〜第10回 四万十川100キロマラソン完走記(2004.10.17)〜 吉岡 利昭(62歳9ヶ月)
100キロマラソンは12回目、このコースは昨年に続く4回目である。今回の10時間20分は、昨年を6分上回り、今の実力、練習量では、十分に満足できる。3週間前の突然の腰痛で3日間は歩くのも痛く、特に階段の下りは、両手で手すりをつかみ、蟹のように横歩きをする最悪状況。いつもは自信満々の僕も、今回は完走できるとは思っていなかっただけに、格別に嬉しい。スタートからゴールまでの5キロごとのラップは、27〜34分と安定した理想的な走りができた。60歳代男子で3位(139人中)であり、16年間のランニング人生で始めての入賞という、お土産も頂いた。総合で155位(1,470人中)。
AM5:30 号砲が鳴り、ゆっくりとスタートした。周囲はまだまっ暗闇であるが、照明や松明(たいまつ)で明るい。この50m間隔で約1キロも続く松明は、このコース独特で、幻想的である。気温は8℃と寒く、防寒用にビニール袋を被っている人も多い。僕は、いつもどおり、走行方向の一番右側を走って、松明の暖かさを感じながら、元気を注入してもらっている。間もなく、応援するランナーに応える徳島城山RCのマドンナ平井小夜子ちゃんの元気な声が聞こえた。僕も「小夜ちゃん、頑張って!」と、エールをおくったが、彼女の姿はあっという間に消えた。調子がよさそう。1キロを過ぎ、松明が途絶えると、今度は車のライトがランナーの行く手を照らしてくれる。
僕は、他に5場所の100キロを走っているが、この四万十川は、ランナー1,800人に対しサポーターが1,900人と手厚いこと、100キロの2/3以上が木陰であり直射日光から守ってくれること、そして何より沿道で応援してくれる人の数が多く、かつ雰囲気が暖かいこと等もあって、ランナーには、人気抜群なのである。故に、抽選がある唯一の大会だが、今まで僕にはこの大会極めてくじ運が悪かったが、やっと連続出場できた。 5キロを通過、29分26秒とまあまあのペース。しかし、3週間前突然の腰痛が発症、今日は何とか痛みが出ませんよう祈るばかり。それにしても、自宅で寝そべってテレビを見ていて、急に起き上がった瞬間激痛がはしった。「普段から腹筋・背筋を鍛えているのに何故?」という思いは今も消えない。間もなく追いついた徳島城山RCの桑原さんが、「先程まで宮竹さんと並走していたけど、早すぎるのでボチボチいきます」と。さらに2キロ過ぎで宮竹さんとも並走し、「今頃こんなところを走っているようでは、吉岡さん、今日は遅いですね」「腰痛が心配で、今日はゆっくり走ります」といった会話をかわしながら、僕の方が一歩前にでた。 8キロ過ぎ、ゆるやかな上り坂が始まった。すでに明るくなりはじめており、川のせせらぎが聞こえてきた。ここから21キロの650mの山頂までは、木立の山道で、ひたすら上る坂道である。特に20〜21キロの間は急になり、最初の難所だ。僕は、いつものとおり歩幅を小さくし、ゆっくり走っているのだが、他のランナーの荒い息づかいを耳にしながら次々と追い抜いた。追い越されたのは一人もいない、という快調な出足であった。 21キロ地点の650mの頂上でトイレ休憩。数キロ前からもよおしていたのだが、我慢した。この場所は、6年前の国際記念大会の時、外国女子選手2人が、ランナーが走っているすぐそば(1mくらい)の道端で、オシッコをしているのを目撃して、ビックリした。別に我慢する必要もないのに、去年も今年も、ここまで我慢したのもお笑いぐさ。 トイレを終えて、下り坂が続くが、次々と追い抜かれた。さらに、猛烈なスピードで追い抜いていく美女がいたので、思わず声をかけた。