国内初の冬季パラリンピックまで残された時間はあとわずか。1998年3月5日〜14日までの10日間、世界の障害者スポーツの祭典『長野パラリンピック冬季競技大会』が開催される。長野パラリンピック冬季競技大会は、ヨーロッパ以外の地域で開かれる初めての冬季競技大会。参加約30カ国、地域より約1500人の選手役員の参加。1960年からパラリンピックのパラには、『もうひとつ』のと意味があり、実はこれ日本生まれの和製英語。大会のスローガンは、
『Paraktnpics Catch the Excitement』感動がひろがる、つたわる、わきあがる。鍛え抜かれた選手達の身体が、何を表現するのか大きな感動を予感させる。
 祭典の前に、芸術にかける障害者たちの挑戦の舞台として、『98アート・パラリンピック』も開催される。演劇や音楽、陶芸・絵画等などが公募され、無限の可能性を秘めた自己表現活動の場ともなる。
 パラリンピックでは、四肢に障害のある選手を9クラス(LMクラス)に、視覚障害のある選手を3クラス(Bクラス)、それに知的障害者のクラスに分け、クラス毎に競技を行う。
 競技種目は、@アイススレッジスピードレース、Aアイススレッジホッケー、Bクロスカントリースキー、Cバイアスロン、Dスルペンスキーの5競技34種目。
 アイススレッジホッケーは、足に障害を持つ選手を対称にした競技で、冬季大会の中で唯一ゴール型のスポーツである。ソリーのようなものに座り、お尻の下にはアイススケート靴の刃が2つ。刃が短いので小回りが効く。スティックは、2本持ち、スティックの片側には刃がついて、それで氷をかいて進む。障害も様々な選手達に合わせてシートのスタイルも長さもまちまち。ホッケーのルールは、全くアイスホッケーと同じで、ゴールキーパーを含めて6人編成で相手チームと15分ピリオドで3回戦う。スウーデンで生まれたこの競技、3年前のリレハメル大会からパラリンピックの正式種目となった。日本では、ほとんど知られてなかったアイススレッジホッケーだが、今度初めて長野の大会で参加する事になった。テレビでしか見た事がないが、激しいボディアタックなどがあり、迫力満点で闘争心剥き出しのスポーツに驚く。本当に障害を持っているのかと疑いたくなるほど。
 クロスカントリースキーは、視覚障害者にはガイドが伴走して競技が行われ、障害によってはソリーに乗るチェアースキーのスタイルもある。20年位前に、七沢リハビリでチェアースキーを開発しているのを見た事がある。その時のチェアースキーは、1本のスキー板の上にイスが付いているような物だったが、現在のチェアースキーはスタイルも良いし、機能的にも向上している。ただ、一度転ぶと自分では起き上がれないのが…。
 長野市は、パラリンピックのためバリアフリーに整備しているようだが、まだ、宿泊施設はじめアクセスを中心としたハード面のバリアフリーがもっと進まなければならないようだ。会場となるエムウェーブでさえ、エレベーターの狭さや車イス用観客席のコンクリートの壁など問題点が多々あるようだ。この会場は、パラリンピックの開閉会式も行われるが、国内はじめ世界から障害者を招くにはあまりにもハード面での整備が遅れているようだ、設計段階での配慮不足。
総観客席6400席中、車イスが通れる通路がある席は0、可能なスペースも15〜20台という状態では、混乱は必至だろう。今のままではパラリンピックの成功は不確実になりそうだ。このハード面をカバーするには、ソフト面、つまりボランティアのヘルプが重要となる。長野県と日本政府は、パラリンピック主催者として、この貴重な経験をボランティアの努力だけでなく、後世に役立つ本物のノーマライゼーション社会構築のための生きた経験をバリアフリーの街づくりのために実行して欲しいものである。介助者なしで動ける設備が重要。
 身障者の競技は、スポーツとして認知されておらず、福祉やリハビリといった感覚が健常者にある。オリンピックの管轄は文部省なのに、身障者のスポーツは厚生省である。これは差別では?障害においては厚生省で良いのだが、スポーツに関しては文部省と同じ管轄でないとおかしいと思う。障害を精神的に克服する時期はリハビリかもしれないが、症状が固定したらそれがその人の個性となる。
 長野パラリンピックは、スポーツを通して友情と国際親善の輪を広げ、障害者が新たな可能性を切り開き、人々が明るい希望と勇気を抱く事のできる大会にして欲しい。高まる熱気と期待。競技を楽しみ、競技を競いあう心は障害のある人もない人も同じである。オリンピックと同じように応援して欲しいものである。