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| その20・とだ | |
| 樅の木は残った(山本周五郎) | |
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NHKがテレビ放送を開始したのは1953(昭和28)年。今年はちょうど50年目にあたり、盛んに特集番組が組まれているのはご承知の通り。そして、カラー放送の開始は1960(昭和35)年。しかし、ぼくが自分の家でカラーテレビに初めてお目にかかったのは1970(昭和45)年の暮れ。小学校2年生だった。おそらく冬のボーナスで購入したのだろうが、古くさい白黒テレビでずいぶん粘っていたものだ。 わが家初のカラーテレビは、12月下旬の日曜日の夕刻に届いたので、記念すべき(わが家の)カラー第一作は、NHK大河ドラマの最終回とあいなった。この年の大河ドラマは、『樅の木は残った』というタイトルで、小学校低学年の子どもにはかなり難解な筋立て。親が観ていたから、自分も何となくブラウン管の前に座っていたのだろう、ストーリーに関する記憶は皆無である。しかし、最終回のクライマックスは、主人公をはじめとする数人が刺客たちに斬殺され、血しぶきが飛び散る凄惨な場面だったので、初めて観るカラー画面の血の色が非常に強烈だった。ぼくの母などは、慌てて「目をつぶりなさい!見るのやめなさい!」などと叫んだ程。長いこと白黒で頑張ってきたせいで、かようにカラー映像への免疫がない家族だったのである。 『樅の木は残った』というタイトルは、カラーテレビの衝撃的登場と相俟って、それ以後もぼくの記憶に長く留まり続けた。やがて、原作があることを知る。作者は山本周五郎。彼の作品に触れるようになったいきさつは、以前述べているので割愛するが、ぼくにとって周五郎作品の原点とも言える小説である。 評論家の奥野建男氏は、別の作品『虚空遍歴』の解説文で次のように述べている。 『虚空遍歴』は、昭和三十一年の『樅の木は残った』、昭和四十一年の『ながい坂』とならぶ、近年の山本周五郎文学を代表する本格的長編小説である。この三長編に、作者の人生観、哲学、芸術観が集大成されている。・・・この三作は、山本文学の今日における達成を示す屹然たる巨峰と言ってよい。 奥野氏は、『ながい坂』の解説においてもこの三長編を取り上げ、「この三作全部を読むことによって、はじめて作者の抱いている人生観、世界観、芸術観などを総合的、全体的に把握することが可能になる。」とも記す。奥野氏のコメントに異を唱えるつもりはない。確かに三作のそこここに共通する雰囲気を感じ取ることができるし、『樅の木は残った』の中には、明らかに『虚空遍歴』の主人公につながる人物も重要な役割を担って登場するからである。 しかし、ぼくは三長編にそうしたつながりを感じながらも、明らかに『樅の木は残った』が抜きんでていると思うし、あえて他の二作を読まずともこれだけで十分周五郎を満喫できると思う。『さぶ』や『赤ひげ診療譚』あたりでウォームアップを終えたら、すぐに読むべきである。これほど、読み進むにつれて作中の世界に没入させられ、残り僅かになるに従って読み終えるのが惜しいと感じさせられた小説はほかに思い当たらないからである。 「お家騒動」ということばを知っているだろうか。江戸時代初期に、いくつかの藩で起こった家督相続争いや家臣たちの権力闘争。場合によっては大名の改易(取りつぶし)に至った事件を指す歴史用語である。黒田騒動(1632)・加賀騒動(1745〜54)・伊達騒動(1671)などが代表的。『樅の木は残った』は伊達騒動を主題とする。あの有名な伊達政宗を藩祖とする仙台藩が舞台。事件のあらましは以下の通りである。 万治3年(1660)、三代目藩主伊達綱宗は幕府の命により引退させられる。理由は遊蕩と浪費。家督はまだ二歳にしかならない幼少の子、綱村が相続。これが伊達騒動の始まりとされている。この幼い藩主を後見して権勢をふるう伊達兵部宗勝(政宗の末子)、国老である原田甲斐(かい)らと、反対派の重臣伊達安芸(あき)、茂庭周防(すおう)らの対立抗争が続き、ついに幕府による裁定を仰ぐことになった。大老酒井忠清邸において査問を受ける途中、原田甲斐が乱心して伊達安芸を斬殺、甲斐も斬られるという修羅場となるが、仙台藩はかろうじて62万石の領地を保つことができた。