「そのスピードでは、後半ヘバリますよ」と。全く余計なお邪魔虫なのだが、その美女は、スピードを緩めて、僕と並走しだした。美女は、香川出身で、3年前の丸亀ハーフマラソンで高橋尚子の走りを見てから、ジョギングを始めたという。フルマラソン(は1回だけ)より先に、昨年6月、瀬戸内海の島々を渡る「島なみ街道100キロ」に参加したが、最後の20キロは走れなく、歩き続け、16時間近くかかった、と。僕が12回目の挑戦だと言うと、 美女:「歩かずに完走するためには、どうしたらいいですか?」 僕 :「前半は押さえ、特に下り坂は、足の負担を少ない小幅・ゆっくり走行が大切」 とアドバイス。さらに美女と5〜6キロを並走していたが、「僕にはやや早すぎるので、もう少しゆっくり行きます」と言ったが、美女はそのままのスピードで、どんどん坂道を下り、やがて見えなくなった。途中で失速しなければいいのだけど。緩い下りなので、無意識のうちに足が伸びるのだろうが、今それを我慢するのが大事なんだけどな〜。女性にはめずらしい無鉄砲なところがあり、今後の成長も期待できて魅力的だが、ツブレないように。 32キロに到着。ここでやっと四万十川に対面し、気持ちもホットゆるむ。と、年配のランナーに話かけた。湊さんという徳島の大塚製薬のOB(66歳)で、この大会4回目の出場は僕と同じ。名門の大塚製薬陸上部に席を置いていた(本人は謙遜して"その土間"といっていた)が、大塚製薬や徳島のことで話がもりあがった。城山RCの剣山の大塚山荘合宿の話で、たった1週間だが、管理人をした経験もある由で、ますます話がはずんだ。 湊氏曰く「去年は13時間近くかかったので、今回はバテないよう1キロ6分を越えるペースを守ります」と。さっきの美女と違い、自分の実力と100キロマラソンという距離をさすがによくご存知のご発言。しばらく並走していたが、36キロの昭和大橋を渡ったところで、奥さんが応援にきておられた。奥さんが湊氏と僕を記念撮影してくれた。彼は、奥さん持参のスペシアル飲食物で小休止するので、ここで僕のみ先行した。この"昭和大橋"を含めて53キロの四万十川名物の"沈下橋"、73キロの"芽生大橋"と、計6〜7本の橋で四万十川を渡り、見事な景観を満喫できる。景色の素晴らしさとともに、他のウルトラマラソンのコースと違うのは、山すその木陰を走ることが多いのが有難い。今日も、雲ひとつない青空なので、日差しはきつい。4年前、直射日光によるやけどで水ぶくれだらけになったサロマ湖の経験もあり、前日受付会場で買った、紫外線防止の長袖のシャツを着、首にはガーゼのタオルを巻いている。 40キロを通過。大型バスが2台あり、その前に数十人の女性達が並んでいた。恐らくご自分の夫のための応援なんだろうけど、時々ランナーの名前を呼んで応援してくれるのは、うれしい。 ここで、42.195キロの標識があり、念のためタイムを計ったら4時間7分だった。 45キロを通過。ここで、さっきから10〜30m先を好調に走る見覚えのある人を見つけた。僕が現在所属する国分寺JCの淺川会長である。ヘヤースタイルといい、体つきといい、なにより走り方のフォームが同じ。まさかと思いながらも、「僕に内緒でこの大会に参加しているのでは?」と思い、こっちもピッチをあげるが追いつかなく、やっと50キロのエードステーションで追いついた。別人でした。彼の顔をまじまじ見つめたものだから「貴方が僕の知人に良く似ているので」と言い訳をしたが、怪訝な顔で、迷惑そうだった。 50キロを通過。4時間52分。去年より7分早い。しかし、最初の"沈下橋"を往復してすぐに"半家(はげ)大橋"を渡り始めたところで突然右足のすねにケイレンが走った。「やばい」と強烈な不安に襲われた。