*解説 ---------------- 武久 源造 from liner note for CD

【1】作品について
◎《ゴールトベルク変奏曲》、より正式には《アリアと種々の変奏曲》は、4分の3拍子のゆったりと したアリアとそれに続く、様々な様式による、技巧の限りを尽くした30の変奏から成る。30と言う 数は意味深い。バッハよりおよそ100年前にドイツでH.L.ハスラーの、《俗謡「私はかってに散歩に 出かけ」による変奏曲》も、バッハのちょうど50年前に生まれたD.ブクステフーデの《奇想的変奏曲 》も、やはり主題と30の変奏を持っていた。30は10の3倍であり、一つのまとまり、一つの世界 、しかも、この種のものでは最も大きな単位のそれを表す。ハスラーやブクステフーデの場合、30の まとまりは緩やかであり、例えば、演奏の機会に応じて、そのうちの何曲かを割愛したり曲順を変えて もそれほどさしつかえないように思える。(バッハの場合も、これらの30の変奏を、いつも全曲通し て順番通りに弾かなければならないかどうかについては、やはり疑問であるが。)しかしバッハの創作 態度は例によって極めて構成的である。彼は2曲おきに、つまり、第3変奏、第6変奏など3の倍数番 目の変奏ごとに、同度から9度までのカノンを置き、第30変奏には、カノンよりもっと古めかしい対 位法技巧であるクオドリベットを据えている。これらのカノンは一定の周期を生みだし、全体は3曲づ つの小グループに分かれる。この3曲のうち、カノンを除く2曲は、それぞれ明らかに異なる二つの方 向性を指向している。第1は、主題と同じ4分の3拍子でほぼ一定のテンポを守りつつ、音階、分散和 音、平行3度や平行6度、その他の装飾音型を駆使してオーソドックスな変奏を展開しようとする、い わば求心的なタイプ、第2は逆に、拍子やテンポを変え、種々のスタイルを持ち込もうとする遠心的な タイプである。第1のタイプをA、第2のタイプをBとし、カノンをCで表し、各変奏を分類すると次 の表のようになる。

 アリア=主題
1グループ第1変奏[T] 第2変奏[T]
2/4(デュエット)
第3変奏[T]
12/8(同度)
AB C
2グループ第4変奏[T]
3/8(メヌエット)
第5変奏[U]第6変奏[T]
3/8(2度)
BA C
3グループ第7変奏[U]
6/8(カナリ舞曲)
第8変奏[U]第9変奏[T]
4/4(3度)
BA C
4グループ第10変奏[T]
6/8(カナリ舞曲)
第11変奏[U]
24/16(3度)
第12変奏[T]
(4度 鏡像)
BA C
5グループ第13変奏[U]
(アダージョ)
第14変奏[U]第15変奏[T]
アンダンテ 2/4(鏡像)
BA C
6グループ第16変奏[T]
序曲 2/2-3/8
第17変奏[U]第18変奏[T]
2/2(6度)
BA C
7グループ第19変奏[T]
3/8
第20変奏[U]第21変奏[T]
4/4(7度、ト短調)
BA C
8グループ第22変奏[T]
2/2 アラ・ブレーヴェ
第23変奏[U]第24変奏[T]
9/8(8度)
BA C
9グループ第25変奏[U]
(アダージョ)
第26変奏[U]
3/4&18/16
第27変奏[U]
6/8(9度)
BA C
10グループ第28変奏[U] 第29変奏[U]第30変奏[T]
4/4
A+BA+B Quodolibet
 アリア=主題

(表中、変奏曲の番号の右にあるローマ数字は、1段鍵盤)のみで弾いているが、同時に2段使ってい るのかを表している。1段のみの曲でも繰返しの際に鍵盤を変え、結果的に2段使うことがある。4分 の3以外の拍子を取るものはそれを示し、筆者の見解に基づく注釈は( )内に記した。( )のない ものはバッハ自身の指示である。)


