2000年の眠りから甦る古代ローマの美!TVで古代都市ポンペイを見た時から、壁画展には是非行きたいと思っていた。古代だというのに、街には都市計画がなされていたというから驚き。そして、強く興味が涌いたのである。横浜美術館で開催されたポンペイの壁画展に、いつもの友人とで行ってみた。ゴッホ展の時と同様、やっぱり混んでいた。ゴリラ様の電動車イスは、でっかくて人込みにはやはり弱い。電動車イスの前タイヤが見えないので、前の人の足をひきそうだし、かといって前を空けるとそこに人が入ってしまって、なかなか前に進めない。歩いている人も満員電車の中に入って行くようで大変だー。電動車イスの前を友人やマリちゃんが場所をとって進みながら、なんとか壁画を見た。実に素晴らしい!2000年もの前に、これだけの文化があったとは信じられない。
 イタリアの古代都市ポンペイは、西暦79年8月24日に、突然、ヴェスヴィオ山が大噴火して、人口1万数千人は、一瞬にして厚さ5mの灰に埋もてしまった。その後、18世紀中頃から発掘が始まり、開始当初は学術的な発掘というより、骨董品捜しの盗掘が横行したらしい。その過程で傷つけられたり、失われたポンペイの貴重な遺産は数多い。今も昔も悪い人間はいるもんだ。
 発掘された街の中心には、神殿、裁判所、市場などがあり、人々で賑わったようである。商人や職人の店が並んでいた通りまでもが発見されている。道路は、石で作られた馬車道と歩道に区別されている。また、横断歩道も飛び石が並べられ、馬車道にはわだち(車輪の通ったあと)がはっきりと残っているのである。馬車は、2頭立てで木の車輪の外側に鉄で強化されていたり、馬小屋には馬が横に倒れたままの骨が見付かっているのだ。
 住居は石作りで、屋根が中心に向かって内側に傾斜している。中心に大きな穴が空いて、そこに雨水が集まるように工夫されていた。穴の空いた下には、部屋があり、床には雨水をためる大きな池がある。明るく、解放感のある室内には、噴水もあり、鉛で作られた水道管までもがあるのには驚かされた。当時も、いかに水が大切であったのかが分かる。各家には、お風呂やサウナまであり、家具も彫刻などで彫られ芸術的な作品が多い。そして、玄関の床には、モザイク画で飾られ、部屋にも壁画が飾れているのである。美術館では、当時のままに部屋として再現され、153点の展示は地元でもなく、6割りは世界初公開。その中で、驚かされるのは、クリプトポルティコの地下柱廊である。
壁画の大きさが210p×960pもあり、どのようにして運んだのか創造がつかなかった。この壁画は、男女が天井を支えている柱のように絵が描かれ、元は食堂の下の酒蔵として使われた所に飾られていた。私が一番印象に残ったのは、『アテナ・ベレロフォンとペガサス』のギリシャ神話の壁画である。有翼の白馬ペガサスが、暴れているのを抑えようとしている裸体の青年と武装した女性が描かれている絵である。他に比べて48p×55pと小さな絵ではあるが、細かな所まで描きこまれ、白馬の躍動感と力強い動きに見とれてしまった。あんなに多くの壁画が、どの家にも飾られていたとは信じられない。ポンペイは、文化の高さと芸術が浸透していたのであろう。絵は、神話、庭園画、風景画、静物画、風俗画などがあり、ありとあらゆる絵が精密に色彩豊かに描かれていた。生活が豊かであったせいか壁画には、温かみがあり、心地よさがあった。とても大きな壁画までが展示されているので、実際のポンペイでどういう状況にあるのかが、少し想像する事ができた。壁画に囲まれていると、私自身が古代にタイムスリップしたような不思議な感覚になってしまった。2000年前のローマ人達の優れた美術的感性と豪華な建築を可能にした経済力には驚かされるばかりである。今回の壁画は、人間の能力の限りない可能性と空間を感じさせる展覧会であった。
 もうひとつ印象に残った事がある。当日は、休みのせいか親子連れの小学生達が多かったのだが、私の大きな電動車イスが珍しく、壁画より、電動車イスの動きをジートみつめる子供が多かったのだ。見掛ける事の少ない電動車イスをよーく見て、それが手足となっている事が分かってくれるといいのだが…。
 芸術とか文化に全く無縁だった私が、2000年前の古代に何故か、強くひかれたのは何故なのだろう!2000年前に想いを馳せると、『自分の先祖はいったい何をしていたのだろう?』『古代は石の車イスだった?』まさか!などと、とりとめのない事を考え、楽しい一時を送った。人間は、いろいろな事を考え、悩みながら生きるもの。古代の人達もきっと同じだったのではないだろうか。いや、悩みながらも現代の人間より、逞しく一生懸命生きていたようなそんな気がしてならない。