横浜市立旭北中学校で講演をした後、全校生徒の皆さんから手紙を戴いた。生徒の皆さんの心のこもった、手紙は、どれも素晴らしかった。中学生の文章の一部紹介します。
 『本当に障害という事は、本当にみじかな事だと思いました。あと、僕が感じた事は、先生は本当に悲しい顔じゃなく、楽しそうな顔していてびっくりしました。』
 『私は、この時代に生まれた事をとても悔やんでやみませんでした。でも、先生の話を聞いていると、この時代も結構いいもんだなぁと思えてきます。私のこの時代、いや世界が嫌いなわけは、大半の人間の心が、お金というもうじゃに負けて、どす黒くきたなくなってしまうこと。それに、自分達さえよければいい、だから、自然や動物を壊して殺してしまう。だから、だんだん自然の設備が壊れて行く。木を好きなだけ取り、陸上だけでなく、水や空にまで領地を決める。そうゆうのが許せません。先生はきっと、教師だった時より強く、優しくなったんじゃないかと思います。私は、いずれそんな心の強い、優しい人間になれたらと思います。』
 『人は、助け、助けられ生きていきます。この気持ちをみんながもって生きていくことが大事だと思いました。』
 『先生は、ケガで体が不自由になった事で、命の大切さ、自分がたくさんの人に支えられて生きている、という事を学ばれたんではないかと思います。首を折るなんて、もちろんいい事ではなかったと思うし、たくさん大変な事があったと思います。でも、良い方に考えれば、今、人が忘れかけている命の尊さなどを知る事ができたと思います。』
 『人は、助け合って生きていくものだなぁと思いました。伊藤さんは、「自分のお世話をしてくれた看護婦さんや家族、いろいろな人に感謝をしている」とおっしゃいましたが、私は、看護婦さんや家族の方、伊藤さんに出会った人達も、伊藤さんに感謝をしているのではないかと思います。それは、毎日障害をハンデにしていない楽しそうな生活を見ていたり、伊藤さんの明るく生活をしている姿を直接近くで携わっていると生きる楽しさというものを教えてくれたのではないかと思います。私も伊藤さんにもっと楽しく生きるということを教えてもらいました。』
 『普段、私達があまりふれることのできない思いやりの心や親切などを知れた事は伊藤先生の財産なんだろうと思った。また、先生は手足を失ってしまったけど、先生は他にいろんなものをもらったんだと思った。ただ、普通に生きている私達でも死にたいとか思う事もあるのに、障害を負っていながら辛い気持ちを幸せな気持ちに変えて生きているという所がものすごく尊敬した。』
 『障害者の人もひとりの立派な「人間」で、ただ、私達と違うのは「障害」がある事。後は私達と変わらない、同じひとりの人間という事。これから訪れる21世紀は皆、明るく楽しく差別なんかない未来を作っていきたいです。』
 『私は今日、発見した事があります。それは、障害を持っていたとしても、私達と何ら変わらないという事です。障害を持っているだけで、何となく違う見方をしてしまうのは間違いだと思いました。今までは、健康で普通という事に甘えていたような気がします。毎日を精一杯、懸命に生きていこうと思います。』
 『伊藤さんのお話を聞いて、私達には、また課題ができました。それは、障害者の方々にも楽しい生活が送れるように工夫することです。"また"というのには理由があります。私たち北中の3年生の修学旅行は広島と京都でした。広島では、被爆体験者の沼田さんという方からお話を聞きました。私はそこで原爆や平和について深く考えさせられました。私は平和な世界ができるよう小さなことでもいいから何かできればいいなと思っています。私達は人からお話を聞かなければ間違いに気付けません。伊藤さんは「きっかけ」を作ってくださいました。もっと、多くの人が「きっかけ」を見つけられるように頑張って来てください。人のお話を聞くというのは、本当に大切な事だと思います。』
 『私達は、21世紀の1回目に成人式を迎えます。だから私達が体の不自由な人と一緒に楽しく過ごすことのできような未来を作っていかなきゃならないと思いました。』
 この他どれも素晴らしく、全生徒の文も載せたいぐらいです。若い中学生の立派な文章に感服しました。これからの成長が楽しみです。