『セーのハイ!』『ゆっくりゆっくり』と言いながら…。3年生の男子生徒10名に電動車イスごと運んでもらうことになった。中学校で講演した時の事である。その中学校は体育館が2階にあり、段差や階段だらけであったのだ。講演会の3日前に、学校から確認の電話で知った。いろいろな学校に行っているので、段差の事など確認していると思った私のミスだった。10名の有志は、私と電動車イスで210kgを抱えたまま、25段の階段を気合と熱意で上げてくれたのだ。初めは先生達で抱えてもらったがパワーが足りない。そこで、3年生の出番となったのだ。話が終わって、1階に無事下りられたときは、ドッと疲れが出たけど…。アッ!疲れたのは運んだ生徒だったかな。生徒さんの皆さんに感謝です。その時の3年生の感想文の一部を紹介。

 『みんなが電動車イスを一生懸命運んでいるのを見て、中学校は障がいを持った人が来にくい場所だと思い、何もできないのが悔しくなりました。学校だけではなく駅や街での障害もたくさんあるはずです。今すぐに全部が変えられる訳ではないけれど、少しずつでも変えていくことができたなら、先生のような人がもっと街などに出れるし、今日のような講演会を聞ける生徒も増えて、もっと良い環境づくりに発展していけるのではないかと思います。』

 『なにげなく毎日暮らしているこの中学校にも、あまりに多くの障害があることを知りました。横浜市はお金がないってゆうけど、日本でムダ遣いされているお金全部バリアフリーのためとか開発のために使えばいいのにと思いました。人は支え合って生きているんだ!今日何もできなかった私も、明日何かできるのかもしれない。』

 『中学校にはバリアが多すぎる。これ、どうにかして欲しい。今日、自分が役に立てたことは嬉しかった。人と人は助け合っていくものだ。特別なことではない。当然のことだ。これからは後悔しない。過去を悔やむことは得策ではない。次の一手、未来を考えていきたい。“われ、ことにおいて後悔せず”』

 『壁にぶち当たった時、これは人間として強くなれるチャンスが自分にやってきた時なんだ!!俺はめげずにチャレンジ精神と情熱と愛で乗り越えてみせるっ!困っている人を見かけたら声をかけてあげられるような心の広く優しい人になれたら良いと思う。“生命は与えられたもの。生きるのは自分”』

 『講演を聞いて、色々なことに挑戦していけば、見えなかった様々なことが見えてくるようになることを学んだ。また、そこから自分がやりたいことが見つかることを知った。』

 『私はこれからは「普通にしよう」ではなく「どうすればいいのかな」と思うようにしようと思いました。先生は、とても明るく、おだやかな話し方をされていたので、きっとこれからどんな事があっても乗り越えていける強さがあるんだと思います。もしかすると、その強さは誰もが持っているのかもしれません。私は、そんな風に強さを持った人になりたいと思いました。』

 『先生は、障がいを持ちながら明るく生きている。しかし、自分は中途半端に生きている。これからは、自分自身の個性を大切にして生きていこうと思う。』

 『最近、自分は一人で生きているような錯覚に陥っていた。話を聞いて、人間は一人では生きていけない事を再確認した。』

 『先生のお話を聞いて、ふっと「体内排泄物」はどうするのだろうか、すごく疑問でした。その話の説明を聞いて、やはり苦労をしているのに、一生懸命がんばる先生はあたいに感動をもたしやがった。先生はすごいな〜。』
 
 『俺は先生の電動車イスを持った。とても重い。街に出る時、家に帰る時、その他の行動、とても大変だと思った。先生の話を聞いて、世の中不公平だなあと思う。俺は困っている人が居たら助ける!!というか助けるのが当たり前。卒業式、大きな声で「はい」と言う!!道和さんとの約束だから。』

 『後悔しない。何があっても、それは自分。自分の生きる姿に文句ないよ。』

 『何でも前向きに生きる事が幸せに生きる事に結局なるんだという事を知りました。』

 『伊藤先生を持ち上げた皆様。進行をした皆様。お疲れ様でした。6組の誇りです。』

 段差があるからといって講演を断っていたら、こんなに素直で素晴らしい生徒さん達に会えなかったと思うと不思議な“縁”を感じた。日本の未来は明るいゾー!また、勉強になりました。ありがとうございました。