毎年、恒例の全国頸髄損傷者連絡会の総会に参加した。今年は、静岡県の開催で日帰りという。夜7時に解散して、帰宅するのも辛いので宿泊することにした。早速、パソコンのインターネットで、静岡のホテルと新幹線の時刻を調べてみた。ホテルは、インターネットで予約すると、通常の宿泊費より安いのだ。また、E-メールで問合せもできることも助かる。私の場合は、必ず電動車イスからベッドの移動を手伝ってもらわなければならない。最近は、ほとんどのホテルが快く手伝ってくれるが、中には人手が少ないからと断られることもある。私は、移動を手伝ってもらえるかもらえないかで、一流のホテルなのかの見分け方をしている。自宅に居ながら、簡単に情報を得られ、予約もできるパソコンは、私にとって必需品であり、私の手となってしまった。
 当日、友人の女性と新横浜駅から新幹線の“こだま”で静岡に向かった。静岡駅で同じ“こだま”に乗車していた東京の友人の麩沢さんたちと一緒になった。皆で東海道本線に乗り換えた。ホームは、電車との段差や隙間があり、折りたたみのスロープで対応していたが、停車時間内で4台の車イスの移動が1つのスロープでは間に合わなかった。その時、手動式の車イスの方が隣の乗車口から、何とか乗り込んだので間に合ったが、一度に多くの車イスが乗り込むのは無理である。何度も訴えているが、ホームと電車の段差や隙間がなければ、どこの車両にも乗れ、いちいち駅員の方に乗降を手伝ってもらわなくてもいいのだ。いつになったら、車イスや電動車イスが自由に電車を乗降できるようになるのか…。
 東静岡駅で下車して南口に出ると、何もないところにポツンと大きな建物がある。そこが会場の静岡県コンベンションアーツセンター“グランシップ”であった。会議室や大・中ホール、芸術劇場、展示ギャラリーなどがあり、地上12階、地下2階の立派な施設には驚いた。しかし、何でこんなところに…?
 今年の総会は、来年の4月から“支援費制度”に変わるため、基調講演が行われた。支援費制度とは、ホームヘルプサービス(介護)を必要とする障害者のための新しい制度で、在宅及び施設で生活している障害者の介護が「措置(行政がしてあげる制度)」から、「選択(私たちがしてもらいたい)」制度へと変わるのだ。現在は、障害者に対する福祉サービスは、市町村などの行政が決めているが、措置制度の下で障害者の自立や自己決定されず、密室状態の施設で人権侵害が行なわれている。来年の4月から、障害者自身が希望するサービスや施設を選んで、事業者と直接契約する制度に変わるのである。財源が税と保険という違いがあるが、利用の仕組みとしては介護保険に似た仕組みになっている。そのことにより、選択の幅が広がり、サービスの質が向上し、利用者と提供者の対等な関係が構築できるのである。
しかし、新しい制度では、利用者がサービスにかかった費用の一部を自己負担し、残りを「支援費」として市町村が事業者に支払うが、ホームヘルパーの資格のない学生や社会人が障害者の自宅で生活の支援をした場合、費用の支給を認めていない点がある。また、情報提供や相談体制など、まだまだ不備な点が多い。現在、厚生労働省に改正を求めている。
 今回の総会にも、樋口さんが参加していた。彼女は、平成11年3月アメリカ留学中に事故に会い、首の1番目(C1)を骨折して四肢完全麻痺となった。24時間、ベンチレーター(人工呼吸器)を使用している。リクライニング式車イスにベンチレーターを乗せて移動している。喉に気管切開をしているため、タンが出やすく、ときどき吸引をしなければならない。これが結構苦しいのだ。このような状態でも、彼女はどこへでも出掛けて行くのだ。初めてお会いしたのが京都で、それから横浜、厚木、上大岡、静岡、ズーラシア(横浜)とお会いしていく中、だんだんと仲良くなり、今では尊敬する友人となった。彼女は明るく、ユーモアがあり、何事にも積極的に取り組む姿勢と笑顔が素晴らしい。今は、パソコンにチャレンジをしている。また、彼女を支えているお母様や妹さん、家族の方も彼女以上に明るく優しい方たちである。いつも、家族との一体感を感じる。総会後は、「ホテルに宿泊して、帰りに網代でお寿司を食べて帰る」と楽しそうに話していた。その後、美味しい寿司を食べたとメールがあった。彼女がいろんなところに出掛け行くことによって、私や多くの方に勇気と元気を与え、励ましてくれているように思っている。ベンチレーターを使用している方の中で、彼女ほど行動的な方は今までに見たことがない。今度は、神奈川と東京頸損会の合同親睦会で会えそうである。
 人と人の出会いは、不思議なものである。それを経験するには、まず一歩外に出ることである。