音楽は、摩訶不思議。その曲を聞くと、その時代を思い出し、懐かしくなる。人それぞれに思い出の曲がある。この私にも、もちろん初恋や失恋・失恋・失恋もある。失恋ばかりである。特に失恋は、今でも忘られないものである。私が中学の時に、彼女の家に遊びに行った。突然、私はドキドキしながら『お前の事、好いとうと』(九州弁)と告白した。すると彼女は、なんと『アンタの事、好かんと』と言われて失恋した。『好かんなら家に呼ぶな!』と小声でブツブツ言いながら帰ろうとした時、隣の部屋からラジオの歌声が聞こえた。♪♪また遭う日まで 遭える時まで 別れのそのわけは話たくない〜♪♪それは、当時流行していた尾崎紀世彦の曲であった。歌までが私の心をどん底に落ちこました。今でもその曲を聞くと、当時の情景が眼に浮かぶ。私の若がりし頃の経験だが、失恋を重ねて、打たれ強くなった?その経験が、生かされてマリちゃんを射止められたのかもしれない。
 ♪♪果てしない大空と 広い大地のその中で いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう♪♪先日、ラジオから流れてきた。松山千春の『大空と大地の中で』を聞いて目頭が熱くなった。この歌を聞くと何故か苦しかった頃の事を鮮明に思い出す。私は、突然の大怪我で北里大学病院(脳神経科)に入院となった。手術を受けて生命は、とりとめたものの両手両足は全く動かせない。かゆい顔や頭も自分の手でかけず、イライラし、毎日が辛く、何のために生きのびてしまったのか、わからない日々が続いた。そんな入院生活を送っていた時、早朝から松山千春の歌が、連日休む事なく聞こえていた。あまりにも音が大きいので、看護婦さんに『あの松山千春の歌、誰が聞いているの?』と聞くと『中学生の加藤君』という。その時は、単に松山千春好きな中学生と思っていた。私が中学生の頃も、ホークソングやグループサウンズの曲など、音をガンガンに大きくして聞いていたので、『な〜るほど』と別に不思議には思わなかった。しかし、後で解った事だが、加藤君は意識が全くなかったのである。長い入院生活になると、同室者は当然の事ながら、違う部屋でも、毎日面会に来ている家族の人達とも知り合いのようになる。マリちゃんも毎日のように仕事を終えてから面会に来てくれていたが、加藤君の両親も連日のように来ていた。マリちゃんと加藤君のお父さんは、帰るときによく一緒になったらしい。帰り道にいろいろ話をしながら、マリちゃんを励ましたり、加藤君の事を聞いたりしたらしい。加藤君は、中学生の時にマラソン大会にむけて、友人同志3人でマラソンの練習をしていた。その時に、事故にあってしまったのだという。瀬谷区の海軍道路の見晴らしのいい所で、自動車にはねられたのである。2人は助かり、加藤君ひとり大怪我。それ以来、加藤君の意識は戻らないまま。その話をマリちゃんから聞いて納得した。両親は、息子の意識を戻すために、彼が好きだった松山千春の曲を聞かせて、何とか意識を戻そうとしていたのである。そして、毎日面会に来ては、何度も何度も息子に話し掛けて、意識が戻るように刺激を与えていたのである。私は、その事を知って涙が流れた。今では、その息子さんは意識が戻らないまま、風邪をこじらせて亡くなられてしまった。ひとり息子を亡くした御両親の気持ちを思うと…。言葉にならない。
 当時、何度も繰り返される松山千春の『大空と大地の中で』の歌は、私を励ましてくれる応援歌のようにも聞こえたのである。この歌を聞くことによって、入院中に辛く、苦しみに耐えていた自分を思い出した。そして、加藤君の事も…。
♪♪生きる事が つらいとか 苦しいだとか いう前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ 果てしない大空と広い大地のその中で いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう 自分の腕でつかむよう♪♪
 歌を聞く事でいつしか忘れかけていた自分にも出会えるものだ。懐かしいと思う曲が多いという事は、それだけ歳をとった証明になるのかも!?