前回は、小学生でしたが、今回は、いろいろな中学校で講演した感想を一部紹介。そういえば、希望ケ丘中学校で講演した時、私の教え子が保護者として、講演を聞いていた事が分かり、とても驚いた。私も歳をとったわけだ…。
【中学1年生】
『体が不自由な方と会う事は少なく、会うと、どう接したらいいのか。また、失礼な事をしなかったかとか、余計な気遣いをしてしまいましたが、今日の話を聞いて、それは間違った優しさであり、普通に接していけばいいんだと思いました。』
『伊藤さんは、事故で手足の自由を失いました。その代わり、とても素晴らしいものを手に入れたと思いました。看護婦さんの優しさ、しゃべれない人との交流、やればできるという事。普通では、少ししか味わえない事を伊藤さんはとても多く味わいました。』
『話の中で、"命は与えられたものだから、生きようと思いました。"という所が一番印象に残りました。私は今まで"いのち"という事を解っているようで、はっきりそれがどういう事なのか、見えていませんでした。"命は自分だけのものじゃない"という言葉が、"いのち"というものがどういうもので、どれだけ大切かを私に教えてくれました。その他に、"勘違いの優しさ"の話を聞いて、障害のある人にも、ない人にも、本当の気持ちでふれあう事を学びました。』
『私にも知的障害の持つ弟がいて、本人も分からないのかも知れないけど、凄く苦しいのだと思います。手足がなくて、スキーをしたり、水泳などができる。最初は、"こんな人かわいそうだなぁ"と思っていたけど、やっぱり、色々な人達に出会って、色々な経験をして、こうやって一生懸命に生きてるんだ!幸せなんだって思いました。一人で悩んでも、何も始まらないんだなぁ…と考えさせられた。そして、弟も大切にして、同じ仲間同士、地域の人達と頑張りたいと思います。』
【中学2年生】
『うちの兄は、手や足は動かないし、言葉も分かりません。みんなは、うちの兄の事を"かわいそう"とか"大変だね"などと言います。だけど自分では、そう思いません。兄は兄のままだし、それが自然な事です。』
『自分の夢は、自分で歩いていかないと、かなえられないという事を教えられた。』『私は、この前まで、"看護"の仕事をしたいと思っていました。でも、"気持ち悪い""かわいそう"などと思い、"もっと楽に生きよう"と決めました。今日、話を聞いて、体の不自由の方が、看護する人よりも大変な事に気付きました。だから、また"看護"の仕事をしたいと思いました。』
『今の日本では、車イスで人の手を借りずに行ける所なんて、無いに等しいと思う。話を聞いて、私達、健康な人間が中心の、今の社会は思いやりがないと思う。自分達より少し、体力や運動能力の劣っている人々には、とても住みにくい街しか作れていない。しかも、残念ながら今、私達とそういう体に障害のある人々が共に、生活できているのは、障害者の方が強い精神力とその根性で、色々な難関を工夫して、クリアしていってくれているにすぎない。健康な人よりも、身障者の住みやすい街こそ、本当の住みやすい、いい街だと思う。』
【中学生3年】
『私にも"四肢マヒ"という、首より下が動かない母がいます。首の頚椎を損傷して、手足が全く動かなくなってしまいました。リハビリをして、一時は、手に機器をつけ、自分で動かしたり(電動車イスを)、手にフォークを縛り付けて、物を食べたりできるようになった時もあったのですが、肺炎にかかり、それ以来リハビリを中止していたため、すっかり力を弱くなってしまって、ほとんど寝たきりになってしまいました。でも、1年7ケ月病と戦ってきたけど、先月、他界しました。きっと、母も七沢リハセンターに入院したかったはずです。しかし、予約がいっぱいとの事で、結局、行けずじまいでした。あごで動く電動車イスの事は、私も、母も、家族も全く知らず、早く知っていたら、きっと、母にも生きる望みが生まれたと思います。私は、もっと多くの人に、体の不自由な人のための施設の事を知って貰いたいです。』
『五体満足に、自由に生活できる事を本当に嬉しく思います。また、足が速くても遅くても、"それは個性である"と聴いて、とても嬉しく感じました。他の人と違う所があっても、"それが自分の個性だ"と思うと、気が楽になります。』
『健康である人より、輝いて見える。普通の人は、普通の事が当たり前過ぎて、自分の輝く所を完全に輝やかせていない。』
『私も辛い事がいっぱいあって、死にたいと思った事いっぱいありました。話を聞いて、死にたいと思ってはいけない。命の大切さが分かりました。』『僕には、障害者の姉がいますが、幼い頃に発作を起こし、脳の発達が遅れてしまい、言葉もしゃべれません。僕は小さい頃、姉と一緒に外を歩くのがいやでした。でも、だんだん大きくなり、いろいろ考えるようになると、そういう事をあまり思わなくなってきました。世の中には、理解してくれる人は増えていますが、まだ、理解してくれない人もいます。障害者の人が、理解され、受け入られるような社会に、頑張ってしていきたいと思っています。』