先日、看護婦24時というテレビ番組を見た。思えば私も1年7カ月にわたる長い入院生活の間、多くの看護婦さん達に、大変お世話になったものである。
 受傷後、北里大学病院で7時間に及ぶ大手術を終え、薄暗いICU(集中治療室)で目が覚めた。看護婦さんが覗きこむように顔を寄せ、『分かりますか』と声をかけてくれたとき、ボーとしながら『はい』と答えたのをよく覚えている。とても奇麗な看護婦さんで、私には天使のように見えた。ベッドの回りはいろんな機器だらけであった。鼻から管が胃にまで入れられ、喉にも管が差し込まれて(気管切開)機械で呼吸していた。家族が皆マスクをし、白い洋服を着て面会に来たのを見て、自分の怪我の重大さに気がつき、不安になった。しかし、その時は2度と手足が動かせなくなるとは思ってもいなかったのである。水が飲めるようになったある時、最初に声をかけてくれた看護婦さんが冷たいカルピスを飲ませてくれた。いつもの水だと思っていたのでびっくりしたが、何とも言えない甘酸っぱさと冷たさが熱のある身体にはジ〜ンとしみこんだ。沈んだ心を一瞬和ましてくれたのである。このの時に飲んだカルピスの味と優しい心遣いは、一生忘れられないものとなっている。
 一般病棟に移るまでの1カ月間は、声が出せないことへのイライラや、いつまでたっても全く動かない手足に不安やら絶望感を抱き、精神的に不安定になっていた。よく看護婦さんに当たり散らかしていたのだ。黙々と処置をしてくれる姿を見ては申し訳ないと反省するのだが、何故かイライラして九州弁丸出しで怒鳴ったりしていた。ある時、いつもにこやかな看護婦さんが激しい口調で『伊藤さんいいかげんにして下さい!私達は、伊藤さんのために一生懸命やっています』と怒られた。頭をトンカチでたたかれたようなショック…。我に返った私は、怒られた事ではなく、看護婦さんに『ありがとう』と言えなかった自分が情けなく、腹が立った。その日から心を入れかえ、感謝の気持ちを込めて『ありがとうございます』と言えるようになったのである。
 神奈川総合リハビリテーションセンターに移ってからも、処置の面で言い争いは何度かあった。原因のひとつは“氷枕”。体温調整ができない私は、体温が上昇すると夜も眠れず、翌日は寝不足で貧血がひどくリハビリどころではなくなる。夏の熱帯夜などは最悪だ。そこで氷枕が必要になるのだが、ここでは体温が37度8分以上にならないともらえない。私は、いつも37度6分どまりで苦しんでいた。看護婦に言ってもとりあってもらえないのだ。それを見ていた隣ベッドの脊損(上半身動く)の人が、『俺に任せろ』と体温計を布団にこすりつけて温度を上げてくれた。その甲斐あって、『氷枕を出します』と看護婦が部屋を出て行った時には、皆一斉に大声で笑ったものである。その後も、ヒヤヒヤしながら何度も体温計を上げて貰ったものだ。
 今まで多くの看護婦さんと出会い、たくさんの思い出ができた。考えてみれば、医者よりも多く接し、いろいろ面倒をみてもらっているのてある。厳しい看護婦さんもいたが、そっと口の中に氷を1つ入れてくれた看護婦さんもいる。その看護婦さんとは、以前ご紹介した山田さんである。彼女とは、一緒にハワイに行った思い出もある。わがままには厳しく許されないが、心の温かく思いやりのある人である。神奈リハを退院して、もう15年目になるが、いまだにお世話になっている。本当にありがたいことである。
 看護婦さんには、迷惑をかけたり、励まされ支えて貰いながらの入院生活であった。いま健康である人には理解できない事かもしれないが、ほとんどの人が最後には看護婦さんのお世話になるであろう。そんな彼女達に、働きやすい職場作りやそれぞれの待遇改善を…と、私からもお願いしたいものである。