やっぱり完走は無理か?腰にも違和感があり、「先は長い。完走第一」と自分にいい聞かせ、直ちに橋の手すりにつかまり、ストレッチをした。手すりは、ストレッチ効果が大きいだけでなく、四万十川と直面させてくれ冷静になれた。水量はさほど多くはないが、水は澄み切っていて、川底の石がよく見えた。この大橋を往復すると、すぐに第2の難関である急坂の180mの山上りが待ち構えていた。まわりの半分の人は歩いていたが、僕はゆっくりだが、比較的楽に上れた。下りはさすがに足のふくらはぎと大腿前部が痛く、歩くがごとくソロソロと走った。と、ここで猛烈なスピードで駆け下りていくランナーがいた。淺川会長(によく似た人)だ。さすがに実力者だと感心しながら見送った。 62キロのカヌー館(大休憩所)。ここに走りこんでくる直前にすでに連絡があって、預けていた荷物を高校生が手渡してくれるのだが、断った。靴もウェアーも履き替えずこのままいこう。ここは、6年前、両足ともひどい痙攣をおこし、ドクターストップをされたが、30分のマッサージで、なんとか持ち直した思い出の場所。今回は、ストレッチの後、水、スポーツ飲料、味噌汁、みかんの缶詰、おにぎり、バナナと無理やり詰め込んだ。暑さが厳しくなっており、場内放送で水分補給を十分にするよう、繰り返しアナウンスがあった。わずか3〜4分の小休止で、戦線復帰した。 70キロを通過。足および腰に疲労を感じ始めた。苦しい分、一生懸命腕を振った。正午の0時半過ぎで、雲ひとつない青空の直射日光はますますきつい。汗もかくので、水分補給と梅干はしっかり口にした。そして、75キロからゴールまでは、5キロごとのエードステーションで、頭から氷水を2杯ずつかけてもらった後でストレッチをした。氷水が気持ちいいほど気温が高くなってきていた。 楽しみにしていた80キロのエードである。食欲のないお腹に、ここには何と寿司があり、これなら食べれた。さ〜元気をもらった。ここまでくれば、無理だろうと思っていた100キロ完走も大丈夫だ。たとえ残りを全て歩いても、制限時間まで、2時間位は余裕がありそうだ。腰は重いが、幸い腰痛もない。10月に入って、東京は連続8日の雨で練習ができなかったが、これは僕の腰痛には、かえって大プレゼントだったのでしょう。 沿道の応援に手を挙げるのがやっとになっているが、子供たちが期待しているので時々ハイタッチをするが、疲労のためハイタッチがどんどん少なくなった。そして、周りの景色、四万十川の流れも楽しむ余裕はなくなっている。ただ前を見つめ、そして必ず時計を見つめた。1キロごとにある距離標識の数が少なくなっていくのを確認し、ホットし、自分自身を励まし続ける。「あと〇〇キロだ!」と。 97キロ地点。皆疲れて順位の移動がなくなっているが、ここで僕を追い抜いていった"元気ランナー"がいた。60キロコースに参加している2人組みと話をしており、余裕の表情。2人組みは80キロ付近から、僕を追い抜いては歩くという形で、頻繁に僕と前後していた。一方元気ランナーも99キロ地点の80mの最後の上り坂で歩きだした。差は70〜80mであり追い抜けるかな、と思ったが、なかなか差は縮まらない。ここで頑張るのは、心臓には極めて悪いのだが、やっと20m差で頂上となった。あとはゴールまで500mの下り。応援は非常に多くなった。日焼け防止で首に巻いていたガーゼタオルをポシェットにしまい、帽子を被りなおし、格好よくVサインをし、ニコッと笑ってゴールしよう。場内アナウンスに後押しされ、さらにスピードを上げた。ゴールイン! うれしい!そして、皆さん、有難う! あとがき:
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