ここの所、日本人が国際的に大きく活躍している。信じられないくらい、凄いことだ。世界に通用する日本人選手!カッコイイ。その中でも、野球とサッカーが一番目立つ。花形選手になる日を子供の頃から夢見て、日々努力を重ねてきたのだ。持って生まれた才能もあるのだろうが、それだけでは一流になれない。スポーツと言っても、ただ運動すればいいというものではない。自分の身体の状態から、食事、栄養の取り方、体力をつけるためのトレーニング、そして勉強。国際的に活躍するには、コミュニケーションが大切である。スポーツをするだけでなく、いろいろ多くの苦労が人それぞれにあったはずだ。野球、サッカー以外にもたくさんのスポーツがある。今、世の中はサッカーで盛り上がっているが、ワールドカップ後も別のスポーツも見たいものだ。花形選手だけでなく、夢見ながらスポーツをやっている姿は素晴らしい。 どんなスポーツもいいのだが、実は密かに一番応援している人がいる。それは、私の親戚である大相撲の“琴乃峰篤実”である。昭和63年春、曙、貴乃花、若乃花と同期で相撲界に入った。彼は、小学5年生から相撲をはじめ、中学校3年生のときに福岡県中学校相撲大会で優勝している。中学校九州大会でも3位に入っている。私は、高校3年生のときに九州大会でベスト16がやっとであった。彼の方が、実力が上だ。持ち前の運動神経のよさで、複数の部屋から勧誘を受けたが、佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜)の誘いで入門することになった。入門前には、何度か相談の電話があり、私は「相撲界は、本当に厳しい世界だから、高校を卒業してから入門してもいいのではないか」と話したが、彼の気持ちは変わらなかった。15歳で入門した彼が、今年5月、やっと“新十両”に上がれたのだ。初土俵から、なんと85場所、14年間もかかって大銀杏を結うことができたのだ。彼の好きな言葉に「我慢」とある。まさしくその通りに生きてきたと思う。身長176cm、体重113kgの体では、大相撲界では小柄な方だ。よく辛抱して、続けてこられたものだと思う。お陰で、大相撲の雑誌にも載った。スポーツは、実力の世界。本当にここまで、よく頑張ったものだ。 最初は、95人でスタートした同期生も、今は13人しかいない。気持ちを切らすことなく、稽古に励み「昭和63年春」組では、11人目に関取の座を掴んだのだ。入門当時、まだ序の口のとき、曙と若乃花(当時若花田)と対戦したことがあった。若乃花には簡単に負けたが、曙は投げ飛ばして勝ったことがあった。今でもよく覚えているが、3連勝同士で対戦し、左の下手投げで巨体を転がし、曙に初黒星をつけたのである。しかし、それ以来、ふたりと対戦することはなかった。1番出世を果たし、約4年で幕下に上がり順調だったが、足の怪我により思うような相撲が取れなくなったのだ。それでも、彼の立ち合いは変わらず、今までに1度も変化をしたことがないのだ。「相手にぶつかってこそ相撲」という。真面目な性格で、私と違って素直だからこそ辛抱できたのだろう。 今年春場所、自己最高位の西幕下4枚目で迎えた。14日目で3勝3敗。この一番に勝てば十両入りの可能性があった。相手は若天狼。心臓が飛び出そうなくらいドキドキしながら、テレビに釘付けになった。待ったなしの立ち合いから、自分が相撲を取るように息を止め、両肩に力が入り、テレビを見つめていると、行事の軍配が返ったら両力士が立ち上がり、琴乃峰が低い姿勢からぶちかまし、一気に押し出して勝ったのだ。一瞬の出来事で言葉が出なかった。頷くだけであった。勝ち越したときに、花道から支度部屋へ向かう通路で、彼は号泣したという。ゴリラの目も真っ赤。場所後、本人から十両に上がったと知らせを聞いて、「おめでとう!」と叫んでいた。特に、母が応援していたので、とても喜んでいた。母は、横浜巡業に何度かきたときにも会って、自分の息子のように応援してくれたのだ。 自慢の親戚がいて、ゴリラの鼻も大きく膨らんだ。5月場所を迎え、毎日テレビで応援していたが、新十両にもかかわらず前半6勝2敗の成績。なかなかの出だしだったが、現実は厳しく、6勝9敗で負け越してしまった。7月の名古屋場所から、幕下に“陥落”。また、十両を目指して彼の戦いが再び始まる。まさに、山あり谷ありの人生を送る彼。まだ、諦めず立ち向かう彼に、大きな拍手を心から送っている。がんばれ!琴乃峰。 |
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