『マリちゃん、神奈川新聞から取材が来るって!』『エッー!何の取材なの?私の取材かな!!』『オレの取材。港北区公会堂で行われる講演会のお知らせを見たんだって。』『ヘッ!』1月15日、土曜日の神奈川新聞に、『生きる、体当たりで語る。元体育教師』と写真入りで、大きく紹介されていた。ちょっと誉められすぎ。その日は、新聞を見た多くの友人から、電話やEメールでの激励が続いた。結構、みんな神奈川新聞を見ていたのに驚いた。
 講演は、港北区社会協議会からの依頼で、『港北保護司会』と『港北区更生保護婦人会』の主催である。皆さんが私のエッセイを読んでいて、講演を頼んで来たのだ。それにしても起立性貧血の事や細かい所まで、私の事をよく知っていたので驚いてしまった。保護司、更生保護婦人会の皆さんは、過ちを犯した人達に、その手と目と心で接し、更生への道に導くために、日々活動されているボランティアの方達である。
 当日、港北区公会堂について、ハンディキャブから降りると、6〜7人の年配方に囲まれ、『先生、こちらです。』と控室に導かれた。優しい笑顔がすてきであった。『私は、先生ではないので伊藤です。』と言っても『先生、先生』と呼ばれてしまい恐縮。また、お弁当まで食べさせて頂き、手作りのお吸い物がこれまたうまい。講演会が始まる前に、昨年ショートステイにいた時に、研修に来ていた女性から花束を頂き、お世話になった元療護施設長も逗子からわざわざ来られていて本当に嬉しかった。皆さん神奈川新聞を読み会いにきてくれたが、中には県外から来た人もいたらしい。新聞の力は凄い。マスコミの力はやはり強い。その分間違えた報道をされると、怖い事にもなるはずだ。大きく宣伝されるほど、ゴリラは立派ではないし…。
 講演の前に、『こどもたちの傘』という映画が上映されるというので、私も見る事にした。その映画は、保護司に焦点をあてた映画であった。映画を見終わると、込み上げて来る感動が私の目頭を熱くしていた。私も昔憧れの先生がいて、教師になろうと目指した事を思い出していた。そんな余韻に浸りながら移動したのだが、涙で通路が滲んでいた。その後、直ぐに気持ちを切り替えて話し始めた。
 昨年からくちコミで、講演の依頼が増えている。途中交通事故のアクシデントがあり、行かれなくなった所もあったが、市内5つの公会堂を征服。また、小学校や中学校、高校などでも、講演している。段差のある学校には、私と電動車イスの重量が200kg以上あるので、簡単には電動車イスを持ち上げることが出来ないのでスロープをつけて貰っている。教室まで段差がなければ、教室に行って生徒の皆さんと直接交流する事もある。やはり、教室に行き直に交流する事は、障害者と健常者の壁が無くなるのではないかと思う。特に、小学生との交流の方が壁がなく、好奇心から電動車イスに寄ってきて質問をしたり興味津々である。大人でも普段障害のある人と接していなければ、どのように声をかけたら良いのか分からない。障害のある人との交流があると、どう接すれば良いかが分かる。障害の程度も人によっていろいろあり、会話が普通にできる方が交流がしやすい。会話が難しい人は、ゆっくり分かるまで話を聞く事が大切だ。
 昨年、私のエッセイを読んだ小学校6年生の女の子から手紙を貰った。その縁から地元の小学校で、私の絵の絵画展や講演会をするようになった。今年、その女の子と初めて会い、優しい女の子の瞳が輝いていたのが印象に残り大変嬉しかった。ある小学校では、念願だった『給食』を食べさせて貰ったり、講演後に生徒皆さんで手話をしながら歌ってくれた事もあった。その時は、突然の事で驚き感動した。いつも講演先では、オシッコが溜まってくると校長先生などに、ビニール袋にオシッコをとって捨てて貰っている。足首の所にある「止め金」を降ろすだけで流れる。外出する時は、必ず、尿収器という袋を左足につけている。オシッコを溜める袋である。この尿収器があるからこそ、どこへでも出掛けられるのである。最初は皆さん多少戸惑っているようだが、普通の事のように対処してくれるのが嬉しい。私に頼まれた方は、いやと言えず諦めるしかないのだが…。障害を理解して貰う事にもつながるはずだ。一人でトイレに行ける人は、健康な身体に感謝すべきである。
 私は、いろいろな所で講演をし、多くの人と出会える事によって視野が拡がり、充実した生活が送れるのだと思う。これからも人との出会いを求めて、講演活動を続けて行きたいと思っている。だけど、未だに話し方がなかなか上達しないのが悩みのたね。ゴリラだから…。