おひなさまを迎えると緊急入院した時の事を思い出す。平成2年3月3日日曜日の晩は、私にとって忘れられない大変な経験をした日である。昼から、近くの老人ホームで入浴をし、気分そう快で帰宅した。サッパリとしてとても気持ちが良かった。夕食時に妻のマリちゃんと白酒を飲み、ほろ酔いとなり真っ赤な顔と満腹で、幸せな気分であった。歯磨きが終わり、仰向けに寝かせて貰い、横になったままテレビを見ているとムカムカと吐き気がした。酒に酔ったかな?食べ過ぎかな?と考えていると、また、ムカムカと吐き気がしたので、マリちゃんにゴミ袋を素早く口に当てて貰い思いきり吐いてしまったのである。それから、4回続けて嘔吐をした。怪我をしてから16年間には一度もなかった事なのでビックリ!、ましてコーヒー色の血液のまざったものを、吐くなんて、ますますビックリ!。なにせ、初めての症状で、苦しく、辛くて死ぬ思いだった。頭はクラクラするし、激しい脱力感首から肩の凝りがひどく、常にマッサージをしてないと耐えられなく、意識がだんだん遠くなっていくのである、マリちゃんや母にマッサージをしてもらうと少し楽になるのだが、何時間もマッサージはしていられないので、低周波治療器でなんとか持ちこたえていた。しかし、激しい脱力感と意識がだんだん遠くなる感じは、ひどくなるばかりである。それでも我慢して寝たのだ。
 しかし、おなかもパンパンに張ってきて、苦しみの限界であった。様子がおかしいので、夜中2時半過ぎに寝ていたマリちゃんを起こした。『マリちゃん!救急車を呼んで』と言うと。冷たく『明日まで我慢しなさい!』という返事。意識がもうろうと、死にそうにしているのにひどい!どう思いますかそれであたりまえ!?そんな…。導尿(管で尿を出す)でもすれば少しは良くなるかもしれないと言ってマリちゃんが、布団を捲ると、さぁ大変!お尻からも下血していたのです。真っ赤になったシーツを見て驚いたのである。その状態を聞いた途端に、張り詰めていた気力が薄れてしまい、ますます意識が朦朧としたのである。救急車を呼んだのはよいが、どこの病院に行くのかなかなか決まらない。主治医のいる七沢リハビリセンターとも連絡をとったのだが遠いので、耐えられないと思い、私が『近くの病院にして』と小さな声で訴えると、近くにある聖マリアンナの救命センターへ緊急入院したのである。私は、一応安心したが、次の不安が襲ってきていた。『手術をするのか?』イヤダー。冷水で胃を洗浄して、2階にある救急医療センターの方へ運ばれる途中に、また、吐いてしまったそばにいた看護婦さんが『気がつかなくてゴメンナさい』と優しく声をかけてくれた。なんて優しい看護婦さんだろうと感謝したお陰で少し不安が薄れていった。その時の看護婦さんが退院する日までの2週間、とてもよく面倒をみてくれたのである。
 内視鏡の検査の結果、十二指腸にけっこう大きな潰瘍があり、血管が切れていたので、出血量が多くなり、吐血したり、下血したりしたのであった。濃縮赤血球の輸血400tを3日間に1回ずつ(計1200t)した。その間、輸血と点滴だけで1週間飲まず食わずで苦しい思いをした。しかし、そのお陰で十二指腸潰瘍が2週間で治るとは驚き。医学は、発達しているのだなぁとつくづく思った内視鏡から管を入れ、焼いたり切ったりして治療するのだから凄いものです。私は、今までに泌尿器科の検査ばかり注意していたが、内科の検査も大事だなと、強く実感した。
 看護婦さん達は若い人が多く、皆、はりきっている人達ばかりで、ちょっと甘えたり、けっこう楽しみもあり満足。麻痺した人の扱い方がわからないような若い看護婦さんは、逆にいろいろ教えてあげたりもした。やはり、リハビリ専門の病院でないと分からないことも、一般病院には多くあるものだと思った。
 私は、救急車に乗ったのはこれが2度であったのだが、初めて乗ったマリちゃんと母は、私が苦しんでいる横で、『初めて乗った!ピポーピポー言っているネ、お母さんも初めてだよネ』なんて、のん気な会話してんだから…。『この車、ゴリちゃんには狭いネ!』だって!
 救急センターで2週間過ごしたが、ひっきりなしに病人やら怪我人が運ばれてくるのにもビックリした。意識がなく横になっていたり、呼吸器をつけている人がいたり…いろいろ。健康で平凡な日々が送れることが、なんと素晴らしい事だろうと思った。