あっ!雪だ!大雪だ!朝、目覚めて窓を開けてもらうと、いきなり冷たい風が入り込み、私の呼吸する息が白くなった。私は、寒さに耐えながら外を見ると、なんと隣の屋根には雪が積もり真っ白、庭の樹木も真っ白になる大雪である。どうしよう?今日は、静岡県沼津で行われる神奈川県頚髄損傷者連絡会の新年会に1泊2日で行く予定の日だ。初めての新年会にひとりで出席するとあって、前日からとても楽しみにしていた。こんな大雪になるとは…。この雪では、車は走れそうもないので、出席を諦めようかと迷っていると、母が『道路は、積もっていないから大丈夫!』と聞いて、一安心。マリちゃんに着替えをして貰い、電動車イスに乗せて貰う頃には、窓から太陽の日差しが射してきて、屋根の雪が見る見るうちに溶け出した。一時的な大雪だったのだ。こんなこともあるのか逆に嬉しく思った。
 ボランティアさんが運転するハンディキャブで、沼津の静岡厚生年金休暇センターに向かった。この施設は、沼津の山側にあり、体育館やプール、テニスコート、遊歩道まである。大きめのエレベーターも完備されている。部屋は、和室と洋室があり、私は洋室のツインに男のボランティアさんと宿泊した。ボランティアさんは、仕事の休みを利用して、頚損連絡会に何度も来られているベテランの方だった。マスクは、優しそうな感じで、話し方は穏やかな明るい人だった。身体はガッチリして背が高く、力強そうに見えた。私の大きな身体に合わせて、頚損会のスタッフが特別に選んでくれたのに違いない。初めてボランティアさんに会って顔を見た時に、すぐにあだ名が浮かんだ。会ったばかりで、あだ名で呼ぶのは失礼かと思い、何度となく口から出そうになる言葉を我慢していた。しかし、酒が入ると私は、あだ名で大声で叫んでいた。『若ダンナ!』失礼な奴と思ったかもしれないが、他の皆も『若ダンナ』と呼んでいたので、ピッタリしたあだ名だったかもしれないと思った。言われた本人も笑ってくれたので、ホッとした。私は、あだ名をつけたら、直ぐに言いたくてしょうがないのだ。
 夕方6時より、車イス21名、付き添いの方とボランティアの方が34名、総勢55名の大宴会開始。料理は、新鮮な漁貝類中心で、女性ボランティアの方による食事介助で、より一層美味かった。食事が終わる頃には、カラオケが始まり、そして、ゲームで盛り上がった。私は、素晴らしい本物の音痴なので歌わなかったが、皆上手なので驚いてしまった。その後、各部屋で2次会。ボランティアさんの部屋に、車イスの人達も入れるだけ入り、宴が始まった。そこに、昨年の全国頚損連絡会でお世話になった、男のボランティアさんに会った。名前は忘れていたが、顔だけはしっかりと覚えていた。宴会の時は、余りにも私が楽しんで盛り上がっていたため、全く気が付かなかったのである。ふたりで顔を見合わせた時、『オー』とか『ドゥー』とか言葉にならない悲鳴を叫んでいた。私は、電動車イスに取り付けてあるボトルホルダーにカンビールを入れて、ストローで飲んだために、直ぐに酔いが回り、ひとりで騒いでいたらしい。何故なら私の記憶が、途中から消えてしまっているからである。結局、午前1時、途中で抜け出して私は部屋に戻った。
 さぁ、それからが大変。男のボランティアの方2人に、電動車イスからベットに移す時、皆、酔っ払っているため力が入らず、何度も『セーノ、セーノ』と掛け声ばかりで、なかなか私の身体は持ち上がらない。2人の顔を見ると顔が真っ赤。酔っ払って顔が赤いのかと思っていると、私の体重が重過ぎて持ち上がらなかったからであった。その事が分かると、皆で涙を流しながら、腹が痛くなるほど大笑いした。何とかベットに横になった私の姿を見て、また大笑い。両足がベットからはみ出していて、子供のベットに大人が寝ているようだったのである。笑い過ぎて呼吸困難になりそうであった。
 その後、ボランティアの看護婦さんに導尿してもらい、看護婦さんと若タンナと私で、午前2時半まで話し込んでしまった。この日は、寝るのがもったいないと思うほど、心の底から笑い、面白くて楽しい新年会だった。新年会で、この私が楽しめたのは、何と言ってもボランティアさん達のお陰である。ボランティアをしている人を見ると『あの人ボランティアしているの、偉いわねとか、私はまだそんな余裕がないとか』言われがちである。残念だけど日本では、まだボランティアは特別なことなのである。頚損会で知り合ったボランティアの方達は、普通に接してくれ、『自分が楽しいから、学ぶことがいっぱいあるから』と、眼をキラキラと輝かせながら、話しているのが印象的であった。余裕がない生活をしているのに、ボランティアをして下さっている方が、なんと多い事か。運転から宿泊を共にして下さった、皆様に感謝、感謝!
 日本のボランティア活動は、阪神大災害から福井県沖重油災害など、少しづつ広まりつつある。ボランティア活動が、早く日常生活に溶け込むような社会になればと思っている。