横浜市立霧ケ丘中学校で2回目の講演をした。講演というほどの内容ではないが…。その後、全校生徒の皆さんから心のこもった、素晴らしい手紙を戴いたので、その中からほんの一部紹介。
 霧ケ丘中に行って感激したのは、技術員さん手作りのスロープだった。聞くと鉄板をどこからか拾って来て、苦心して作って下さったという。それも丁寧によくできていたので、そのままずっと使えると思う。とても嬉しい。
 『友達とかが、障害者を見て、何か障害者の方にとっては、とても傷つくような事を言っていたりしたら、私は自分の事のように思えてきて、その人達に障害者の気持ちを教えてあげます。実際は、あまり分かっていないのかも知れませんが、私はその方々を特別扱いするつもりはありません。いつも、当たり前のように健康で過ごせている事は、最高に幸せなんだ。感謝しています。これからも共に生きている方と一緒に、生活をしていると実感しながら生きていきます。』
 『健康な体なのに、今まで、自殺したいと何度も考えた事がありました。でも、それは、贅沢だという事が分かりました。でも、生きる事って大変で、死ぬ事は楽に思えます。楽しい時は、ほんの一時で、寂しい時は、凄く長い時間に思えます。多分、今、人生に山と谷があったならば、谷の位置にあると思います。だけど、谷があれば、いつかは山があるはずだ。そう思って前向きに生きるよう努力したい。』
 『小さい頃からよく母に"障害を持つ人達に同情しちゃいけません。そのかわり、一人の人間として見ていってあげなさい"と言われました。幸運にも私は小学校5年の時、筋ジストロフィーの男の子と一緒のクラスになりました。その子は歩くのも大変だし、一人で転んだら立つ事もできません。そこで、私は一人の友達とゴミ捨て場にあった木製のソリを拾って帰り、4カ所に自分の家にあったローラースケートをつけて、学校に持っていき、時間がない時は、それに乗って体育館などの移動に使用しました。』
 『話を聞いているうちに障害者の皆さんへの考え方というか、先入観がガラッと変わりました。かわいそうとかそういう気持ちではなく、なんとなく羨ましい感じがしました。苦しい事は、私達の何倍もあるかもしれないけど、それを乗り越える力やものごとを前向きに広く、大きく考えられるようになれたりするのは、今の私にとってはとても羨ましいです。最後に、私が大人になったらみんなが住みやすい世の中にしていきたい。』
 『今、自分は、今までの障害者の方へ対する自分の考えに、とても、腹が立っています。みんな(障害者の方)一生懸命歩いたり、動いたりしているのに、健康である自分は、足をなくしてしまって"ぎ足"をつけてびっこをしながら歩く子供などを見て、"変なのー"みたいな感じで、その子をジロジロ見てました。そんな自分がとても許せません。』
 『伊藤さんを見て、そして伊藤さんが語ってくれた言葉を聞いて、人間っていいなぁと思いました。伊藤さんがお世話してくれた看護婦さんに感謝の気持ちを忘れていたと言っていましたが、私も友人、両親、先生、近所の人々に対する感謝の気持ちを忘れていた気がしました。』
 『僕の心の中に残っている事は"どんな事があっても死のうなんて思わず、前へ前へ生きていこう"という事が一番覚えています。これからは、どんな時でも前へ前へ進める人間になって自分の夢に向かって走っていきたい。』
 『神が人間を作りになったとしたら、障害というハンデを人生に与えたとしたら、その場合、自分には何か他に凄い才能を持っていると考えます。その才能を発揮する時が、自分の生きがいになると思います。』
 『国語の授業で"人権作文"を作るにあたってどんな差別があるかを出しました。でも、今日、伊藤さんの話を聞いて、私達なんかより、たくさん辛い事を乗り越えて、それだけ頑張ってきた人なんだ。私達が差別なんかできる立場ではない事に気づきました。』
 『小学校1年生の時、養護学校と隣合わせになっていて、よく養護の方へ行って、障害のある子たちと遊んでいました。その中で私と一番仲の良かった子がいました。その子は、伊藤さんと同じように足が動かない子でした。しかし、彼女が遊んでいる所を見て、"私とどこもかわっていない"と思いました。足が動かなくても、かわらない明るさを持っていたからです。伊藤さんを見て、ふとその子の事を思い出しました。思いやりを大切にしたいと思いました。』
 私の下手な話から、いろんな事を感じとってくれた、素晴らしい中学生から、また、生き方を教えて貰いました。有り難う!