春、藤井君にお会いした。パッと会って一瞬、何かが通じた。大きな電動車イスに乗った私のでかい顔を見て、彼はニッコリ。お互いに笑顔で挨拶。怖がられなくてよかったとひとり喜ぶ。藤井君のお母さんとも挨拶。私を見て『あまり大きくないんですね』と言われ…。喜んで良いのか複雑な心境。本当のゴリラと思ったのかも?。藤井君26才、立派な大人である。同じ位の年令の人を見る時、彼の母は何度となく辛く悲しい思いをしてきたにちがいない。事故を起こした人間を恨み、苦しい時代を送ったのだろう。生命をつなぎとめた時、せめて話だけでも普通にできないものかと、嘆き悲しんだにちがいない。母は、何もできなくてもいい、生命だけ助かればいいと思ったのだろう。親の愛に勝るものはないと、よく言われる。藤井君母子を見ているとまさにその通りである。藤井君は、トーキングエイドの機器で1つ1つボタンを押して意志を伝えることが出来るが、母子の会話は眼と眼で会話が通じ合っている。あいうえおの50音の横の列からお母さんが、『あ、か、さ、た、な』と声をかけ、その列にある字を藤井君が眼で合図をして、今度は縦の列、『な、に、ぬ、ね、の』と、また眼で合図する。それもあっと言う間に。母子の素晴らしさと愛情を感じた。美しい二人の姿を見て、なんとなく自分が恥ずかしく思った。私は、四肢完全麻痺だが、話はできる。会話が普通に通じ合えることがこんなに便利で、人間関係をスムーズにするとは、普段あまり考えていなかった。私も手術後、人口呼吸器で話せない時期が会ったことをすっかり忘れていたのである。障害のある人は、それぞれ症状が違う。声の出ない人、声は出てもはっきり話せない人が世の中には多くいる。話せるが器械で呼吸しているため、声が出せないということもある。山形県から私の自宅まで、Mさんの奥さんが訪ねて来られたご主人もそうだった。地域の運動会でムカデ競争に出られ、先頭だったMさんは、バランスを崩し、将棋倒しで後ろから押され、皆の体重と圧力で首を骨折してしまった。骨折の場所が悪く、首の上から3番目だと自発呼吸ができなく、常に人口呼吸器による生活をしなければならない。声が出せなく、身体も動かせなくてイライラして、奥さんに当たり散らかす状態だと悩んでいた。それは、自分の障害を受け入れようと戦っている姿である事、障害をおった時、誰もが通る道であることを伝えた。車イスで外へ出たり、多くの人に会う事で立ち直っていくので、長い眼で見て下さいと伝えた。あれから3年、今は、訓練による成果で声が出せるようになり、いろいろな所に出掛けていると連絡があった。奥さんの頑張りと優しさが、通じたのである。嬉しい事である。
 先日、七沢リハビリに通院に行った。行くたびに、私と同じような重度の障害になってしまった人に会う。子供が2人いて事故で怪我をした女性。母親でありながら、四肢完全麻痺の運命になってしまった。子供にいろいろなことをしてあげられなくなったことを考え、苦しい思いをしているにちがいない。先の人生を考え、暗い思いになるだろう。七沢リハビリで私と会った時、私は何となくそんな気持ちを考えると簡単に言葉がでなかった。同じ障害程度の私の姿を見て、彼女は何かが分かっていくのだと思う。私もそうだったように…。辛い時期を越えると人間は自分に強くなり、そして、人に優しくなれるように思う。初めて会った時より、生き生きとしたさわやかな笑顔が今回はあった。彼女の気丈さが伺えて嬉しく思った。
 海外旅行中に怪我をした、入院1カ月の男性とも会う。年とった母親、父親に孝行出来ないこと、自分の好きなことをやって迷惑をかけてしまう申し訳なさなど、あれやこれや考え、苦しんでいるにちがいない。初めて会ったが明るい笑顔である。無理しているのか。話しをすると貧血と肺活量の少なさから声がか細い。同じ障害を持った者が皆通る道なのである。それを乗り越えると、生きる意欲が持てる電動車イスに乗れるのだ。もっと感情的になって、どなったりおこったりしていいんだと伝えた。我慢することなく大きな声で喚くんだと…。それにしても、私より立派な人達がなんと多いことか。私は恥ずかしい。私は、いろんな人に会って励ましているが、実は、私自信が励まされているのだ。