『アレーどうしたんですか?エ!動かない?。一度、降りてみましょうか。』昨年、12月の第3日曜日に『日本せきずい基金』の募金活動に参加するため、ハンディキャブ(私の大きな電動車イスが乗れる車)を利用した。初めて、お会いするボランティアさんに挨拶。いつもどおり、ハンディキャブの後ろからリフトに乗り、車の中へ乗り込む。総て、ボタン操作の電動で動く。しかし、この日は、リフトで車の中へ入り込もうと平行移動する時に、リフトが動かなくなってしまった。もう一度、リフトを後ろに少し戻して、動かしてみたが動かないので、リフトから降りてみた。私と電動車イスの重量のせいで、壊れたのかと心配していると、どうも同じ位置で動かなく、何かが引っ掛かっているようなのである。モーター音がしているので、故障ではないらしい。ホッと一息。ボランティアさんの話によると、この車は以前にも同じ事があったので、今回は前日に、わざわざリフトを点検しに行ったとの事。それが…。何度もボランティアさんがリフトの引っ掛かっかる所を点検しても、原因がわからず、とうとうハンディキャブで出掛けるのを諦める事にした。結局、ハンディキャブは、リフトが扉から出たまま状態で帰って行った。
 ハンディキャブが帰った後、私は、直ぐに相鉄の希望が丘駅に電話をした。今、希望が丘駅は、工事中のため、私の大きな電動車イスは利用しずらい。駅員の方から、電動車イスでの利用のOKを貰った。早速、ひとりで駅に向かおうとする私に、マリちゃんが『ひとりで行けるの〜。また、止まるわよ』と冷やかす。前回、横浜駅西口で募金活動に行った時、この電動車イスが、突然、故障して動かなくなった事があったのだ。嫌な記憶が…。駅に着くと2人の駅員さんが来てくれた。キップを買って貰い、階段をチェアーメイトで登る。前回、利用したチェアーメイトの怖い体験が甦ってきた。今回は、チェアーメイトを操作した駅員の方も、慣れているらしくスムーズに上がれて安心した。多少、怖さも残っていたがこれも慣れだと思う。希望が丘駅は、来年の6月に完成予定だ。車イスで利用するスロープは、そのまま残るが、エレベーターがないのは納得がいかない。また、イトーヨーカド側にも、改札口が出来ないのである。誰もが利用しやすい、駅であって欲しいものである。
 12時過ぎに無事、横浜駅西口に着いて、募金活動を始めた。前回にも紹介したが『日本せきずい基金』とは、『総合せきずい情報センター』を設立するために、活動している。医療研究の充実化や支援システム、ピアカウンセリングなどで、自立と自尊できるような情報提供する場となる。この日は、はじめ日差しが強く暖かかったのだが、高島屋前は日陰になり、風が強く、寒くなってきた。前回、国体の時に、寒さで身体が冷えきって尿が出なくなり、高熱を出した事があったので、今回は、おなかと背中にカイロ、洋服は厚着して風を通さない上着とズボン、そして帽子で完全防備。他の仲間も私と同じようにダルマ状態。最初は、身体が暖かく『日本せきずい基金に、ご協力をお願いします!』とよく声が出ていたが、1時間過ぎた頃から急に寒くなり、『ありがとうございます。』と言うのがやっとになってしまった。この日も友人の野中さんに、背中にカイロを入れて貰い、温かいお茶を飲ませて貰ったりしたのだが、なかなか暖まらない。そんな時、急に私の大きな耳が痛くなってきた。そうだ私の帽子が小さくて、耳までかぶっていなかった事に気がついた。バカだな〜。情けない。野中さんが、西口を走り回って、大きな帽子を探して、買って来てくれたのである。ゴリラの頭にあう帽子はなかなかない。大きな帽子が各店になくて、大変だったらしい。その帽子を耳まで深くかぶると、野中さんの優しさがゴリラの身体と心までを暖かくしてくれた。
 元気を取り戻して、募金活動をしていると、突然、横から『伊藤先生ですか?』と声をかけられた。顔を見ると奇麗な女性。見覚えがない。"ドキドキ"していると、彼女が『私、眞理子先生の教え子です!』と明るく、元気一杯の挨拶で、募金に協力してくれた。何故か私は、自分の教え子のように嬉しくなってしまった。帰宅して、その事をマリちゃんに話すと、すぐに思い出して『ア〜看護婦になった子だ!』と叫んで喜んでいた。中学生らしい子供達も結構協力してくれる。『どこの中学?』と聞くと、マリちゃんの中学校の生徒だった。不景気で皆さん大変なのに、多くの方に協力して貰って、本当に嬉しく思った。皆さんから『頑張って下さい!』と声をかけてくれた笑顔が今でも忘れられない。ありがとうございました。