"皆さん、転ばないように、ご用心!ご用心!"と言っていた私が…。『パープーパープー、救急車が通ります。パープーパープー』人生で、3度目の救急車に乗ってしまった。1度目は、マット運動の失敗により、首の骨を脱臼骨折して、四肢麻痺になったとき。2度目は、突然真夜中、十二指腸潰瘍による吐血と下血で緊急入院したとき。そして、今度で3度目…。5月にショートステイで施設入所していた、いつも通り、ひとりで買い物を済ませ、電動車イスで歩道を走っていたときに、突然その事故が起きた。歩道には、平らな所や傾斜のきつい所がある。初めて通るその歩道は、傾斜がきつく、電動車イスの前輪が急に車道の方に流されてしまった。突然の予測もしていない動きに、少し焦ったが回避できると思っていた。
 しかし、前輪の流される速さについていけず、左前輪を車道の方に脱輪してしまった。その瞬間、電動車イスは車道側に横転し、その瞬間に私の身体は俯せに投げ出されてしまった。ゴッツンと右の顔を強く殴られたような衝撃がはしった。俯せに倒れた時、無意識のうちに顔だけは横に向いていたようだ。大事な顔を傷つけなくてよかったのだが…。直ぐに、電動車イスから落ちたと解った。誰か人を呼ぼうとしたとき、ゴキゴキと鈍い音が私の右横から聞こえた。何かと顔を上げて見ると、大きな2つのタイヤが右腕をひいて、顔のすぐ横を通り抜けていったのである。一瞬、ゾッーとした。道路は、渋滞していたので、トラックは私の右腕の上をゆっくりと乗り越えて行った。転倒したとき、トラックの後輪の前に、右腕を差し入れたような姿勢になってしまったのだ。トラックにひかれながらも右腕の痛みは全くなく、この時ほど、四肢麻痺で感覚がなくて良かったと思った事はない。後で解ったのだが、私をひいたのは7屯もあるトラックだったのだ。あと数センチずれていたら、頭をひかれて、脳みそ飛び出し、グチャグチャになっていたのか…背筋が寒くなった。昔だったら、死んでいた方が良かったと思ったのだろうが、今は『生きて良かった』と思える。人間、時が経つと、変わるものだとつくづく思う。
 トラックにひかれた後、7〜8人の方が駆け寄って来てくれた。男性に『大丈夫ですか!?』と聞かれ、冷静に『大丈夫です。』と答えた。私は、俯せでいると呼吸が苦しくなるので、皆さんに頼んで、仰向けにして貰った。高齢の女性は、携帯の救急箱から包帯を取り出して、私の真黒く腫れ上がった右腕に、副え木をあてて固定してくれた。余りにも手際が良いので、きっと元看護婦さんだと思った。他にも、私の頭を両手で抱え続けて下さった若い男性は、自分の上着を脱いで、それを枕変わりに敷いてくれたり、他の方は救急車や警察に連絡を取ったりしてくれた。私もショートステイで、お世話になっていた施設に、自分の携帯電話で連絡を取った。その時になって、ひとりの男性が、ずうっと私の顔に日差しがあたらないように、陰を作ってくれていた事に気がついた。この日は、気温が高く、日差しが強い日だった。私は、皆さんに『有り難うございます』とお礼を言った。横で、皆さんの行動を見ていた初老の男性は、『日本も、まだ捨てたもんじゃないね』と言われた。すると最初に声をかけた中年のアゴ髭を伸ばした男性は、『明日は、我が身だから』と答え、その言葉にそばにいた皆さんが一斉にうなずいていた。こんなに、冷静にいられたのは、痛みを感じなかったからかもしれない。皆さんに親切にして貰い、何だかそばにいてくれるだけで、心強く思った。その時の皆さんに感謝。『助けられ心穏やかでいられたのは、皆さんのお陰です。本当に有り難うございました。』
 救急車がなかなか来なくて、待っていると、徐々に肩や背中に激痛が…。やっと、救急車が着いたと同時に施設の方も来てくれた。施設の方と一緒に救急車に乗って、近くの病院運ばれた。一応簡単に診察して貰ったのだが、この病院では頚髄損傷者は手におえず、かかりつけの病院を聞かれた。先生に『神奈川総合リハビリテーションセンター』と答えると、その先生は、元神奈リハにいた先生で、直ぐに連絡を取ってくれた。ICUにベットの空きがあり、OKの連絡。一安心。そのまま救急車で、神奈リハに転送となった。 (つづく)