(小学館『体系日本の歴史 H士農工商の世』深谷克己著を参照) この話は歌舞伎の演目(伽羅先代萩:めいぼくせんだいはぎ)ともなり、昔から原田甲斐は悪人として描かれてきた。幼い藩主の後見人たる伊達兵部と結託し、藩政を牛耳ろうとする奸臣。それが原田甲斐である。 しかし、山本周五郎は、彼を全く違った立場に置く。このお家騒動は、幕府による外様の大藩取りつぶし政策の一環であった。伊達兵部は、藩内のさまざまな軋轢をことさら大きくし、最終的には仙台藩を改易へと導き、その上で大老酒井忠清との縁戚関係を利用して、藩の領地を自分に分与してもらおうとしているのである。原田甲斐は、兵部の野望、ひいては酒井忠清による仙台藩解体の意図を早くから見抜き、藩内の勢力争いや幼主毒殺未遂事件、谷地争論(領地争い)などが表面化しないように努力する。 とにかく、トラブルを藩内で解決できなければ、「仕置き不行届き」として幕府からどのような沙汰があるやも分からない。そもそも、先代藩主の綱宗が逼塞させられた理由からして、綱宗本人も家臣の多くも納得しがたいものであったのだから尚更である。 周五郎描くところの原田甲斐は、なかなか魅力的な人物である。 伊達家中の名門に生まれ、いやが上にも藩政に関与する能吏としての立場を義務づけられながら、しばしば故郷の山にこもる。長年にわたり追いかけている「くびじろ」という異名を持つ大鹿を狩るために。 自然児のような精悍さ。一方で、次々に降りかかる仙台藩取りつぶしへの謀略を、一見伊達兵部派に自らを擬しながら、巧みにかわしていく慎重さ。妻とのすれ違い、おくみという女性への不器用な愛情表現、さらに伊達騒動の発端に当たり、二親を失って原田甲斐に庇護されることとなった宇乃という少女との触れ合い。山本周五郎は、原田甲斐をどこから見ても隙のない人間として描いてはいない。当たり前のことだが、どんな立場にあっても、人は生身の人である。さまざまな欲を持ち、悩みもするし失敗もする。だからこそ原田甲斐は魅力的である。 彼は、次第に孤立していく。ものごとの全体像をしっかり見据えているのは彼だけである。原田甲斐に心酔する登場人物たちも、目先の利害に捉われて、一番避けねばならないこと〜藩内部の軋轢の表面化〜を具現化していってしまう。最後の切り札は、酒井忠清と伊達兵部の間に交わされた仙台藩分与を約す証文であった。原田甲斐が、それをどうやって手にし、どのように使おうとするのか、酒井忠清はどのように原田甲斐をねじ伏せようとするのか・・・。 是非、読んでほしい。高校生時代にとはいわない。卒業してから、何年経っても構わない。ぼく自身、初めて読んだのは25歳だった。いつか読むべき本として記憶しておいてくれれば、それでよい。 本当は、『樅の木は残った』を紹介するのはもう少し先に、と思っていた。しかし、あるきっかけがあって、早々と登場させたのである。『さぶ』を取りあげたとき、ある卒業生が「読みましたよ、さぶ。」と言ってくれてうれしかった、と書いた。ハンドボール部のOBであるその卒業生は、今夏久しぶりに言葉を交わしたとき、『樅の木は残った』を読んだ、と言うではないか。「そう、読んだ!どうだった?」ぼくの問いかけに、彼は言葉少なではあるが、「いやあ、あれはよかったです。・・・すごいです。・・・よかった。」というように答えた。何も語っていないようだが、何がどうよいのか、どこに感銘を受けた、とかいうのではなく全体として素晴らしいのである。この本の愛読者ならば、彼の表現はよく理解できるであろう。 今、大学で法律を学ぶ彼が、周五郎作品に一貫して流れる「弱者への限りない愛情」、あるいは「人生に対する正義感」のようなものを心底に持ちながら、やがては法曹界で活躍するだろうことを確信する・・・なんていうと、一気に説教臭くなってしまうのだが、しかし、これは偽りのない気持ちである。 最後に、登場人物の名前について。「甲斐」「安芸」「周防」などの旧国名は、武士の名乗りの慣習のようだ。原田甲斐は、原田甲斐宗輔(むねすけ)が正しい名である。しかし、伊達「陸奥守」、大岡「越前守」などのように旧国司名が称号として用いられているのとは違う。なぜ、苗字と名の間に国名の通称が入るのか、ちょっと調べてみたこともあるのだが、未だ結論を得ていない。ちなみに、「兵部」は、伊達宗勝が兵部少輔という官名を持つからである。 (2003年8月) トップページに戻る |
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