◎このように、大半のグループでは、まずB群、つまり、遠心的なものがくる。それは、諧謔的なメヌ エット(第4変奏)、イタリアのカナリ諸島に由来すると言われる独特のジグ(第7変奏)、また、軽 快なパスピエ舞曲(第19変奏)のように何等かの舞曲の衣装をまとっていたり、また、第14変奏や 第25変奏のようにイタリア風アダージョ、あの《イタリア風コンチェルト》の第2楽章を思い出させ るような叙情的アリアであったりする。また、第10変奏はフゲッタ[小フーガ]、第22変奏はアラ ・ブレーヴェと題されているが、これは典型的な合唱対位法のスタイルを模倣している。<序曲>と銘 打たれた第16変奏は、やはり典型的なフランス風序曲であり、荘重華麗な付点リズムを伴う前半と急 速な器楽的フーガによる後半を持つ。本来全曲の冒頭に置かれるべき序曲が、曲の中ほどに現れること の意味深さについては後に述べる。いずれにしてもバッハは、多彩な姿を取って現れるこれらB群の諸 曲によって聞き手の心に、その都度新たな興味を引き起こそうとしているかのようである。そしてその 後に、より技巧を凝らした、いわゆる変奏曲らしい変奏がくると言うわけである。ただし、最初と最後 のグループだけは少々異なっている。
◎主題のアリアは、叙情的なタイプのサラバンドで、フ ランス風の装飾と歌い回しが目立っている。(この曲は、1725年に書き始められた<アンナ・マグ ダレーナのために音楽帳>に既に現れているが、バッハの自作ではない可能性がある。)後にも述べる ようにバッハは、この主題の旋律をではなく、その和声進行のみを、変奏の基盤として用いている。こ の和声進行は16+16小節で、主調であるト長調に始まり、属調、平行短調、下属調と、重要な近親 調を経て主調に復する。各々の調が占める時間的バランスが良い。特に、主調の印象を確立する最初の 8小節は、何処か懐かしさを感じさせるような、優しさに満ちた不思議な魅力を持っている。これとよ く似たバス進行がイギリスのディヴィジョン[既存の和声進行に基づく器楽変奏曲]にしばしば現れる。 (H.パーセルのグラウンドにはバッハが用いたこの曲の最初の8小節と全く同じ左手部分を持ったも のがある。)
◎さて、極めてフランス的なたたずまいのアリアに続いて現れるのが、素朴なリズムの中に幅広い跳躍 、音階・分散和音等を織り込むイタリア的な第1変奏で ある。フランス風とイタリア風の対置は、バッハが好んだ「音楽の国際化」のための常套手段であった (これと同じような変化が後半の最初、第16変奏とそれに続く第17変奏の間にもみられる。)が、 ここで作曲家は、主題とは一線を画した新しい物語を始めようとしているかのようである。全体の拍子 とテンポを定め、変奏曲の開始を厳かに宣言する。そのためには、オーソドックスな「変奏曲らしい」 曲がこなければならない。そこで、表におけるAとBの順番が、他のグループと違うことになったのだ ろうと思われる。
◎しかしそれにしても、この第1変奏と言い、続く第2変奏と言い、バッハはいきなり、最も斬新な趣 向を持ち込んでいる。第1変奏の頭に出てきて、その後何度も繰り返される、左手による10度の跳躍、 そしてその後に現れる、両手の交差を含むもっと広い跳躍は、耳に快く、聴いたところそれほどの衝撃 は与えない。しかし、それまでの鍵盤曲の楽譜に馴れ親しんできたチェンバリストにとって、これはけ っして弾き易いとは言えない。このようなけいかいなリズムに乗って、10度の跳躍を伴奏音型として 繰返し使うと言うやり方は、この時代までに類例がないばかりか、あえてそれを探すなら、100年後 のジョン・フィールドまで待たなければならないのではなかろうか。また、第2変奏の4分の2と言う 拍子とそれが示唆する幾分荘重なテンポは、18世紀が始まった頃にやっと現れたばかりの、極新しい ものである。左手の、どこか四角四面でとりすましたような伴奏音型、右手の優美な旋律、特に僅かに 付けられたスラーは、当時最新流行のギャラント・スタイルを匂わせる。
