私は、2〜3カ月に1度、ボランティアの方が運転する横浜市のハンディキャブで、七沢リハビリセンターの外来に行っている。ボランティアやハンディキャブは、横浜市身体障害者社会参加促進センターで紹介して貰っている。今までに色々な方に運転して貰っているが、七沢リハまで往復すると1日がかりである。ボランティアの方に頭が下がる思いである。皆さんに感謝。
 外来では、リハ科と泌尿器科で薬品を貰い、年1回は泌尿器科の検査をしている。先生方や元看護婦の山田さん、障害者仲間に会い、近況や情報交換などをするのも楽しみである。午後は、体育館に顔を出す。今の時期は、プール訓練があるため賑やかである。プールと言えば、入院中に温水プールでの訓練の時に、水を多く飲み死にそうになった事を思い出す。俯せになり、呼吸が苦しくなった時の合図を忘れていたのである。中学生の時に、水泳をやっていたので水の恐怖心はなかったのだが、それ以来プールを見ると直ぐに溺れる私を思い出してしまう。次ぎからは、プールに入る前にしっかりと合図を決めていたので、不安も無く楽しめた。麻痺している私の身体は、水によく浮き、肩の力で手が動かせたのにびっくりした。浮力の力で何度も手を動かしていると本当に動きそうな気がしたものである。
 PT室(理学療法)へ行く。PT室では、新しい人や顔見知りの人など、色々な障害を持った人達が、目の色を変え真剣に、障害に負けまいと賢明にリハビリに励んでいる。少しでも良くなろうと皆、頑張っているのである。私は、身体の関節が堅くならないように、関節を動かして貰う。電動車イスからベットに移り、担当の富田先生が、『俯せになってみる?』と言われ、不安だったが、『はい』と返事した。俯せになり、顔の向きを変えようと頭を持ち上げようとしたが持ち上がらず、段々、呼吸が苦しくなってきた。考えてみると怪我をしてから一度も俯せになった事がなかったのである。やはり、仰向けのほうが楽である。隣で、やる気の無い人に、先生が『しっかりリハビリしないと家へ帰れないよ』と励ます。そんな言葉を聞きながら、私は、『そうだ!そうだ!』と返事しているのである。
 しかし、私の股関節や首や肩の関節の運動が始まると、余裕が無くなり余りの痛さで悲鳴を上げているのである。股関節は、麻痺しているので痛みなど全然感じないのだが、額や肩に汗となって痛みを感じるのである。私の左肩は、上に引き上げる筋肉の力が強く、下に下げる筋肉の力がないので、左肩だけが引っ張り上げられ、肩の筋肉の緊張が強くなる。そのまま緊張が続くと、肩凝りがひどくなり、けいせい{痙攣}が強くなり、吐き気や頭痛などを起こすのである。ガチガチになった筋肉の緊張をほぐす先生はひと苦労であるが、ほぐされる私も大変である。首と肩は知覚があるので、指で鎖骨付近の筋肉を強く押さえてほぐすたびに、痛みがある。それに耐えるが『アー』・『イテー』など、つい声が出てしまい、涙を流しながら痛みに耐えているのである。終わった後は、解放感と肩の動きが楽になりスッキリするが、翌日は、肩の皮膚が指先で押さた指の跡がはっきりと分かる程、青タンとなって残り4〜5日は痛みに耐える。
 私は、リハビリについて多くのことを学んだ。その中で、一番驚いた事は、人間は長いことベットで寝たきりになっていると、いざ、歩こうとしても歩けないのである。特に、老人は筋肉の衰えが激しいらしい。PT室で平行棒でよく歩いている人を見掛けたが、あれは、細くなった足の筋肉の強化と歩き方を思い出しているのだと先生に教わった。患者さんは、どっちの足を前に出したら良いのか迷い、頭で考えると尚一層混乱するらしい。歩き方を忘れてしまっているので、思い出すのに時間がかかるのだ。聞いてみなければ分からないものである。訓練を見ているとヨロヨロ歩いていた人が、2週間もすればスイスイと歩いていることもある。一度歩きだすと回復は速く、歩行器でひとりで歩けるようになる。次に歩行器なしの階段へと訓練が進む。階段は、上がるより降りるほうが難しいらしい。私は、時々手足が動かせる人達を羨ましく思った。何故なら、私には手足を動かしてリハビリをしても動かせるようになる望みがないから頑張りようがない。
 しかし、私は、七沢リハで色々な事を学んだ。ボールペンを口にくわえて自分の名前を書く練習から始まり、ワープロ、電動車イスの操作や健康管理、そして、人の悲しみが分かる心や思いやる心を学んだように思うのである。厳しく辛いリハビリは、社会の厳しい荒波を乗り越える精神力となり、強く生きて行く事での自信を持たせてくれたのだと思うのである。人間は、ただ座っているだけでは、何も起こらない。夢を実現するためには、自分で立ち上がって歩いて行くしかないのだ。そして、その道が困難なほど、進んで行く価値があるものだと思う。