いつまでも元気だと思っていた義父が、3月8日金曜日午前6時17分に病院で息を引き取った。享年87歳。2年前に心不全で、肺に水が溜まって緊急入院した事があった。肺が水で一杯になり、自発呼吸ができず、はじめ呼吸器が付けられた。その時は、薬が効いて自分で呼吸をはじめ2週間後に退院できた。その後は、自宅で療養。3月3日の午後、父の入浴介助のために訪問看護師さんが来た。入浴前にサチュレーションを測ったところ92%しかなく、父も苦しかったらしく同意を得て救急車を呼んだ。サチュレーションとは、血液に溶け込んでいる酸素の量の事で、パルスオキシメーターといい、指に挟んで測る。正常値は95%以上。父も苦しかったのだ。看護師さんが救急車の手配や病院との入院手続きまでしてくれたので、本当に助かった。私は、何もできない自分にもどかしさをまた感じた。呼んだ救急車がなかなか来なくてイライラした。道に迷ったらしく、そのあげく自宅の前まで救急車が入って来なくてストレッチャーで運ばれて行った。運転手がバックで入れないからと拒否したらしい。道が狭くて入って来られないのなら仕方がないが、私が十二指腸潰炎で緊急入院したときは救急車が入って来ている。救急車より大きいハンディキャブ(電動車イスが乗れる)も入れる道幅なのだが…。バックができない人が救急車を運転していいのだろうか?具合の悪い父が、ガタガタ道をストレッチーで運ばれたと思うと腹が立つ。ストレッチャーで運ばれるとどれだけ辛いか分かっていない!
 入院5日目、突然父が亡くなって、家族皆の心の準備が出来ていなかった。また、今回も家に戻ってくると信じていたのだから…。入院する前は、とても苦しかったと思う。そんな状態でもひとりでトイレに行ったり、身の回りの事は全て自分でやっていた。本当に、我慢強い父であった。
13日が通夜で、14日が葬儀となった。その間、自宅でゆっくりとお別れする事ができた。父が可愛がっていた愛犬コロンが、父が亡くなったのが分かるのか静かにベッドの下で守るようにして動かなかった。
通夜は、小雪がちらつく寒い中、電動車イスで東希望が丘の大成祭典に向った。斎場まで20分。斎場に着くとスロープが用意されていた。まさか立派なスロープが用意されているとは…。心遣いに感謝。
通夜と葬儀には、多くの方から温かい真心のこもった弔辞をいただいた。ありがとうございました。母の出身地、沖縄から親戚が多く来てくれて、福岡から母も駆けつけた。5年ぶりに母と再会したが、歩くのにもやっとで歳を取っていた。通夜の時、父の遺影を見ていると、2年前にホテルで両親を家族皆でお祝いした事を思い出していた。写真は、その時にマリちゃんが撮ったもので、とても笑顔がいい。父の若い頃の写真を見た事があるが、ソフトフェルトハットをかぶったスーツ姿がカッコ良かった。特に帽子が好きで、最近までパナマ帽をかぶって外出していたほどである。オシャレできれい好き、外出する時は(マリちゃんの化粧時間より)支度が長くピカピカにしていた。父はいつも静かで、黙って私の事を見ていてくれた。私は、伊藤家に入り、長男の役目を果たせなかったが、父は本当の息子のように接してくれた。父には、心より深く感謝している。思っている事は沢山あるが、言葉がみつからない。怪我をして電動車イス生活になってしまった私を黙って受け入れてくれた、優しい父を忘れない…。合唱。
ひとりなってしまった母も、これから寂しさが増すだろう。家族で温かく見守ろうと思った。
 1月8日土曜日にも、とても悲しい知らせが来ていた。友人の大輔さんが亡くなったというメールである。あまりにも突然の事で、大きなショックを受けた。言葉が見つからない。あんなに元気だったのに…。
 以前にも、このエッセイで紹介したことのある石川大輔さんが亡くなった。死因は急性心不全で、早朝亡くなっていたらしい。
 彼に、初めて会ったのは横浜。2001年9月、「はがき通信」という重度四肢マヒ者の懇親会が横浜で開催された時。何故か、会って直ぐに親しくなった。「横浜を観光できました」と喜んでいた笑顔など、多くの思い出が蘇える。昨年、京都が会場だった時も、私の部屋に大輔さんとミカさん来て、夜中まで語り合った事も思い出す。話題がハワイの話になった時、大輔君が「一緒に行きたかったなぁ〜。」と羨ましいそうな顔で言った姿や「母の意志を最大限尊重して、周りの方の力をかりながら、しっかり親孝行していこうと思っています。」と言った言葉が忘れられない。真面目で親孝行の彼が、これからやりたい事が沢山あった事を思うと本当に無念である。突然、残された奥様(ミカさん)の気持ちを思うと胸が痛む。何と声をかけたらよいのか、今も分からない…。残された者達が大輔さんの思いを語り継ぎ、大輔さんの分まで力強く生きる事しかできないと思う。合唱。
今年は、何故か悲しい事が続く。人は皆、いつか必ず死ぬ。生かされている事に感謝し、“生き方”を大切にしなければいけいと思った。