◎その後のA群に属する変奏は全て二つの鍵盤を使うよう指示されtいる。(第5、および、第29変 奏は1段の鍵盤で弾くか、2段使うかは奏者の裁量にまかせられている。この演奏では両方とも2段使 っており、第29変奏では、音型によって1段鍵盤のみで弾いたところもある。)これらを並べてみる と、それぞれの変奏は尻取りの関係で繋がっていることがわかる。つまり、第1変奏は両声部の音階楽 句によって終わっているが、それを引き取るように第5変奏は右手の上行音型で始まる。さらに第5変 奏末尾の分散和音の楽句と殆ど同じ動きで第8変奏が始まる。この変奏は急速な下降音階でユーモラス に閉じられるが、第11変奏は16分の24と言う急速な拍子にのってやはり下降音階で始まる、と言 う具合である。(やはりバッハに大きな影響を与えたリューネブルクの先達G.ベームのコラール変奏 曲に、これとよく似た趣向のものがある。)これを見ていると、バッハはまず、A群に属する一連の変 奏曲を作っておいて、そこへ後から、B群C群の曲を周期的に付け加えていったのではないかとさえ思 えてくる。
◎A群の変奏は、進むにつれ、音符は一層分化され、高度な演奏技巧が用いられるようになるが、それ と共に、表現の振幅も大きくなる。この傾向は休むことなく推し進められ、遂に、6連音符の流れるよ うな動きと付点リズムとが同時進行する第26変奏にいたる。これに対して、様々な音楽の花束のよう なB群に属する変奏では一つの傾向が段々顕著になると言うようなことはない。(例えば、種々の洒脱 な身振りとめくるめき技巧を誇る第23変奏に先立つ<アラ・ブレーヴェ、第22変奏>は、依然として さわやかなまでに単純である。)このことの結果として、曲が進むにつれて、各々のグループ内のAと Bの距離がますます広がっていくことになる。一つのグループを一つの周期、一つの円運動と見るなら、 自己相似を繰り返して大きくなる。つまり、螺旋を描いて拡大する全体像が浮かんでくるのである。
◎各々のグループの最後に置かれたカノンについても一言触れておかなければならない。カノン(いわ ゆる輪唱)の技巧は、中世にまで遡り得る由緒ある伝統だが、既にバッハの時代には古くさいものにな っていた。しかし《フーガの技法》を書きつつ世を去った、この頑固なドイツ人にとって、同じ和声進 行の上に9種類のカノンを展開して見せることは、確かに挑戦意欲をかきたてる企てであったろう。彼 はこれらの、いわば理屈っぽい音楽を一通りにではなく、ここでも種々の拍子、テンポ、身振り、スタ イル等を駆使して、実に多彩なものとしている。殊に、中ほどの4度と5度のカノンはおもしろい。
◎<第12変奏、4度のカノン>では、第1声部がまずG’音で始まり、第2声部がその下のD’音から 始まってそれを追う。G’に対してD’は4度下である。<第15変奏、5度のカノン>では、G’で始 まる第1声部を追う第2声部は、5度下のC’ではなく、5度上のD’’から始まっている。4度と5 度とは、上下を逆にすれば同じ音の関係になる。このことを強調するかのようにバッハは、この二つの カノンを鏡像進行による逆行カノンとしているのである。
◎さて、第28変奏から始まる10番目の、つまり、最後 のグループであるが、ここではAの要素とBの要素が完全に合体している。第28変奏は、音符で書き 出された長いトリルの上で、半音階と広い跳躍が交代する部分と、宗教音楽にしばしば現れる[十字架 の音型]が絡み合う部分とから成っているが、これらの技法、特に前者はG.フレスコバルディの諸作 品、例えば有名な《100の変奏曲》の後半のある部分に似ている。また、第29変奏は、両手による 3重トリルと、両手の間を受け渡される急速な音型の反復から成っているが、これも、アレッサンドロ ・スカルラッティの《フォリアによる変奏曲》等を想起させる、極めてイタリア的な音楽である。いず れにせよ、これらの2曲は確かに変奏曲の系譜を踏まえたものではあるが、その枠をはみだすトッカー タであり、キャラクター・ピースでもあり、何よりも、それまでの全曲の歩みを逸脱するような不思議 な雰囲気を持っている。30曲の変奏を含む《ゴールトベルク変奏曲》は、3の9倍である27曲目で 狭い意味で完結し、その後に来る10番目のグループは、取って置きの趣向、カノンと同じく伝統的な 対位法技巧であるクオドリベットで締めくくられるのである。
