今では、自宅の生活にも慣れてきて、体力や体調も良くなり、講演活動も始められるようになった。毎年、9月の上旬に旭北中学校で、講演をさせて頂いている。私が、初めて講演をするきっかけを作ってくれた中学校でもある。早いもので、今年で5年目。当日は、30度を越す猛暑。体温調節が出来ない私は、体温が上がると貧血になり、話す事ができない。そこで、業務用の大型の扇風機を私の両サイドから回して貰らい、何とか貧血と戦いながら、無事に話し終える事が出来た。この暑さの中、最後までやり遂げた事に、初めて自信と体力が戻っている事が解り、嬉しく思った。実は、退院後すぐに、保土ケ谷区の"岩間プラザ"で講演したのだが、クーラーが効いていたにも拘わらず、貧血で何度も意識を失いそうになっていたのである。青白い顔とか細い声で、元気がなかったように思う。
 その数日後、"横浜らいず"にショートステイに行った。その2週間、毎日、朝から夜まで電動車イスに乗っていたので、鍛えられ元気を取り戻したようである。そういえば、そのショートステイに行っていたとき、私が体育の教師していた高校の卒業生に会ったのにはびっくりした。卒業生の彼は、私が怪我をした数年後、部活の新体操の練習中の失敗で、首を骨折したのである。私と同じ障害で、車イスに乗るようになっていた。彼は、私より状態が良く、握力はないが、手を動かし、車イスを漕いだり、食事も自分でできる。外出のときは、電動車イスに乗り替えて、ひとりでどこへでも出掛けていた。また、スキューバーダイビングにもチャレンジしており、そんな逞しい姿を見て嬉しく思った。彼といろんな話をしている中で、一番大笑いしたのは、彼が『伊藤先生が、先に怪我をしていたので、僕のときはいろんな手続きが早かったですよ。学校側も2度目ですからね。』と言ったとき、ふたりで大笑いした。パソコンもやるという彼とは、これからも長い付き合いになりそうである。
 実は、私もパソコンを今年からチャレンジしている。最初、ISDN回線の設定に、7時間もかかり、何度、途中でやめようと思ったことか…。パソコンをいじりまわしていたので、それが後で役にたっているようである。しかし、パソコンは難しい。誰か教えてー。退院してから、パソコンのEメールに眼を通すと、なんと700通も来ていたのには、驚いてしまった。早速、Eメールを読んでみると、私の事故で心配してくれた同じ障害を持つ仲間達からも来ていた。情報が錯綜していたのか、肘の骨折が助骨となっていたり、意識がなく、重体になっていたりしていた。皆の体験を読んでいて解ったのだが、やはり、日本の道路事情はかなり悪いという事だ。私だけが電動車イスで転倒したと思っていたら、けっこう他の車イス仲間も転倒して、怪我をしている事が解った。しかし、トラックにひかれた者は、私だけだった。車イスは、4輪なので、一見、安全そうに見えるが、日本は段差だらけで危険な所が多い。仲間達と共に、環境整備の面も行政に訴えていかなければと強く思った。車イス利用者だけのためでなく、乳母車やショッピングカー、老人、眼の不自由な人、子供などなど。多くの人達にとっても安全であるはずなのだから…。
 そんな脊髄損傷の仲間達と久し振りに会った。渋谷の南口で、『日本せきずい基金』の募金活動。渋谷は、学生時代の遊び場だった。私の庭みたいなもの!?マリちゃんともよくデートしたっけ…。懐かしさにふけっている暇もなく、大きな声で呼びかける。外国人の方がけっこう協力して下さった。国や民族に関係なく、理解しあえる事は大切な事だと思う。募金活動をしながらこのインフォメーションで、私のハンディキャブを購入のために皆さんから頂いた貴重な募金の事を考えた。『やっぱり、私ひとりでは使えない。』どうしたものか…。私は現在、横浜市のハンディキャブを利用している。市には、5台のハンディキャブをタクシー会社に委託している。そこの運転手さんが送迎をして下さっている。車イスの移動手段というと、やはり、ハンディキャブの方が楽なので、当然利用者も多い。予約は、2〜3カ月前から申し込まないとなかなか取れない。そこで、旭区にあったら、せめて同区の人達も利用できるのではないかと思った。ハンディキャブが少なくて、外出も出来ない方が多い。旭区には、あいにく私が乗れるハンディキャブがない。『私のために募金して下さった皆々様、いかがでしょうか?』勿論、ハンディキャブを買うために、募金して下さったのですから、私も利用させて頂きますが、ひとりで使うには心苦しい。苦しいのは私だけでないのに、こんな私のために募金して下さって、本当にありがとうございました。皆々様の暖かい心のこもった気持ちに深く感謝致します。有効な使かい方を考えさせて戴きたいと思っています。