『誰かいますか?助けて〜ここから出して〜。』新横浜駅から新幹線を利用する時、車イスは改札口を通らず、少し離れた所にあるエレベーターでホームまで上がる。当日も駅員さんにエレベーターの鍵を開けて貰い、いつも通り電動車イスで乗り込んだ。エレベーターのドアが閉まろうとした時、私は叫んだ。『アッ!電気が…。』慌てて駅員さんが、ドアを開けようとしたが、無情にもエレベーターのドアが閉まった。その瞬間、暗闇の世界。真っ暗で、時間が経っても全く何も見えない。2階に着くまでの我慢だと思っていたが、エレベーターも動かない。駅員さんが何度もボタン類を手探りで押すがドアも開かない。エレベーター内は、私の大きな電動車イスと野中さん、駅員さんの3人が乗り込むと身動きできない。狭い中に、私達は閉じ込められたのである。最初は、直ぐにドアが開くと思い、楽観していたが、時間が経つにつれ、段々と不安が襲ってくる。真っ暗の中で、いろいろな事が頭をよぎる。以前、車イスの方が1日中エレベーター内に閉じ込められ事など…。私の気持ちには余裕はなかった。その時、『トントン』とドアのノックする音が聞こえた。駅員さんが『誰かいますか?開けて下さい!』と呼び掛けながらドアをノックすると『トントン』と返事が返ってきた。『これでやっと助かった!』と思ったら、なんと野中さんと駅員さんがお互いにドアを左右からノックしていたのであった。余りのおかしさに皆で大爆笑!緊迫ムードは和らいだ。だが、エレベーター内は、段々暑くなるし、呼吸も息苦しく感じ、相変わらず暗闇と戦っていた。ほんのりと照らしている電動車イスの電源だけが、心を少し落ち着かせてくれていた。何とかして連絡を取らなければと考えていたら、携帯電話を持っている事に気がついた。携帯電話を持つきっかけになったのは、横浜西口でひとりでいる時に、突然、電動車イスが故障して、動かなくなった事から持つようになった。ひとりで出掛ける時には、とても心強い友となる。早速、携帯電話を取り出して貰おうとした時、突然エレベーターのドアが開いた。ドアが開く隙間から、眩しい日差しがこぼれてきた。まるで天国の扉が開くように神々しい。どうしてドアが開いたかは解らないが、エレベーターの故障ではなく、駅員さんの操作ミスだったようである。これも貴重な経験となった。『駅員さんしっかり頼むぜ!』自宅に帰り、マリちゃんにエレベーター内に閉じ込められた話をすると、早速涙を流しながらの大笑い。『ギャハハハハ…』止まらない。どうも人の不幸が楽しいらしい。困ったもんだ。とにもかくにも、無事に新幹線に乗車し、静岡の全国頚髄損傷者連絡会の総会に出席できた。
 総会は、各支部の活動報告が行われ、京都支部ではハワイ旅行に行ったり、大阪支部ではバザーなどで資金活動をしていた。また、年金問題、交通アクセス、就労等などの話し合いがされた。特に、交通アクセスは『誰もが使える交通機関を求める全国大行動』等で当事者運動をしているが、鉄道施設のエレベーター整備が進んでいない。地域で生活し、社会活動に参加し、交流を図るうえで、公共交通機関の利用は不可欠。しかし、現実には多くの障壁があり、外へ出ようという気持ちが押さえられがちになってしまう。
 総会後は、懇談会が始まり、今年も初めてお会いする方が多く、私が乗っている外国製の電動車イスの質問責めにあった。そのお陰で、たくさんの友人が出来た。それにしても、同じ障害を持った方々の多さに、毎回驚かされる。懇談会後は、友人達と私の部屋で2次会。ホテルセンチュリー静岡22階の角部屋は広く、殆どがガラス張りで眺めが最高!その部屋に、次々と仲間が集まり、車イスと電動車イスが7名、ボランティア6名の大人数となった。室内の電気を消して、夜景を見ながら静かな宴が始まったが、横浜、静岡、名古屋、神戸、大阪の方言の違いや言葉使いの問題で、段々と盛り上がっていった。そんな中、大阪のボランティアの人が、初めて彼女とデートした時、帰り際に彼女から『また今度』と言われ、『また今度とは、いつ?』と尋ねると、彼女は『また今度は、また今度やー』と言った。関西では、『また今度』は2度とデートしないという意味らしい。それを聞いて皆大笑い。そんな事が午前2時まで続き、午前2時半になって、ようやく横になり、夜景を見ながら眠りについた。翌日、チェックアウト後、皆でうなぎ屋に入り満腹。生きている事に幸せを感じながら無事帰路についた。人との出会いによって、世界が広がり、励まされ、勇気づけられるのだと思った。一緒に参加してくれた野中さんには、大変お世話になった。有り難うございました。とても怖い経験もした1泊旅行だったが、やはり外出は楽しく、心がウキウキ新鮮になるものだ。