今年は、心配されたコンピューター誤作動による2000年問題もなく、無事、新年を迎えることができた。年末に、大騒ぎしていたのが嘘のようである。我が家でも「水だけでもあれば、何とかなるからネ」といいながら、マリちゃんが毎日のように食料や水など買いこんでいた。大晦日の夜には、風呂場にも水が一杯。石油ストーブも多く売れたらしい。これは、スーパーや電気店の陰謀だったかも?
 友人から、2000年1月1日に発病するコンピューターウィルスがあると聞いていたから、とても心配だったパソコンの状態を元旦に確認した。インターネットでホームページやEメールを受信しても普段と変わらなかったので安心した。私がパソコンを始めるきっかけになったのは、福岡県の友人の強い勧めがあったからである。以前から何度も彼に、パソコンはインターネットで情報収集ができ、Eメールで情報交換もできるからと聞かされていた。また、Eメールは、郵便・電話などよりは手間がかからず、コストも安いと言う。しかし、「パソコン本体が高い!」と言い続けていたが、「これからは、障害者もコミュニケーションの時代」と思って、昨年、NECのLaVieNX、A4ノートパソコン・オールインワンタイプを購入した。費用は、三和プランニングセンター社長と社員皆様のカンパもあり、とうとう決心して購入。皆様に感謝。
さぁー!Windows98に挑戦開始。今まで手紙や原稿などは、棒を口にくわえてワープロで打っていたので、パソコンも同じようなものと簡単に考えでいた。パソコンを買って、初めて分かったのだが、私がくわえている棒では、マウスを動かすマウスパットの操作ができず、人の指でないと動かないことが分かったのである。人間の指には、微弱の電流が流れており、それを感知してマウスが動くらしい。「そんなバカな!」「ゴリラには、やっぱりできないのか」とガッカリした。しかし、説明書を読むと、ユーザー補助機能という車イスマークのアイコンがあり、キーマウスを操作ができることが分かった。ホーとひと安心。ところが、今度は、ISDNの設定に7時間もかかった。その途中、何度もくじけそうになり、「もう、やめた!」と諦めようとしたのだが、ここでやめたら…使ったお金がもったいないので続けた。時間がかかった理由は、パスワードを大文字で入力しなかったせいである。機械は、正直でちょっとでも違うと言うことを聞いてくれないのだ。あれから約1年間、いろんな方に電話で教えて貰いながら、何とかパソコンを使えるようになったきた。最初の頃は、「インターネット」や「ホームページ」、「電子メールのE-mail」などの区別も分からず、チンプンカンプンであった。私が苦労してマスターした事がマリちゃんに分かると、また仕事をやらされるはめになりそうなイヤな予感もあるがパソコンは便利なものである。
 インターネットの成り立ちは、アメリカの軍事・研究用に大学や研究所のコンピュータを結ぶために開発されたものが、民間用に転用されたものらしい。最近では、「インターネットフォン」という電話の代わりに使うものも出ている。(それもテレビ電話になる!)「インターネット」は、文字どおり世界中とつながっている。ホームページは、単なる張り紙ではなく、アニメーションやビデオ、動画や生中継があったりと多彩。見るだけでなく、通信販売やアンケート調査、懸賞応募などもでき、双方向性にやりとりできる。しゃべることもできない重度の障害を持っている方でも、瞼やほほなど、動かせる所にセンサーをつけて、パソコンの操作ができるのだ。自分の意思表示ができるのは嬉しい事である。障害を持つことで不便(物理的に)になるのは、やむを得ない事である。どんなに重い障害があってもパソコンが使えれば自分を表現し、仕事までもできるようになるのである。私と同じ障害を持つ友人は、インターネットを利用し、プログラミングの講習をマスターして、今では地元のシステム開発会社に在宅勤務社員として就労している。その彼が「仕事をするということは、誇りを持って生きるという事。生きていくうえで、パソコンが大きな武器になるとは思わなかった。」と力強く語っていた。彼は、仕事ができることで自信が持て、生き生きとして輝いていた。友人から音声でパソコンを操作できるソフトを戴いて、今はIBMのViaVoice(日本語音声入力)に挑戦中。パソコンにイアホンマイクを差し込み、私の声の認識率を高めるために、300の例文を復唱する。それが、なかなか私の声を認識してくれない。女性の高い声の方が認識しやすようである。何度もやっているとマリちゃんが「ゴリラの声じゃムリなんじゃないの」とキツ〜イ一言。九州弁だから発音が違うのか…?音声でパソコンを操作できるようになると、…夢が実現となっていくのである。パソコンは、コミュニケーションや社会参画、在宅ワークなど、様々な場面で、有効に活用される。障害者にとってパソコンは、不可能を可能にできるものともいえる。