◎ここで、より大きな視点から、この曲全体を10のグループではなく一つの円として、30曲ではな く1曲の変奏曲としてもう一度眺めてみよう。
◎主題と30の変奏とは言え、主題のアリアが最後にもう一度繰り返されるので、実際には32曲と言 うことになる。それは、前半と後半の2部分にはっきり分かれているようにも見える。なぜなら、先に も述べたように、ちょうど17曲目の<第16変奏>が《序曲》と題されており、そこで明らかに雰囲気 が変わるからである。それまでの前半は比較的地味で、いわばドメスティックな雰囲気を持つのに対し て、後半は、名人芸を誇示するような派手な見せ場が段々顕著になっていく。《ゴールトベルク変奏曲》 は、《クラヴィーア練習曲集第4巻》として出版されたものであるが、もともとバッハが1742年頃 に、弟子のJ.G.ゴールトベルクのために、不眠症に悩む彼の雇主カイザーリンク伯爵の子守歌代り に書きおろしたものである。この点を強調し、これを子守歌として見るなら、確かに前半はそれに相応 しいが、後半は眠っている人も起こしかねないような賑やかさである。
◎優しく、慰めに満ちたアリア、あたかも1日の疲れを癒そうとするかのように曲は静かに始まる。そ して、アンダンテ・ト短調の<第15変奏、5度のカノン>まできて、前半の最後、ちょっと一息と言う 気持ちになる。確かにこの第15変奏は独特な存在感、宗教的とも言える内容を持っている。冒頭のた め息の音型を始め、バッハが教会カンタータや受難曲でよく用いる、苦痛の音型、涙の音型、思いまど う魂を描写するのに使われる旋回音型などが切々と歌われ、最後は静かに真っ直ぐ上昇し、全曲中の最 高音であるD’’’に到る。これは、ウィーンの偉大な先達J.J.フローベルガーの《埋葬曲[トン ボー]》の末尾、昇天する魂を表すかのようなあの上昇音型を思い出させる。また、ペストが流行し戦 役が絶えなかった17世紀後半のドイツ、人々の萎えた心を癒すべく、家庭または内輪の集いなどで弾 かれるために書かれた鍵盤曲、例えばJ.パッヘルベルの一連のコラール変奏曲とも共通する雰囲気が ここにはある。正に、最良の眠りを誘う音楽と言える。ところがそれに続くのは、華々しい序曲・・・・・・。 既に夜は去り、夜明けの音楽が始まる。1日が始まり、この世の限りのトリックとユーモア、悲しみと 歓びの極みとも言うべき<第30変奏、クオドリベット>となる。200年前のゼンフル等の時代から既 に良く知られているクオドリベットと言う語は、複数の歌の旋律を同時に、即興的に重ねて歌う遊びを 意味し、それは、バッハ家のような音楽家族が一同に会したときの恰好な娯楽であった。上記ハスラー の変奏曲でも、クオドリベットが取って置きの趣向として登場するが、バッハの場合はさらに手がこん でいる。ここでは、二つの俗謡《長い間お前に会わなかった》と《キャベツとかぶらが私を追い出した》 の旋律が、主題の和声進行の上で組み合わされる。30の変奏は全て主題の和声進行に基づいているが、 主題の旋律そのものは、この間一度も現れなかった。正に、長いことご無沙汰していたのであり、それ を追い出していたのはキャベツとかぶら(つまらないものの比喩)、つまり、これらの30の変奏であ ったと言う訳である。心憎いユーモアである。バッハが謙虚にそう呼んだこの[偉大な]キャベツは、 18世紀はおろか、鍵盤音楽史上にも類を見ない味わいと香とを放っているのだ。
◎時はまた夜となり、静かに主題が帰ってくる。1日が過ぎて行った。何と美しい日であったことか! 「神の1日は、人の千年に優る。」と言う詩篇の一節を思い出す。

【2】楽器について (略)

【3】演奏について (略)

武久 源造 from liner note for CD