暑〜い、暑〜い、毎日が暑〜い。各地域が水不足で断水になり、天然ミネラル水の売れ行きが伸びそうである。今年の夏は、異常に暑い。私は、怪我をしてから汗を全くかかない。そのうえ体温調整も出来ないので、熱がこもり体温が上昇し、顔が真っ赤になり、犬のようにハァハァと呼吸する。私と同じ障害を持つ秦野市の友人も、この暑さでは外出ができず、モグラ状態であると電話があった。モグラ状態とは、クーラーを効かすために朝から部屋の雨戸を締め切り、日光を遮断して薄暗い所にいる姿を言う。こんな私にとっての楽しみの1つはTVである。印象に残る番組といえば、やはりスポーツ関係が多い。 6月は、サッカーワールドカップが始まった。イタリアのバッジョ選手は、けいれんをおこした右足で放ったボールがクロスバーの上を大きく越えたことで、熱く長い戦いを終えたのである。ブラジルは、天国と地獄が見え隠れした死闘!120分の結果、W杯史上初のPK戦による優勝を飾った。ブラジルの選手たちは、暑さにも強くボールコントロールが巧なうえ、運動能力もずば抜けていた。自分たちが疲れる以上に、相手を消耗させたのが勝因ではないかと思った。しかし、ワールドカップというのは、凄いイベントである。負けたため国に帰れなくなった監督や、自殺点を入れたために殺された選手もいた。国を背負い、重圧に耐え、サッカーをやっている選手はたまったものではない。テレビを見ていたサポータが『敵もよくやった』と言っただけで銃で撃たれ殺される。スポーツが戦争のようになっている。このようになると、スポーツも恐ろしいものになってしまう。その点、日本はワールドカップ予選で負けても『よくやった』と選手たちを称える。平和な国である。次のワールドカップには、レベルアップして日本旋風を巻き起こして欲しいものだ。
 7月には、大相撲名古屋場所があった。武蔵丸の起死回生の左下手投げで、貴ノ花を敗って全勝優勝。過去、3度苦杯をなめてきた武蔵丸が、横綱曙にもできなかった全勝優勝をしたのだ。武蔵丸(本名:フィアマル・ペニタニ)23歳。武蔵川部屋、8人兄弟姉妹の貧しい家庭で育った。ワイアナエ高校レスリング(グレコローマン)の花形選手だった。曙もレスリングをしていたが、運動能力は武蔵丸の方が遥かに高いという。卒業後、言葉、文化、生活環境の違う日本へ、それも、日本人でも厳しく耐えられないと言う相撲界入りした。直ぐにホームシックでふさぎこみ、全く会話がなくなったそうである。親方やおかみさんの励ましや、ハワイの家族のことを思う気持ちが彼を勇気づけた。それからはどんどん出世するが、出世していく者への風当たりは、想像以上に強いものがあったらしい。相撲界の礼儀や知識、技など知らず、ましてや相撲を取った事もない外国人が5年で大関になり、全勝優勝する事は大変な事である。高校、大学と相撲部にいた私は、その凄さを肌身に感じる。なぜなら相撲界に力士は900人弱。その中で大関はたった4人だからである。来場所は綱取り場所。大関から横綱へと武蔵丸のアメリカンドリームが、また新たにスタートを切る。頑張れ武蔵丸。
 8月は、高校野球。そして、プロ野球、サッカー。今年の夏は、スポーツが面白く暑い戦いが多い。テレビで観戦しながら、共に熱く燃えている。モグラ状態で観るスポーツもなかなか面白い。いつか実際に現場に観に行きたいものである。
 スポーツ観戦をしながら、いつも思う事がある。運動選手は一瞬のミスで怪我をし、ひどいと障害者になってしまうのである。神奈川総合沢リハビリセンターに行くと、スポーツ障害で治療に来ている選手が必ずいる。ラグビー、水泳、体操などは首の骨を痛める事が多い。強健である選手が、翌日から車イス生活になってしまう事もあるのだ。運動する人は、自分は障害者とは縁のないものと思いやすいが、実は、私と一番近い場所にいるかもしれない。皆さん十分ご注意を!