ピッ、ピッ、ピー!「明けましておめでとうございます!」とマリちゃんに新年の挨拶。毎年、NHK番組の除夜の鐘を聞きながら新年を迎えている。鐘が唯一お正月気分にさせてくれる。マリちゃんの子供の頃は、船の汽笛が新年の合図だったらしい。さすが浜っ子!毎年、両親にも新年の挨拶をするが、今年は、母(79歳)が年末から風邪をひいて寝込んでしまった。「食欲がなく、胸がムカムカするらしい」と聞いたので、ノロウイルスではないかと心配した。1月3日から、やっと少しずつ1階に降りて来られるようになったが、回復するまで3週間もかかった。風邪をひく前に庭の植木を切ったり、掃除、父と私の介助などで疲れが出たのだと思う。母は、横になることもしない働き者だ。父(86歳)は、心臓が悪くベッド上で療養している。調子のいい時は、杖で歩いて挨拶に来てくれる。今年のお正月は、マリちゃんのお姉さん一家が徳島県から来ていたので賑やかだった。年末の食事やおせち料理、九州の親戚から届いた“寒ぶり”は旦那さんがさばいてくれた。大学生になる娘は、お爺さんに食事を運んだり、目薬や薬を飲ませたり介護してくれた。愛犬のコロンも老犬になったので目薬とかの世話までしてくれたのだ。小学生の頃から、横浜に来ると私の食事介助をしてくれる優しい子。人に食べさせるのは難しいのだが、殆ど、こぼすことはなく、箸使いが上手。食べさせようとする時、一緒に口を開けながら食べさせるのが面白くて笑ってしまう。12月30日から1月3日までの短い間だったが、とても助かった。マリちゃん1人だったらと思うとゾッーとした。その後は、3人の介護にマリちゃんが大忙しの日々が続いた。そろそろヘルパーの利用を考えていかなくては…。
大晦日の夜、自宅の窓を開けると近くのお寺の鐘が聞こえる。鐘と鐘の間に、微かに汽笛も…。鐘の響きが田舎のお正月を思い出した。田舎の正月は、除夜の鐘をつくことから始まる。小学生から大学生まで、毎年除夜の鐘をついていた。友人のお寺が大晦日の夜に、鐘をつかせてくれる。人が順番に並ぶほど大勢集まり、1人1回つかせてくれる。普通は、人の煩悩の数108回をつくらしいが、ここは並んだ全員につかせてくれていた。マリちゃんと結婚する前、このお寺へ連れて行ったことがあった。友人たちに紹介するためである。めったに褒めない友人たちがマリちゃんを見て、「きれいか〜」とか「かわいかね〜」と言われて鼻が高かった事を思い出す。マリちゃんにも鐘をつかせる事にした。ついたことがないと言うので、つく人をまねしながら撞木を鐘に強くぶつけるようにと説明した。さぁー!マリちゃんの番が来た。「1、2、3」と皆が大きな声でタイミングを合わせてくれた。「コン」と小さな音がした。瞬間皆がズッコけた。係の人が、「音がなっとらんよ。もうイッペンついてみらんね。」と言ってくれて、2度目に挑戦。何とか「ゴ〜ン」と鳴った。マリちゃんが喜んでいると、係の人に「2回ついた人は、あんたしかおらんとよ。」と言われて、友人たちとまた大爆笑した事を思い出してしまった。
その寺では鐘を打った後、うどんやそば、いなりずしなどが無料食べ放題。中学生の頃、友人と競争してどんぶりのうどんを13杯食ったことがある。私は、福岡県出身だが、普段からそばを食ったことがなく、年越しそばではなくうどんを食っていた。友人たちも同じだった。今思うと、昔はそばが美味しくなかったように思う。大学で東京に来てから、そばの美味しさを知ったのだ。腹ごしらえが終わると友人たちと近くの神社に初詣に行く。高校生の頃、おみくじを引いて“凶”を3回連続引いて皆に冷やかされたことがあった。そして、初日の出を見るために、福智山(ふくちやま)に登るのが恒例。福智山は標高901mで、北九州国定公園にあり、山頂からの展望は360度見渡すことができる。山に登るようになったのは、小学3年生の時、誰かが「初日の出を見に行こう!」と言った一言から始まった。誰が言ったか覚えていないが、同級生5人で登り始めた。今から思うとよく無事だったと思う。高校2年生まで登り続け、雨の日もあったが、「頂上に着く頃は晴れるやろ」と友人の言葉を信じて登った。ゴリラもそんな純粋な頃があったのだ。日の出が見られない事は一度もなかったから不思議だ。毎年、大晦日の夜にお寺で、友人たちに会うのが楽しみだった。今年は、何故かそんな事を思い出しながら就寝した。
 毎日のようにある暗いニュース、2005年は明るいニュースを沢山聞きたい。生かされている事に感謝し、小さな事に喜びを見つけ、毎日を生きようと思った。