『立て、立て、立ってくれ、立ったー!』テレビからアナウンサーの叫びが響く。もう何度も聞いた言葉だ!私も大声で、『行け、行け!』と一緒になって叫んだ。これは、ご存じラージヒル2回目、原田の大ジャンプ。転倒してもおかしくないほどの危険なジャンプだった。結果は、船木が金、原田が銅。そして、ジャンプ団体の金メダル物語りが始まる。金メダルの本命と言われた日本。出だしから1番手岡部、2番手斎藤がK点越えの大ジャンプでトップにたった。そして3番手原田。その瞬間、雪がさらに強くなり、猛吹雪でのジャンプは大失速。テレビを見ていた私は愕然とした。続いて船木。1回目が終わった時点でまさかの4位。前回リレハンメルの悪夢が脳裏をよぎった。激しさを増す、白馬の天候に競技は中断した。そのまま中断になれば、日本は4位が決定してしまう。何とか天候が回復するように祈っていたら、天候が少し回復し、2回目が始まった。岡部、斎藤の大活躍で、2回目が飛び終わった時点で再びトップにたった。そして、原田の順番になると緊張と不安が交錯し、私は声も出せないほど固まっていた。いつもベッドで固まっているが…。原田が滑走をスタートした瞬間、呼吸を止め、着地するまで息を堪えていた。着地した瞬間、大ジャンプで驚いたが、直ぐに言葉が出なかった。心が震えた。アナウンサーは、『別の世界に飛んで行ったー原田!』と興奮しながら叫ぶ。それを聞いた私は、『別の世界とは、どこやー!』と…ツッコミを入れた。距離は137mの大、大ジャンプ。一段と強くなった歓声に、原田は包まれ、白銀の女神がやっと原田にほほ笑んだ。金メダルの行方は、22歳の若きエースに託された。個人戦とは比較にならない重圧がのしかかる中、船木も大ジャンプ。金メダルが決まった瞬間、船木のホッとした笑顔が印象的であった。喜び、抱き合う4人の姿を見て、私まで感激した。原田の声にならない声が、4年間の苦しみの総てを語っているようだった。どん底を見た男が流す涙。原田は、ようやく4年にわたる苦しみから解放された。本当に選手達の表情が感動的で忘れられない。各ジャンプ競技の前には、名前も呼ばれないテストジャンパーが飛ぶ。その中に、聴覚に障害のある若者がいた事を知る人は少ない。実は、その若者はオリンピック選考会で、原田や船木をおさえて優勝をしていたのである。何故選考されなかったのか。パラリンピックにはジャンプ競技はない。
 今だ日本人が手にしたことのないスピードスケートの金メダル。それを手にしたのは、500mで日本人初の金メダルとなった清水。また、1000mでも銅メダル。清水の身長162p、外国の選手は190p台の大男が並ぶ中で、小さな男が世界の壁を次々とぶち破っていくその姿に、私は胸のすくような思いがした。20年前、父に連れられスケートを始めた、背の低い少年は、困難を乗り越えて世界の頂点に立った。亡き父の残したスケートの道とその道を歩んだ清水。それを助けた母、家族の思いが金メダルとなって結ばれたのである。これがきっかけに日本のメダルダッシュが始まったのだ。
 世界中から選ばれし者達が集う世界の祭典オリンピック。歓喜の歌がこだました会場と5つの大陸を結ぶ、地球シンフォニー。歌声は、夢を世界に届けた。聖火をスタンドに運んだのは、クリス・ムーンさん。彼は、地雷を取り除く作業中に手足を失ったが、地雷の廃絶を訴えるために義足で走り続けている姿に感動した。この時、パラリンピックも一緒になった感じがした。オリンピックとパラリンピックが、いつの日か同時開催にならないものか…。栄光のはざまに選手達が見せた様々な涙。実力を発揮できなかったり、転倒したり、のしかかるプレッシャーに大本命が破れたり、くやし涙にくれた。人が一生懸命に何かに取り組んでいる姿は、実に素晴らしく、美しいものであるとつくづく感じた。様々な思いを残し、熱き戦いの日々が幕を閉じた。
 オリンピックが成功の裏には、ボランティアの活躍があったのを忘れてはならない。仕事は70種類以上。どの競技も会場の準備に多くの人の労力がある事を忘れてはならない。72の国と地域から参加した選手団には、すべてボランティアの通訳がついた。また、会場の掃除や選手の送迎、そして、ホームスティなど32000人のボランティアが活躍した。オリンピックの成功は、ボランティアなくしては成り立たないものである。やはり、どんな人達も多くの人に支えながら生きている事を忘れてはならない。