ところが、1週間後の夜中(前と同じ時刻)、こめかみを締め付ける頭痛が再び起きた。血圧計を見ると200を越えている。汗が噴き出し、悪寒がした。前回と全く同じ症状。突然、出血が多くなり、こあぐらがバルンに詰まったのである。何とか、看護婦さんの処置で、バルンに詰まったこあぐらは取れたが、その日以来、貧血や頭痛が強くなってしまい、噴き出す汗も止まらなくなってしまった。多量の汗で、寒さと震えがなかなか止まらない。普段、汗を全くかかないのに、不思議である。体温が40度を越えて、両脇、両そけい部は氷で冷やしているのに、電気毛布で身体を温めているとは全く変な事である。そういう日が、何日も続いた。このまま、どうなるのかと不安でいたら、とうとう輸血をする事になってしまった。A型800tの血が、私の体内に一滴一滴と入って来ると、私の身体はカァーと熱くなり、凄いエネルギーを注入されたように感じた。輸血後、あれほどひどかった頭痛が和らぎ、噴き出す汗も止まったのである。信じられない出来事に驚いてしまった。献血してくれた方々に、感謝の気持ちで一杯であった。その後は、回復も早く、出血もなくなり、1日1日と元気を取り戻していった。私が苦しんでいた頃、病院の外は皮肉にも桜が満開であった。看護婦さんや同部屋の人達が、桜の美しさや素晴らしさを話していたが、参加できない自分が悔しかった。神奈リハの桜は、本当に素晴らしいのである。回復して、電動車イスに乗った頃には桜は散り、地面に落ちた花びらのジュウタンの上を走り抜ける事しかできなかった。入院当時から毎日、窓際から桜が全く見えない山並みを眺めていた。茶色に枯れていたその山並みが、私が退院する頃には、青々と新緑が出て、山も生きている事がよく解った。
 私が、電動車イスに乗るようになって、凄い貧血と戦っていた時、隣の部屋に友人が入院してきた。なんとその友人は、19年前、私が入院していた時も隣の部屋にいた岩田君であった。偶然にも、また隣。彼は、高校生の時、歩行中に交通事故にあい、私と同じ障害を持つ事になってしまったのである。当時の彼は、顔は青白く痩せこけて、貧血で車イスにもなかなか乗れなかったのだが、今は立派な青年となっていたので、何と無く嬉しくなった。彼の入院は、アキレス腱を切るためとのこと。足首がつま先立ったまま固まってしまい(せんそく)、車イスに乗ると凄い汗が出る。痛みからくる汗らしい。オペ後、痛みもなくなり、汗も止まって、無事退院したようだ。今度は、神奈リハではなく、違う所で会いたいものである。
 19年ぶりの36日間の入院生活は、大変であったが、とても良い経験にもなった。私の部屋には、3人の50代の新人頚髄損傷の方がいた。まだ、怪我をしてから4〜5カ月なのに、精神的に落ち着いており、リハビリに一生懸命、励んでいられるのである。受傷当時の私は、若いせいもあって、看護婦さんとよく喧嘩をしていたもんだ。恥ずかしい。土・日曜日は、リハビリが無いので、11時から15時まで、ベット上で座らされる。ただ、座っているだけなのだがこれが辛い。また、同じ姿勢で寝ていると褥創(床ずれ)ができやすいので、両横向き・仰向けにする。横向きにすると肩に重心がかかり、痛みで耐えられなくなる。横向きから仰向けにされる時の何ともいえない解放感がたまらない。頚髄損傷者は、同じ姿勢でいる事が辛いが、仰向けにはわりと耐えられるのである。頚髄損傷者は、誰もがこの苦難を乗り越えて行く過程だと、昔を思い出しながら思った。
 入院中に、昔、お世話になった看護婦さんにお会いする事ができた。その看護婦さんは、積極的なアイデアウーマンだった。私のケツの皮がむけて、傷がジュクジュクしてた時、水槽で使うポンプの管をケツに張り付けて、ポンプからくる風で、傷を乾かしたりもした。誰も考えもしない事を直ぐに行動するのである。今は、偉くなられて、看護部長として活躍されている。お互い、歳を取ったものと昔を懐かしく思った。現在の看護婦さんは、昔ほど厳しくなく、優しい人が多かった。私が苦しんでいる時に、看護婦さんがそばにいてくれるだけで、とても心強かった。厚木の山奥まで、何度も食事介助に来てくれた山田さんをはじめ、面会にきてくれた皆様に励まされ、また、助けられました。入院して思った事は、私と同じように思いがけない事で、怪我をしてしまった人達が多く、残念であるという事。歩いていて、転んだだけで、大怪我という事が、本当にあるという事です。皆さん、本当にご用心!ご用心!