『でけーめちゃくちゃでかい!』余りの大きさと高さに圧倒。緑の芝が、日差しを浴びて眩しい。ここは、横浜国際総合競技場。全国身体障害者スポーツ大会『かながわ・ゆめ大会』の見学に行った。この大会は、昭和39年に行われた東京パラリンピックの翌年から始まり、今年で34回を迎えている。大会は、競技ばかりでなく参加する選手やボランティアさんとの交流を深める場ともなる。どの選手も、各都道府県市の代表なので、辛く苦しい練習を積み重ねて来たので、競技は真剣そのもの。正式競技は、陸上競技、水泳、アーチェリー、卓球の個人競技と車イスバスケットボール、グランドソフトボール、バレーボールの団体競技の7競技で行われた。競技場の4階メインスタンドの車イス席から場内から見渡すと"車イス400m走"と"ソフトボール投げ"が行われていた。車イス400m走を集中して見ていたら、選手の緊張感が伝わってきたせいか、私の両肩に力が入り興奮していた。こんな緊張感や闘争心は、怪我をしてから久し振りに味った。私の負けず嫌いの魂が、未だに残っているようである。そんな事を考えながら、私はひとりでニヤニヤしていると競技場で待ち合わせていた女性と会った。マリちゃんは、私の友人は女性が多いと言うが、本当である。女性といるほうが楽しいもんね。
 各選手の胸には、ゼッケンがついていたが、それには数字や色で分られていた。パンフレットを見ると数字は、都道府県市や自分の番号。色は、白が肢体に障害、黄色が聴覚、薄緑は視覚、2色は重複障害と色分けされていた。競技も最後の5000m走が終わった所で友人の女性とは分かれ、ひとりで閉会式を見る事になった。この日は、前日の開会式と違って暖かい日であったのだが、陽が段々と陰って来ると急速に寒くなってきた。マーチングバンドのパフォマンスや閉会式のフィナーレを見ていると突然、私の首や肩に汗をかき始めた。何故、汗をかくのか分からなかったが、お昼からオシッコが全く出ていないのに気がついた。初めは楽観していたが、余りの寒さに耐えられなくなり、予定より早めに"横浜らいず(身体障害者療護施設)"に帰宅した。
 私は、昨日から念願の"横浜らいず"にショートスティとして、お世話になっていたのだ。帰宅後、寒さに震えながら簡単に夕食を済ませた。今日は、私の入浴日なのでお風呂で身体を温めれば回復すると思っていたが、入浴する前に私の身体の震えがひどくなり、電動車イスに座っているのが辛く、とうとうベットに移して貰った。看護婦さんが跳んで来て、体温を計ると39度を越えていた。私は年に1〜2度、水分不足でオシッコの濁りからくる熱発と思っていた。看護婦さんに導尿して貰い、いつも通り水分を多く取れば直ると思っていた。しかし、翌朝には、水分を取ったわりにはオシッコは出ていなかったので、導尿して貰うとなんと膀胱に1250tも溜まっていたのである。私は、驚ろいたが急に不安にもなってきたのだが、熱もなく買い物に出掛ける元気はあったので、その日はそのままにしておいた。ところが、夜になってもオシッコが出なく、またもや熱発。翌日は、"らいず"のハンディキャブで、主治医の病院に連れて行って貰った。そこでバルンを入れて貰い楽になった。私の身体は、寒さと汗で完全に冷えきって、活躍筋が緊張したままとなってオシッコが出なかったのだ。
 私は、初めての"らいず"で、突然の熱発をし、看護婦さんや職員の皆さんに大変ご迷惑をかけてしまった。ここは、障害者療護施設横浜らいずと新吉田地域ケアプラザとの複合施設になっている。居住棟がA〜Fの6つに分けられていて、私がお世話になったE棟はスマイルハウスと呼ばれていた。何故、スマイルハウスと呼ばれているのかは、職員の皆さんに会って理解出来た。皆さんが明るく、暖かい心で接してくれたから。棟は、グループホームの感じで、利用者は小人数で木の温もりと家庭的な雰囲気。センターの厨房で食事が作られ、各棟に運ばれる。食器は、陶器が使われ、食事も家庭的で美味しい。入浴にも感激してしまった。浴室には、天井走行によるリフターがあり、私を吊り上げたまま、大きな浴槽の所で下におろすようになっており、肩まですっぽりとつかれるのである。ゴリラの身体は、たいがい浴槽に入る事ができないのがあたり前であったので、本当に嬉しかった。他の施設もこのように改造して戴けたらと思った。どこの施設も職員の皆さんは、暖かく親切であり、満足出来るのだが、施設面の事となると、やはり、いろいろと問題も出てくる。どこに訴えたらよくなるのかな??いろいろな施設をみてみると、それぞれの良い所、悪い所が発見できる。是非、利用者の生の声に耳を傾け、そこに働く職員共々生活しやすい環境が大切だと痛感した。そして、職員の待遇も今以上に良くしなければ、笑顔の多い介助もできないはずである。