いろいろな学校で、講演をした時にいただいた感想の中から一部を紹介します。 話がうまくないのに、皆さんいろいろな事を感じとってくれています。ありがたい事です。毎日、健康で過ごせる人でも、皆沢山の悩みを乗り越えているのだから、お互いに支え合って生きたいものです。 ◆体の不自由な方が、かわいそうだとはおっしゃいませんでした。優しくしろともおっしゃいませんでした。そ れがすごく嬉しかったです。そして、夜悩まず、 朝悩めと先生はおっしゃいました。私も悩みながら楽しく 過ごそうと思います。 ◆日本人の目もそらす人も1つの思いやりなんだと思います。伊藤さんから見れば冷たい人と思うかもしれ ませんが、そらした人にしてみれば、何か手伝 いたいけど何をすればいいのか分からなく、声をかける 勇気もないだけで、本当はみんな優しいし、声をかけて話したいと思っていると思います。だか ら、せめ てジロジロ見て嫌な思いをさせないようにという心遣いなんだと思います。 ◆自分が、いつどんな状態におかれるか分からない。そして、その中で「生きる」というのは、心の中での戦 いがあると思いました。1人じゃ何でもできな いけど、2人ならできる。2人じゃできないけど、3人ならで きる。そういう風に、人と人との輪を広げていくんだなぁと思いました。人生には、道は沢山あってどの道に 進むかは自分でも分からない時があっても、その中で「生きる」という希望を忘れてはいけないと思いまし た。 ◆世の中の人々は平気で、“障がい者”という言葉を使いますが、私は伊藤さんの話から、障がい者という言葉は会話の中ではなくなりました。伊藤さん の友達が、何を言っているのか分からず、分かったふりをし、その後になってその人から「ふりなどせず、何度も尋ねて欲しい」と言われた事から、私は 障がい者だから特別だという考えは沢山の人の頭から消えたと思います。そして、障がい者にだけ特別な扱いをする事も、これからは起こらないと思 います。障がい者という言葉を使わない、分け隔てのない社会を望んでいます。伊藤さんの今日の話は、これからずっと、私の中で静かに光る真珠と なってこれからの人生の手助けとなってくれると思います。 ◆自分は、何だか生死にとても敏感です。伊藤さんは、最初は死にたかったけど次第に生きてやるって感じ なんですよね。私は、今年母が死んでから、 いまだに立ち直れません。うちの親は倒れて、全身麻酔 を死の前までずっとかけられていて、医者には最初からもう助からないみたいな事を言われ、 その死ぬ までの時間ただ自分を責め続けました。なぜ、もっと手伝ってあげなかったのかとか、いろいろうちの親は 生きようとしたんですね。私は、そ れだけが知りたいです。 ◆電動車イスの話やハワイでの話を聞いて、僕らがもっとバリアフリー化を進めたり、もっとハイテクな電動 車イスを発明したりと、いろいろできる事がある と同時にしなければいけないと思いました。僕らの中の ほとんどの人が、「バリアフリー」なんて関係ないと思っていたでしょう。しかし、これから大人に なってい くうえで、日本を変えていかなければいけないと感じました。 ◆ちゃんと言葉の発言ができない人について、僕もやっぱり聞き取れなくて、何度も聞くのは失礼かな?と 思っていました。ですが伊藤さんの話で、僕の優しさは「相手が望んでいない間違った優しさなんだ。」と 思わされました。相手が望んでいるのは逆に、「分かるまで聞いてくれ」という答えであり、「何度も聞く」と いうのは決して失礼ではないという普段知ることができない事を知れました。 ◆私は、道であまり車イスに乗っている人を見ません。だから、いきなり道で会うと、どう接していいか(どう 助けていいか)分かりません。だから車イスの 方には、積極的に外へ出て欲しいと思っています。 そしたら周りの目も段々気にならなくなっていくと思います。 ◆障がい者の人に目をそらしていました。それは、今まではあまりジロジロ見てはいけないんだと思ってたからです。けど今日、わざと気にしないように見 ないふりをするよりは、ちゃんと見て困っている事はないかとか、気を使った方がまだいいと思いました。今まで、死ぬ勇気って、とっても強い勇気だと 思ってたけど、その前に生きる勇気の方がすっごく大変だと思った。 ≪つづく≫ |
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