素晴らしい歌声に心が澄んでいくようだ。両腕がなく、左脚も半分という長さの人がこんな大きな声で素晴らしい歌唱をするなんて信じられない。彼女の名は、“レーナ・マリア・クリングヴァル”。1968年9月28日、スウェーデン生まれ。出産時から両腕が無く、左脚も右脚の半分しかないという原因不明の重い障害を負っていた。彼女は、世界障害者水泳選手権などにも出場し、メダルも多く獲得している。1988年のソウルパラリンピックにも出場している。1998年長野冬季パラリンピックの開会式では、熱唱している。明るく清らかな歌声は、水泳で鍛えられたお陰だろう。3才から水泳教室に通わせた両親は、きっと普通の子と同じように育てようと思ったのだろう。両腕がなくて泳ぐのは大変なことである。それにしても重度の障害児を受け入れる水泳教室があるスウェーデンは素晴らしい国だ。肺活量を増やし、やればできるということを実感したのではないかと思った。この素敵なコンサートに行けたのは、運転ボランティアでいつもお世話になっている“堀澤さん”の紹介だった。会場は、横須賀の芸術劇場で夜7時からの開演。
 当日、早めに行ってプリンスホテルで食事をしてから会場へ。芸術劇場は、オペラハウスのようで2階から5階までバルコニー席になっている素晴らしい施設だった。また、音響効果もなかなかよかった。会場には、いろいろな障がいを持った人達が大勢来ていた。みんな素直にリズムを合わせて身体を左右に動かしたり、車イスでお尻をピョンピョン持ち上げながら曲に乗っていた。自由な感覚で曲に乗っている姿を見ると、人間本来は純粋で余計なことを考えずに心で受け止め、反応するものなのだろう。コンサートの時などは、障がいのない人の方が恥ずかしいとか世間の目を気にして素直な反応を抑えていると思う。遠慮しないで、みんな楽しい曲にノリノリになればいいと思った。音楽は、なかなかいいもんだと思った。
 「ハッピーデイズ」という彼女の本を買って、生育歴を読むと明るく生きている理由が分かる。彼女が出生した当初、周囲の人は施設に引き渡すことを勧めていた。しかし、「この子には、どんなことあっても家族が必要だ」と大地に根を下ろしたような父親が言っている。そして、両親はレーナのチャーミングさに魅了され、彼女を心の中にしっかり抱きしめたのだ。すぐ下の弟も生まれて、2人を同じように扱って育てたのである。彼女は、なんでも自分でやる。編み物や料理、絵、水泳、歌、運転、パソコンなど全てできる。幼年期から母親が何でも興味のある事をやらせているのである。危ないからと言ってやらせないのではなく、別のできる事を工夫してやらせている。そしてなにより、彼女が心から明るく元気なのは、愛されて育ったという点が一番大きいということだ。今では、愛する彼にも恵まれ結婚し、ハンディキャッブを受け入れ生きている。愛情豊かに育つということが、人間には一番必要な事なのだということが分かる。これは、どんな人にも共通している事だと思う。ハンディを背負っていると親が世話をやきすぎてかえって本人の自立を妨げている場合も多くなるのではないかと思う。レーナの母は、彼女がたとえば手芸をやる時など、途中で割り込んだり助けたりせず、本人自身が学ぶための時間をたっぷり与えて育てている。障害を持っていても、できる事が沢山あるということだ。できるようになるまで、焦らないで時間を与えるというのは、この忙しい時代には難しい事かもしれかいが明るくのびのび育ったレーナを見るとそれがとても大切なことだと分かる。今回は、レーナの歌を聴いて、ハンディにも負けず常に前向きに生きている人を見るのは、とてもいい刺激になった。しかし、会場へ行くのに、ちょっと問題があった。使用できるエレベーターが1基しかなくて移動に時間がかかり過ぎることだ。エレベーターが誰でも利用できるのはいいのだが、私のデカイ電動車イス1台しか入れない大きさには少々呆れた。2000人も入れる会場なのに!帰りも大変になるだろうと思い、最後の1曲を聴かずにみなさんより先に出てきた事が残念なことだった。
 障がいは、その人個人の自然な姿だと思う。いろいろな人を見て接し、相手を理解していくのは、特別な人のことではなく誰でもできることだ。障がいがあると、特に“みんなに悪いから”とか“迷惑をかけるから”と言っていろいろな事を考え気にしすぎて自分の行動を制御しがちだ。外出すると、いろいろな事が刺激になって人生勉強になる。遠慮しない事も大切なことだろうと思う。心温まる時間をマリちゃんと過ごせて、とても楽しい1日だった。