今年も恒例となっている『はがき通信』の懇親会に参加する事にした。今回は広島。といえば、お好み焼…。何を食べようか?楽しみは、いつも食う事だ。早速、優しい野中さんに電話、一緒に参加OKとのこと。
 当日、新横浜駅から新幹線"のぞみ"に初乗車。乗る時、初めて折り畳みのスロープをホームと車両に、セッティングしてくれた。本当は、ホームと車両の高さが同じなら、介助の手は必要ないのだが…。しかし、スロープができた事は、高く評価したい。気を遣わなくて、乗車できるので最高!下りの"のぞみ"の運転手、停車駅の手前になると、カックン、カックンと身体が前つのめりになり、酔いそうであった。たまたま、同乗していた仲間の奥さんも気分が悪いと怒っていた。新大阪を過ぎた頃、北九州トンネル内で、約200sコンクリート落下の事件を車内放送していた。確か、6月頃、福岡トンネル内で約200sコンクリートが落下して、新幹線を直撃したニュースを思い出した。その時、377カ所のトンネルを調べ、8月には最低10年は、落下の恐れはないと、安全宣言を出した矢先に、これだから…。いつ、どこで、何が起こるか分からないもんだ。
 広島のホームに降りた時、人の多さにびっくり。広島〜博多間の新幹線が不通になってしまったので、順番待ちの人達が大勢並び、電動車イスで身動きできない。ホームの端、ギリギリの所を慎重に操作し、線路に落ちるのではないかとドキドキしながら、何とかエレベーター口までたどり着いたのだ。恐ろしかったー。
 やっと、ホテルに着くとメンバーの自己紹介や生活面での工夫など、すでに発表会が始まっていた。夕方は、パーティで盛り上がり、2次会は酒を飲み交わす事より、いろんな話で盛り上がった。"明日は、お好み焼食うぞ〜"と言いながら就寝。
 2日目、午前中の発表会も終わり、昼食に広島風お好み焼を野中さんに食べさせて貰っていた時、横から『その電動車イスは、外国製ですか?』と、か細い声で尋ねられた。横を見ると、車イスに乗ったカワイイ女性。一緒に食事をしながら、電動車イスや日常生活などの話を終えた後、彼女は、私に『初め、話し掛けるのに、勇気がいりました。』と言う。私は、お好み焼を吹き出しそうになってしまった。私は、優しく『そんなに、怖いですか?』と尋ねると、彼女は『昨日から話し掛けようと思っていたのですが…。』と言う。野中さんは、大笑い!やっぱり、ゴリラのようにデカイ私は、いつも笑っていなければ…と思った。
 午後からは皆で、平和記念公園に出掛けた。途中、交差点で、車イスに乗った女性が転倒してしまった。彼女は、交差点を渡るため、坂になった所を下ろうとした瞬間、横から車がきたので、車イスを止めようとしたのだが、急坂のために止まりきれず、自分から身体を転倒させて、身を守ったのである。彼女は、かすり傷ですんだが、そのまま進んでいたら…。この前の自分の事故を思い出してしまった。これが、今の日本の現状。広島もいくら福祉街づくり条例があっても、整備の視点が違うと、まだまだ危険な所がたくさんある。
 平和記念公演の中に、原爆資料館がある。中に入ると、順路に沿って、原爆を落とされるまでの広島の歴史が語られていた。広島には広島の歴史があり、亡くなった20万人、ひとりひとりに歴史があったことを改めて思い知らされた。平和記念公園を元安川に沿って、原爆ドームがある。歴史の証人の原爆ドームを見て、戦争の恐ろしさを感じた。広島と言えば、お好み焼をすぐに連想した私は…恥ずかしい!
 3日目は、とうとう私の発表。電動車イスから転倒して、トラックひかれた話をした。皆は、真剣に私の話を聞いてくれていた。最後に、来年の開催場所の話に。来年の開催地を決める時、広島の友人が来年は福岡市、2年後は横浜市と提案をした。そうすると、それが通り、決定してしまったのである。横浜からの参加は私ひとりなので、必然的に私が実行委員長にされたのである。後で、友人から広島で開催するまでの苦労話を聞くと、大変な事になったと落ち込んでしまった。
『はがき通信』とは、事故や病気などで、手足が麻痺した方とその家族、関係者のための隔月発行の情報誌である。懇親会には、四肢麻痺者の情報交換と貴重な出会いがある。毎年、高位頚髄損傷者の方々が電車に乗り、それぞれの場所から集い、交流を深めることは、その後の生活にも大きな意味をもたらす事になる。2001年横浜開催に向けて、企画、準備しなくては…。
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