昨年の11月頃から急に、オシッコの出が悪く、度々、高熱が出るようになった。膀胱内に、500tもの残尿がある事が原因である。頚髄損傷は、膀胱の括約筋が緊張しやすく、排尿が困難になりやすいのだ。ちなみに、健康な人は残尿がゼロである。オシッコの出が悪く、残尿が多くなるとオシッコが腎臓の方に逆流して、腎う炎や腎不全などの病気を起こして、死につながることもあるという。そこで、泌尿器の手術を受ける事にした。
 19年ぶりに、神奈川総合リハビリテーションセンターに再入院。病棟は、昨年、新しくできた新館の4階。私の部屋は、一番奥の4人部屋の窓側。部屋の天井には、リフターが使えるレールがあり、一人ひとりはテレビが設置してあった。私は、毎日23時までテレビを見ていた。昔は、21時になると電気は消され、話をしているとよく怒られたものである。
 マリちゃんと母が、荷物を整理していると、早速、医師からオペの事で呼び出された。マリちゃんとふたりで、オペの説明を聞いた。オペは膀胱の活躍筋を切り、前立腺を削って、オシッコの出をよくするという。先生は、解り易く、絵を交えて、細かく説明してくれた。オペは、老人の方にもできる方法なので、98%は成功するが、2%が出血や感染の為、失敗することもあるという。普通は、成功の確率を喜ぶが、私の頭の中には、その"2%"が気になっていた。
 部屋に戻り、ベットに移るとベットが小さくて、私にはギリギリであった。しかし、このベットは、イギリス製のパラゴンベットといって、素晴らしい性能。ベットの背もたれ、足、上下は勿論の事、ベット全体が頭・足の方に斜めにもできる。また、ベットを横に5度、15度と傾きをセッティングでき、時間で自動的にローリングして、褥創を予防する事が出来るのである。オペ後は、大変やくに立った。身長の高い人用に、大きいサイズもあって良いと思うのだが…。
 早速、検査が始まり、入院から4日後にオペが決まった。当日は、マリちゃんと母が来てくれた。午後、オペ室に入り、腰椎麻酔をうたれ、1時間もかからず終わる。何事もなかったように、元気で病室に戻った。私の表情を見て、マリちゃんと母は安心して帰宅した。私は、前日の夜から水分が取れなく、翌日の午後からの水分を楽しみにして眠りについた。ところが、その夜中、激しい頭痛に眼を覚ました。顔や両肩に玉の汗が噴き出して、悪寒がして震えだした。直ぐにナースコールで看護婦さんを呼んだ。ナースコールは、呼気で呼べる。看護婦さんは、私の表情を見ただけで、原因が直ぐに解かったらしい。(私のチンチンには、膀胱までバルンの管が入っていて、出血したオシッコを流れやすくしてある。)急に出血が多くなり、血の固まり(こあぐら)がバルンに詰まって、オシッコが流れない為に起きる、過反射だったのである。注射器で、バルンに詰まったこあぐらを吸い出そうと、何度も試みている中、他の看護婦さんが心電図や血圧計を付け、あっという間に、私の回りは機器だらけになっていた。結局、バルンに詰まったこあぐらが取れず、当直の先生まで呼ぶことになった。ところが、当直の先生は、泌尿器の専門でなかったので、うまく処置できなかったのだ。私は、どうなるのかと苦しみに耐えていた時、主治医の先生が夜中にもかかわらず、泉区の自宅から七沢まで、車を飛ばして来てくれたのである。先生の顔を見て、一瞬苦しみが和らいだ。先生の処置で、バルンに詰まったこあぐらが取り除かれた。先生が『伊藤さん、ごめんね。もう大丈夫だから』と声をかけてくれた。私は、ホッとして眠りについた。翌日、水分と食事が取れると思って、先生に尋ねてみると、夜中処置中に、何度も吐いたので、3日間は絶食とのこと。先生いわく、『水分と栄養は、点滴で十分取っているから…』がっくりして、気を紛らそうとテレビを見たら、なんと『焼肉』の特集が始まっていた。クソ〜。チャンネルを変えようにも、自分で変える事ができず、とうとう最後まで見てしまった。残酷だー。退院したら、絶対に焼肉を食ってやる!
 やっと、水分と食事が取れるようになった。初めて食事は、おかゆやおかずなどが温かいので驚いた。これは、新館だけの特権らしい。他の病棟は…。私の食欲がない時、父が肉を焼いてくれ、それを母とマリちゃんが持って来てくれた。うまかった〜。忘れられない。オシッコもバルンに詰まりそうな時には、看護婦さんの早い処置のお陰で、オシッコも流れが良く、順調に回復していた。ところが… 〈つづく〉