないのである。

私の関与した分野を見ただけでも、この70−80年の間、学問が驚くほど進歩していないことが明らかである。
保土ヶ谷郷土史  昭和13年発行の郷土史に何一つ追加されていない。
広重五十三次研究 昭和4年発表された内田実説が未だに定説である。
内田説の前提がすべて間違えていることが数十年前から証明されているにもかかわらず、今でもTVの解説などでも臆面もなく堂々とまかり通っている。

この数十年間の理工系の学問の驚くべき進歩に較べて、文系の学問の進歩は余りにも遅くお粗末である。
進歩の実績から見ても文系の手法は明らかに間違いである。

★何故、文系の議論は理系の議論と違うのか

文系と理系の違いの理由について、次のように説明されている。
本来、理科系の研究にも文科系の研究にも違いはない。
しかし理科系の学問の対象が数値その他客観的に扱えるのに対して、文科系の研究では「自分はこう思う」など主観的な「こころ」の問題を扱うことが多く、理科系のように客観的に扱えないため、一見文科系の研究が非科学的に見えるのである・・・と

★この説明を逆に言えば、文系の研究であっても、客観的に扱える対象であれば理系と同じ扱いをしなければならないし、主観的な対象を議論から外し、出来るだけ客観的な対象についてだけ議論すべきであるということになる。

ところが文系の研究者は日頃「私はこう思う」という感想文的な生温い議論に慣れきってしまっているため、客観的に扱える対象についても同じやり方で済ませようとする。
経験がないため、どうしたらいいかさえ分からないのであろう。

二つのリンゴの絵について、「どちらの絵が上手か」「どちらのリンゴが美味しそうか」は主観的な「こころ」の問題となるが、同じリンゴの絵でも「どちらのリンゴが大きいか」なら客観的な対象である。その区別が分からないらしい。

文系の研究者は「科学的データ/判定」という言葉に意外に弱く、最新科学と言われただけでころっと信用してしまうところがあるが、「科学的」とは何なのかを知らない。

科学的とは必ずしも「最新機器による化学分析値」のようなものではなく、上に挙げた客観的データ−すなわち「理系と同じ論理で取り扱える客観データ」が科学的データなのである。

私が関係している「広重東海道五十三次は盗作だった?!」(TV番組のタイトル)の問題を例として、客観データ/主観でデータ問題を具体的に説明する。

A.広重東海道五十三次「由井」1833
B.そのモデルと言われる司馬江漢画帖「由井」1813
C.初冬(1月15日)撮影の現地写真
  ★AとBは全く同じ図柄で、偶然の一致ではありえないから、どちらかがモデルどちらかがコピーである。  
   ★江漢は広重より50才も年上の先輩であるから、Bが真筆なら、当然BがAのモデルである。

  

美術界は江漢の真筆かどうかだけを問題にしたがる。しかし真贋鑑定は画風/筆遣いなど直感だけが頼りの「私はこう思う」という主観データの代表である。

このケースでは次のような客観的なデータが利用できる。
○「AB二つの富士山のどちらが実物Cに似ているか」は子供でも分かる客観的データである。
  Aは何も見ないで描ける「逆さ扇」の富士、Bの富士は現地を見ないと描けない忠実な写生である。

○富士山は季節や天候により表情が大きく異なるが、積雪状態の比較で分かるように、BとCは季節/天候まで一致している。
江漢の自筆書簡には、この季節にこの地を旅して初冬の快晴の冨士を写生したという記録が残っており、これも客観的な資料である。

○日本には古来多くの冨士図があるが、伝統的に形式的な冨士を描くことになっており(下図)、B図のような写実的な冨士図は江戸時代にはなかった。
   
ところが江漢は以前から風景画や冨士図は写実であるべきという持論を持っており、西洋にはそのための道具として「写真鏡(ドンケルカーモル)」というものがあるの。入手して是非使ってみたいと書き残している。
更に上記の江漢書簡には「この旅で日本で始めて写真鏡を使って冨士や風景を写生した」とあり、これも客観的な事実である。

江漢西洋画論(1811年)
富士山は他国になき山なり。これを見んとするに画にあらざれば、見る事能わず。・・ただ筆意筆法のみにて冨士に似ざれば、画の妙とする事なし。
之を
写真するの法は蘭画なり。蘭画というは、吾日本唐画の如く、筆法、筆意、筆勢という事なし。ただそのものを真に写し、山水はその地を踏むが如くする法にて・・写真鏡という器有り、之をもって万物を写す、故にかって不見物を描く法なし。唐画の如く。無名の山水を写す事なし。
江漢書簡(1810年頃)・・・ドンケルカーモル(写真鏡) これは絵をお習いの御方なくてはならぬもの故、製し候て上げ申つもりにて候。貴公様へも作り上可申候。
江漢書簡(1813年)
去冬帰りに(1812年旧暦12月京都→江戸)富士山よく見候て、誠に一点の雲もなく、全体をよく見候,駿府を出てより終始見え申候、是を写し申候。
この度「和蘭奇巧」の書を京都三条通りの小路西に入、吉田新兵衛板元にて出来申し候、
その中へ日本勝景色富士皆
蘭法の写真の法にて描き申し候、日本始まりて無き画法なり。
この例のように客観データが利用できるケースでは、主観データを出来るだけ排除して客観データだけで判断するべきである。
そうすればBが原画でAがそのコピーという結論は誰の目にも明らかなのに、文系の研究者はそういう考えをしようとせず、「BはAを見て描いた後世のニセモノ・・・」などと言い続けている。

◆この文集の読者には文系の研究者はいないと思うので、安心して文系の悪口を書かせてもらった。

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