頸髄損傷者の全国総会というのが、毎年開催される。今回は、神奈川県の頸損連絡会の設立20周年ということで神奈川の湘南国際村、全国社会福祉協議会研修センターロフォス湘南である。総会だけでなく、今までに新年会、キャンプ、運動会などの多くの行事の誘いがあったのだが、介助の問題にかこつけて、私は出席しなかった。一人で行動する勇気が出てこなかったのだ。しかし、今回は一人で挑戦した。それは、七沢リハビリに入院当時から何かと世話をしてくれた矢野さんの存在のおかげである。彼女は、私と同じ障害を持ちながら、小田原市で一人で生活している。頸損連絡会の役員としても以前から活躍し、リフトも付いてないバスに一人で乗って、何処へにでも車イスで出掛ける人だ。私なんて足元にも及ばない。その人から『出ておいでよ!ボランティアの方も多くいるから…』と言う誘いで、勇気を出そうと思った。初めて一人で行く一泊旅行。そう決断し、決定した時、マリちゃんが『一人で大丈夫なの?夜、寝かせてもらえなくて泣くんじゃないの?』といやな不安をあおりながらニヤニヤ。クソ〜!40才にもなったゴリラが旅行に一人で行けないとは情けない。一層の勇気を出していざ出発。
 湘南なので私の好きな海のそばかと思っていたのだが、山の頂上であった。私は、ホテルに直行したが、他の全国から参加する人達はランドマークタワーなど、横浜の見学をしてから会場に集まる。頸髄損傷者の場合、殆どが電動車イスである。胸椎や腰椎よりも重度であるため、まず手で車イスを操作するのが不可能なのだ。毎年、総会は全国各地で行うことによって、活動しやすい公共施設を作って貰うための運動の1つともなっている。新幹線や電車等を利用し、重い電動車イスを階段から運んで貰う事によって、エレベーターの設置の必要性を訴えることに意味がある。
 いよいよ20周年記念祝賀会がはじまった。総勢120名のうち62名が車イス。乾杯の準備になった時、後ろから何気なく男女のボランティアの方が、私の両脇に来て『食事、介助しますね』と声をかけてくれた。ビールで乾杯し、多くの料理を食べさせて貰った。満腹!満腹!男性のボランティアの方は、ヤクルトの古田にそっくり似の社会人の方で、もう1人の女性は、七沢リハの看護婦さんであった。二人は、仕事をされながらボランティア活動にも励まれ、眼がキラキラと輝き、思いやりと優しさを感じた。会話も弾み、食もすすんだ。ゲームや映写会でも盛り上がり楽しい。その後、2次会に行くと、七沢リハでとてもお世話になっている、泌尿器科主治医の先生と入院中にお世話になった看護婦さんに会った。2人にビールをすすめられ、ビールのポップでおなかがパンパン張り、苦しくも楽しい一時で、昔話に花が咲いた。
 11時過ぎに2次会もお開きとなり、各部屋で3次会。電動車イスではホテルの部屋が狭くて何台も入りきれず、廊下にいた私に大阪の坂上さんと山形の井上さんが、『まだ、寝るのは早いよね』と声をかけてくれた。私も『寝るのはもったいないですよね』と答えた。3人で夜中の12時頃まで、電動車イスやパソコンなどの情報交換で盛り上がった。二人は、漫才コンビのように、ボケとツッコミがあり、とてもおもしろく笑いっぱなしであった。坂上さんは、ひとりでどこにも出掛けているし、井上さんは、雪道でも電動車イスで外出するパワーのある人であった。そして、雪国の障害者の大変さを知った。さぁ〜寝床へ。ボランティアの方の介助で、心配なく無事、寝床についた。皆さんベテラン方で余計な心配をしてしまったようだ。
 翌日、9時から全国総会が始まった。各支部の活動報告があり、その中で大阪支部の行動力のパワーを感じた。公共交通機関、街づくり、医療、介助など改善要望していく事で話がまとまった。私は、寝不足で重くなった瞼と必死に戦っていた。
 今回、初めて総会に出席したが、障害を持っている方やボランティアの方の温かい心に触れ、不安なく、楽しく過ごせた事を嬉しく思った。多くの人に出会う事によって、視野が広がり自分の世界が広がった。やはり私が、一番でかく日本一だと思ったが、中身はみんなのほうが数倍でかかった。人間、生きていると辛いことが多いが、それが人間を大きくさせていると思った。矢野さんや仲間、ボランティアの方に感謝。来年の総会は大阪!また一人旅に挑戦しようかな?